「ようこそ、美幸さん」
目の前の男は美幸を歓迎するとばかりに両手を広げて言った。
中途半端な長さの灰色の髪に、紫色の瞳。白いYシャツに灰色のチノパン。
異世界人なのか、現代人なのか、ぱっと見では判断がつかない。
「お、お前誰だ!」
「わからない?」
思わず叫んだ美幸に、その男は首をかしげて問いかけてくる。
彼の声は、たしかに聞き覚えのあるものだった。
「……質問者、か?」
眉をひそめながらも、美幸は答えを口にする。
声といい、状況といい、それ以外は考えられない。
この男の妙ななれなれしさも、質問者と共通しているところだ。
ということは、ここは上位世界、なのだろうか。
美幸は物語の登場人物だから、上位世界というものを、そういう場所があるということしか知らなかった。
自分たちの物語を楽しんでいる人間たちが、どんな世界に住んでいるのか。美幸たちが知るすべはなかったのだ。
「正解。賞品は何が欲しい?」
「そんなもんいらないから、さっさと帰してくれ」
「つれないなぁ。少しくらい付き合ってくれてもいいのに」
男はやれやれと言うように肩をすくめて首を振る。
その大げさな仕草は、元々短気な美幸の苛立ちをあおる。
「お前と違ってオレは暇じゃないんだ」
「俺だって忙しいよ。むしろ美幸さんのほうが暇でしょ? まだ旅の途中で、これからどこに行くかだって決まっていないわけだし。いつ帰ったって問題はないはずだよ」
質問者の言葉に、美幸は自分の推測が正しかったことを悟った。
「……お前、やっぱりオレたちのこと知ってたんだな」
質問されていたとき、そんな気がしていた。
男の質問は的確だった。的確に、美幸たちの物語を引き出していた。
それは、美幸たちの物語を知っていたからこそできたことだったんだろう。
傷をえぐるような質問も、わざとだったのだとすれば趣味の悪いことだ。
「そりゃあね。君たちの物語は俺の管轄だから。物語のだいたいの流れも、エピローグも、その先に続く物語だって、この目で見て知っているよ」
「じゃあ、なんであんな質問したんだよ。知ってんなら聞く必要ねぇだろ」
美幸たちはあの空間に召喚されてすぐに、この男から質問を受けた。
だから、質問に答えれば帰れるだろうと思った。
質問者に逆らってはいけない、という直感があったために、それ以外にできることがなかったとも言う。
そしてそれは間違ってはいなかった。美幸だけは、なぜか残されてしまったけれど。
男が美幸たちの物語を最初から知っていたのなら、あんな場を用意する必要はなかったはずだ。
わざわざ三人を喚んでまでして、何をしたかったのだろうか。
「あれは、俺が知りたくて質問したわけじゃない。お互いにお互いの物語を知ってもらうための質問だったんだよ」
「どういうことだ?」
美幸にはまったくもってわけがわからない。
お互いにというのは、つまり、美幸たち三人のことを指しているのだろう。
美幸たちが、互いの物語を知ること。
それに、いったいなんの意味があるというのか。
「聞きたい?」
にんまり、と男は目を三日月のように細めて笑う。
その表情は人の反応を楽しんでいるように見えて、癪に障った。
「……教える気がないなら、今すぐオレを帰せ」
質問者の意図は気にならなくもないが、帰れるのならそれでいい。
美幸は細かいことを気にしない性格だ。
元の世界に帰ってしまえば、やることはいくらでもあるから、気になっていたことすらいつのまにか忘れているだろう。
「それは嫌だな。しょうがない、じゃあネタばらしをしてあげる」
男は苦笑して、それから美幸に座るよう勧めた。
長話をするつもりはなかったけれど、召喚された理由を聞くくらいならいいだろう。
勧められるままにソファーに座り、向かいに座った男に目をやる。
得体の知れない男は、美幸の視線ににこりと笑った。
「そもそも今回、どうして三人を喚び集めたのか。それは簡単に言うとね、お見合いさせるため」
「はぁ?」
お見合いとは、あのお見合いだろうか。
年頃の男女を対面させて、お互いの趣味やら仕事やらぐだぐだと話し、あとは若い二人に任せて、と親が退散する、あれだろうか。
お見合いと今回の質問が結びつかずに、美幸は混乱する。
リートも帰ったらお見合いだとか言っていたけれど、それとは関係はなさそうだ。
「オレの管理してる物語の中でも、ミーウェルミルシーは一番の問題児でねぇ。主人公とはいえ、登場人物としてありえないほどの力を持ってしまったんだ。これも、作者の好き勝手な設定のせいなんだけどね」
男はソファーの前のテーブルに置いてあった本を引き寄せ、表紙をめくる。
ぺらぺらとそれを読むでもなく眺めている。
覗き込んでみたが、書いてある文字は美幸には読めないものだった。
けれど、もしかしたらその本は、ミーウェルミルシーの物語なのかもしれない。
となれば、テーブルの上に広がっている他の本は、美幸の物語とリートの物語だろうか。
手に取って見てみたいという好奇心を、どうにか抑え込んだ。
そうしているうちに男は本を閉じ、美幸に視線を戻した。
「ミーウェルミルシーをこのまま放置した場合、彼女は他の物語の中に入って、その物語を壊しかねない。彼女にはストッパー役が必要だった」
「それが、子爵?」
自分なりの答えを男にぶつけてみる。
結果的に彼女がリートの世界へと行ったことを考えれば、美幸ではないのはわかることだ。
「そのとおり。今回三人を喚んだのは、ミーウェルミルシーとリートを出会わせるため。リートにミーウェルミルシーのストッパーになってもらうため」
なるほど、この出会いは最初から仕組まれていたというわけか。
男は美幸たちの物語を管理していると言った。それがどういった意味なのかはよくわからないけれど、たぶん神のようなものなのだろう。
男の危惧は、先ほど美幸が考えついたこととほとんど変わらない。
ミーウェルミルシーは力が強すぎる。彼女という異分子によって、他の物語が壊されてしまう危険性がある。
だから、そうはならないよう男は予防することにした。
その手段が、美幸たちを召喚して質問を投げかける、というものだったのは、いまいち納得できないけれど。
「そんなにうまくいくもんなのか?」
たしかに、リートはミーウェルミルシーを心配し、諫めていた。
ミーウェルミルシーも、リートの言葉ならある程度は聞くだろう。
だが、それがずっと続くのかどうかは疑問だ。
リートがミーウェルミルシーにとってどれほどの抑止力を持つのか、美幸には判断がつかない。
そもそも、二人を出会わせたところで、ミーウェルミルシーがリートを気に入らなければ今回のようにはならなかった。
会わせる前から、こうなることがわかっていたとでも言うのだろうか。
「うまくいくよ。じゃなかったらこんな面倒なことはしない」
男は自信満々に言いきった。
「俺はこの本棚の、物語の管理人。ここに、君の物語も、彼らの物語も入っている。ミーウェルミルシーの好みも、リートの性格も、誰よりも知っている。会えば、ミーウェルミルシーはリートを気に入る。リートはミーウェルミルシーを放っておけない。失敗するとは思っていなかったよ」
部屋にいくつもある本棚を指し示しながら、男は語る。
男の笑みはまるで貼りついているようで、底が知れない。
何を考えているのかわからないということは、こんなに不安をあおるものなのか。
逆らってはいけない相手だ、ということを美幸は再確認する。
この場で魔法が使えるのかはわからないが、もし使えたとしてもきっと美幸は勝てないだろう。それは確信に近かった。
「じゃあ、どうしてオレまで喚んだんだよ。オレは関係ないじゃんか」
美幸は口を尖らせて文句を言った。
だいたいの事情は理解した。けれど、巻き込まれた美幸はいい迷惑だ。
もちろん二人との出会いは悪くないものだったと思うし、そのこと自体には不満はない。
けれど、おまけ扱いされてしまえば、嫌な気にもなる。
「仲人役兼、進行役だよ。美幸さんの快活さと度胸は、話を進めるのにちょうどよかった。ハッピーエンド後にアンハッピーになったという共通点もあったしね」
たしかに、美幸にとっても彼らにとっても素直に喜べないことではあるが、その共通点が三人に仲間意識を生んだ。
それがなければ、三人はあそこまで打ち解けることはできなかっただろう。
リートは警戒心が強そうに見えたし、ミーウェルミルシーは他人への興味が薄そうだった。
美幸だって、貴族も最強主人公も、いつもだったら避けて通りたい人種だ。
「俺の質問に一番に答えてくれたのは美幸さんだったよね。君は二人の警戒心をほどよく取り除いてくれたんだ」
「うまい具合に使われたってわけだな」
利用されたのだと考えると腹立たしいが、それによって知らない物語の平穏が守られるのならば、我慢するべきなのだろう。
悪意を持って利用されたわけではないようだから、よしとしておくか。
ミーウェルミルシーのことは美幸も心配だ。彼女が問題を起こさないのなら、それに越したことはない。
「ありがとね、美幸さん。君のおかげで物語が破綻せずにすむ」
そう、男は笑ってみせた。
それは先ほどまでの感情の読めない笑みとはどこか違い、喜色がにじみ出ていた。
意外な表情に、美幸は思わず目を瞬かせた。
男なりに、管理している物語を大切に思っているのかもしれない。
そう感じさせるような笑顔だった。