(3):元の世界へ、そして

――話はまとまった? ミーウェルミルシーさんは元の物語じゃなくて、リートさんと同じ物語に送ればいいのかな?

「うん。別に元の物語に戻っても、自分の力でリーの物語に行くだけだけど」

 灰色の霧が立ちこめる空間に、どこからともなく響く声。
 それにミーウェルミルシーはけろりとそう答えた。

「物語も飛べちゃうのかよ」
「やったことないけど、たぶんできる。私一人なら」
「チート怖ぇ……」

 もう、驚いたらいいのか怯えたらいいのかすらわからない。
 美幸が異世界トリップしたように、同じ物語の中の違う世界に飛ぶというのならまだ理解もできる。
 けれど、違う物語にも行けてしまうということは、やろうと思えば他の物語に介入できてしまうということだ。
 そんなことができるのは、すでに人間ではないような気がする。
 いや、人間としてというよりも、物語の登場人物として、逸脱している。

「その、ミーさん。僕の世界では魔法というものは過去の遺物となっていますので、人前では使わないようお願いしますね」
「わかった」

 リートの世界では今は魔法が失われているらしい。
 ミーウェルミルシーはこくんと素直にうなずく。
 約束を守ってどこまでおとなしくしていてくれるのか。リートの気苦労は尽きなさそうだ。
 真面目なリートは、きっと振り回されながらも見捨てることはないのだろうけれど。

――じゃあ、そろそろお別れの時間だよ。三人とも、お疲れさま。

 質問者の言葉に、美幸たち三人は視線を交わす。
 最初に口を開いたのは、美幸だった。

「なんか、奇妙な縁だったな」

 そう、二人に笑いかける。
 自分が物語の登場人物だということは、誰に言われずとも薄々理解していた。
 それは美幸以外の登場人物も、もちろんリートやミーウェルミルシーもそうだろう。
 けれど、自分は自分の物語の中でたしかに生きている。それだけでよかった。
 他の物語の登場人物と相見える日が来るとは思っていなかった。

「ええ。世界どころか物語すらも越えて、こうして出会えたことは、思わぬ喜びでした」
「私も。これからどうするかも、決まったし」

 リートが微笑み、ミーウェルミルシーは口だけ弧を描いた。
 美幸は彼らと出会い、質問者の質問に答えることで、前向きになれた。
 いや、本来の自分を取り戻したとでも言うべきか。
 第三者に聞いてもらうことで、クラウスとのことを過去のことにすることができた。
 いつまでも鬱々と悩んでいるのは自分らしくないと、区切りをつけられた。
 美幸がそうであるように、二人にとっても、この出会いはプラスであったようだ。

「お前ら、仲良くな。ケンカすんなよ。オレに言えたことじゃねぇけど」
「はい、わかり合える努力をします」
「右に同じく」

 二人は目配せし合ってから、美幸に向き直る。
 すでに仲のよさを感じる二人は、もしかしたらこれから、違う関係を築いていくのかもしれない。
 その片鱗を見たような気がして、美幸は苦笑する。
 二人のこれからを知ることができないのは、少しだけ残念だ。

「ありがとな。けっこう楽しかったぜ」

 寂しさは、感じないと言えば嘘になる。
 けれど、二人は違う物語の主役。たった一時、交わっただけの仲だ。
 二人は不思議な縁によって、同じ世界に行くことになったけれど、美幸は違う道を行く。
 別れは晴れやかなものにしたかった。
 これから前を見据えて進んでいく美幸たちに、湿っぽい空気は似合わない。

「ミユキさんの歩む未来に幸多からんことを」
「私は?」
「それは、迎え入れる僕の心がけ次第でもありますから」

 そう答えるリートは、本当に真面目だ。
 客人として招くと決めた以上、中途半端な真似はしたくないのだろう。
 そんなリートに、ミーウェルミルシーは表情をゆるめる。

「大丈夫だよ。私はちゃんとしあわせになる。リーは私がしあわせにする。幸さんも、絶対にしあわせになれるよ」

 まるで予言するように、ミーウェルミルシーは確約した。
 涼やかな声には、冗談も誇張も含まれていないように聞こえた。

「魔女さんに言われると、本当にそうなりそうな気がするな」

 美幸は明るく笑った。
 過去の憂いを消し去るように。
 これから待ち受けているかもしれない困難を吹き飛ばすように。
 笑って、生きていけば、なんとかなる。
 大丈夫だ、と信じることができた。

――三人とも目を閉じて。次に目を開いたときには在るべき世界へと戻っているよ。

 目を閉じた。
 視界が閉ざされ、感覚が研ぎ澄まされていく。
 ゆるやかな風が肌に触れる。
 それは少しずつ強くなっていき、さらにまぶたを閉じていてもわかるほどの光を感じた。
 この光が消えたとき、美幸たちは元の世界にいるんだろう。
 説明されてもいないのに、そうわかった。

 数十秒か、数分か。
 やがて元の暗闇が戻った。
 美幸はそっと、瞳を開いた。

「……あれ?」

 そこは、元の世界……ではなく。
 何もない空間。灰色の霧。
 先ほどまでとまったく変わらない景色。
 ただ、リートとミーウェルミルシーの姿だけが、消えていた。

「おい、質問者! オレだけ戻ってねぇぞ!?」

 美幸は声を張り上げる。
 それは不安の表れでもあった。
 二人の姿がないということは、二人はリートの世界に無事に戻れたんだろう。
 なのに、美幸だけこの場に残っている。
 ……自分は、帰ることができないのだろうか。
 ぞわりと、背筋をなでるような悪寒。
 一瞬、この何もない空間で衰弱死する未来を思い浮かべてしまった。

 声が返ってこなかったらどうしよう。
 という危惧は、杞憂ですんだ。
 男の忍び笑いが聞こえたからだ。
 こんなときに何を笑っているのだろうか。
 けれど、質問者がまだいるなら、再度送ってもらうこともできるだろう。
 なぜ失敗したのかはわからないけれど、そんなことは些細な問題だ。

――帰したくなくなっちゃった、って言ったらどうする?

「はぁ!? どういうことだよ!」

 わけのわからないことを言い出した男に、美幸は怒鳴り声を上げる。
 先ほどまでの不安の裏返しでもある。
 リートとミーウェルミルシーがいたときには感じなかった、心許なさ。
 この空間は、寂しすぎる。
 一面が灰色だか黒だか紫だか、暗い色に覆われていて。
 湿り気を帯びた灰色の霧に、自身が掻き消されてしまいそうだ。

――このまま話すのもなんだし、こっちに喚ぶね。

 男がそう言ってすぐに、あたりが真っ白に染まった。

「っ!!」

 眩しさに、反射的に目を閉じた。
 それでもまぶたに突き刺さるような光に、腕で目をかばう。
 元の世界に戻されるとき以上の眩しさだった。

「もう大丈夫だよ」

 その言葉に美幸は腕を下げ、目を開けた。

「ここ……どこだ?」

 そこは美幸の知らない場所だった。
 全体的に茶色で調えられた、レトロな家具と、本棚に囲まれた部屋。
 そして目の前には、にこやかに微笑む灰色の髪の男が立っていた。



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