――話はまとまった? ミーウェルミルシーさんは元の物語じゃなくて、リートさんと同じ物語に送ればいいのかな?
「うん。別に元の物語に戻っても、自分の力でリーの物語に行くだけだけど」
灰色の霧が立ちこめる空間に、どこからともなく響く声。
それにミーウェルミルシーはけろりとそう答えた。
「物語も飛べちゃうのかよ」
「やったことないけど、たぶんできる。私一人なら」
「チート怖ぇ……」
もう、驚いたらいいのか怯えたらいいのかすらわからない。
美幸が異世界トリップしたように、同じ物語の中の違う世界に飛ぶというのならまだ理解もできる。
けれど、違う物語にも行けてしまうということは、やろうと思えば他の物語に介入できてしまうということだ。
そんなことができるのは、すでに人間ではないような気がする。
いや、人間としてというよりも、物語の登場人物として、逸脱している。
「その、ミーさん。僕の世界では魔法というものは過去の遺物となっていますので、人前では使わないようお願いしますね」
「わかった」
リートの世界では今は魔法が失われているらしい。
ミーウェルミルシーはこくんと素直にうなずく。
約束を守ってどこまでおとなしくしていてくれるのか。リートの気苦労は尽きなさそうだ。
真面目なリートは、きっと振り回されながらも見捨てることはないのだろうけれど。
――じゃあ、そろそろお別れの時間だよ。三人とも、お疲れさま。
質問者の言葉に、美幸たち三人は視線を交わす。
最初に口を開いたのは、美幸だった。
「なんか、奇妙な縁だったな」
そう、二人に笑いかける。
自分が物語の登場人物だということは、誰に言われずとも薄々理解していた。
それは美幸以外の登場人物も、もちろんリートやミーウェルミルシーもそうだろう。
けれど、自分は自分の物語の中でたしかに生きている。それだけでよかった。
他の物語の登場人物と相見える日が来るとは思っていなかった。
「ええ。世界どころか物語すらも越えて、こうして出会えたことは、思わぬ喜びでした」
「私も。これからどうするかも、決まったし」
リートが微笑み、ミーウェルミルシーは口だけ弧を描いた。
美幸は彼らと出会い、質問者の質問に答えることで、前向きになれた。
いや、本来の自分を取り戻したとでも言うべきか。
第三者に聞いてもらうことで、クラウスとのことを過去のことにすることができた。
いつまでも鬱々と悩んでいるのは自分らしくないと、区切りをつけられた。
美幸がそうであるように、二人にとっても、この出会いはプラスであったようだ。
「お前ら、仲良くな。ケンカすんなよ。オレに言えたことじゃねぇけど」
「はい、わかり合える努力をします」
「右に同じく」
二人は目配せし合ってから、美幸に向き直る。
すでに仲のよさを感じる二人は、もしかしたらこれから、違う関係を築いていくのかもしれない。
その片鱗を見たような気がして、美幸は苦笑する。
二人のこれからを知ることができないのは、少しだけ残念だ。
「ありがとな。けっこう楽しかったぜ」
寂しさは、感じないと言えば嘘になる。
けれど、二人は違う物語の主役。たった一時、交わっただけの仲だ。
二人は不思議な縁によって、同じ世界に行くことになったけれど、美幸は違う道を行く。
別れは晴れやかなものにしたかった。
これから前を見据えて進んでいく美幸たちに、湿っぽい空気は似合わない。
「ミユキさんの歩む未来に幸多からんことを」
「私は?」
「それは、迎え入れる僕の心がけ次第でもありますから」
そう答えるリートは、本当に真面目だ。
客人として招くと決めた以上、中途半端な真似はしたくないのだろう。
そんなリートに、ミーウェルミルシーは表情をゆるめる。
「大丈夫だよ。私はちゃんとしあわせになる。リーは私がしあわせにする。幸さんも、絶対にしあわせになれるよ」
まるで予言するように、ミーウェルミルシーは確約した。
涼やかな声には、冗談も誇張も含まれていないように聞こえた。
「魔女さんに言われると、本当にそうなりそうな気がするな」
美幸は明るく笑った。
過去の憂いを消し去るように。
これから待ち受けているかもしれない困難を吹き飛ばすように。
笑って、生きていけば、なんとかなる。
大丈夫だ、と信じることができた。
――三人とも目を閉じて。次に目を開いたときには在るべき世界へと戻っているよ。
目を閉じた。
視界が閉ざされ、感覚が研ぎ澄まされていく。
ゆるやかな風が肌に触れる。
それは少しずつ強くなっていき、さらにまぶたを閉じていてもわかるほどの光を感じた。
この光が消えたとき、美幸たちは元の世界にいるんだろう。
説明されてもいないのに、そうわかった。
数十秒か、数分か。
やがて元の暗闇が戻った。
美幸はそっと、瞳を開いた。
「……あれ?」
そこは、元の世界……ではなく。
何もない空間。灰色の霧。
先ほどまでとまったく変わらない景色。
ただ、リートとミーウェルミルシーの姿だけが、消えていた。
「おい、質問者! オレだけ戻ってねぇぞ!?」
美幸は声を張り上げる。
それは不安の表れでもあった。
二人の姿がないということは、二人はリートの世界に無事に戻れたんだろう。
なのに、美幸だけこの場に残っている。
……自分は、帰ることができないのだろうか。
ぞわりと、背筋をなでるような悪寒。
一瞬、この何もない空間で衰弱死する未来を思い浮かべてしまった。
声が返ってこなかったらどうしよう。
という危惧は、杞憂ですんだ。
男の忍び笑いが聞こえたからだ。
こんなときに何を笑っているのだろうか。
けれど、質問者がまだいるなら、再度送ってもらうこともできるだろう。
なぜ失敗したのかはわからないけれど、そんなことは些細な問題だ。
――帰したくなくなっちゃった、って言ったらどうする?
「はぁ!? どういうことだよ!」
わけのわからないことを言い出した男に、美幸は怒鳴り声を上げる。
先ほどまでの不安の裏返しでもある。
リートとミーウェルミルシーがいたときには感じなかった、心許なさ。
この空間は、寂しすぎる。
一面が灰色だか黒だか紫だか、暗い色に覆われていて。
湿り気を帯びた灰色の霧に、自身が掻き消されてしまいそうだ。
――このまま話すのもなんだし、こっちに喚ぶね。
男がそう言ってすぐに、あたりが真っ白に染まった。
「っ!!」
眩しさに、反射的に目を閉じた。
それでもまぶたに突き刺さるような光に、腕で目をかばう。
元の世界に戻されるとき以上の眩しさだった。
「もう大丈夫だよ」
その言葉に美幸は腕を下げ、目を開けた。
「ここ……どこだ?」
そこは美幸の知らない場所だった。
全体的に茶色で調えられた、レトロな家具と、本棚に囲まれた部屋。
そして目の前には、にこやかに微笑む灰色の髪の男が立っていた。