わたしの十五歳の誕生日まで、日々は変わらずに過ぎていった。
誕生日の半月くらい前から、だんだんとそわそわした気持ちになっていた。
一生に一度しかない成人の日だから、やっぱり今までの誕生日とは訳が違った。
当日に出すお茶菓子なんかを母さまと一緒に悩みに悩んで決めたり。
その日のために作ったドレスを試着して、家族に褒められて気恥ずかしい思いをしたり。
もうすぐ大人になるんだって、少しずつ実感できていって。
どこかふわふわとした心地で、わたしはその日を迎えた。
朝からバタバタしつつも、私は家族や使用人のみんなにおめでとうの言葉をもらっていた。
とはいっても、バタバタしているのはわたし以外だ。
主役はゆっくりしていなさい、と言われてしまったから。
今日ばかりはお菓子作りも手伝わせてはくれない。
母さまは自分の誕生日でも関係なく作っているのに、ちょっとずるいと思わなくもない。
ガーデンパーティーが始まる前、リュースからきれいな絵手紙が届いた。誕生日おめでとう、の言葉を添えて。
さすが公子さま、マメだなぁなんて感心してしまった。
今までは電話口で祝ってくれるだけだったことを考えると、成人の日だから特別に、ということだろう。
こういう細やかさが好きな人に対しても発揮されていれば、すぐに落とせると思うんだけども。
いつかリュースから恋愛相談でも惚気話でも聞いてみたいものだ。
自分がしあわせなものだから、そんなことを考えてしまう。
「エステル、そろそろ着替えましょうか」
部屋でのんびりしていたら、母さまがそう言ってきた。
そうか、もうそんな時間か。
確認してみたら、あと一時間ほどでガーデンパーティーが始まる。
時間厳守ではないから、遅れて来る人もいるだろうけど、逆に早めに来る人もいる。
今日はちょっとおめかしする予定だから、急がないとね。
「ジルくんはいつ来るかしらね」
部屋を出てすれ違いざまに、母さまはわたしをからかってきた。
どんな顔をしたらいいかわからなくて、結局はむっつりと黙り込む。
ジルのことだから、早めに来そうな気がする。
わたしは主役だからパーティーが始まるまでは待機してなきゃなんだけど。
そんなこと、ジルはきっと気にしない。
自分一人じゃ着られないようなドレスなんか、田舎貴族だとそんなに着る機会はない。
それはラニアが特殊なのかもしれないけれど。
自分のことは自分で、という風習は、前世の記憶のこともあって、なじみやすいものだ。
けれど、今日ばかりはそうも言っていられない。
侍女に手伝ってもらいながらドレスを着て、髪を結い、お化粧をする。
姿見を見れば、いつもよりも大人びた自分が映っている。
ううん、大人びた、じゃない。
もうわたしは、大人なんだ。
あっというまにパーティーの時間になって、わたしは会場である庭へと向かった。
エスコートしてくれているのは兄さま。父さまがしたいって言っていたらしいんだけど、主催者なんだから無理に決まっている。
「緊張しているのか?」
兄さまは歩みを止めずにわたしに話しかけてくる。
思わず見上げると、心配そうな目でわたしを見ていた。
「大丈夫です。せっかくの誕生日なんですから、楽しまないと」
「……そうだな」
わたしがにっこりと笑って答えると、兄さまも微笑みを返してくれた。
ただの強がりだって、兄さまには気づかれたかもしれない。
大丈夫、大丈夫。
今日を迎えてから何度自分に言い聞かせたことだろう。
実のところ、まったく緊張していないかというと嘘になる。
だって、今日は毎年やってくる誕生日とは違うんだ。
子どもと大人の境界線を越える日。
今日からはみんな、わたしのことを大人として扱うようになる。
もちろんたった一日で劇的に何かが変わるってわけではないんだけれど。
それでも、成人を迎えるというのは、わかりやすい一つの節目だ。
緊張の理由は、成人するからというだけじゃなかった。
というより、それよりももっと大きな理由がある。
今日、十五歳の誕生日を迎えるということは。
ジルとの約束の期限が、来たということ。
もうジルは、わたしを待つ必要はない。
きっと今日、ジルはわたしに求婚をする。
それは確信に近かった。
彼の想いがどれだけのものなのか、わたしは知っているから。
今日を逃したりはしないだろうと予想がつく。
プロポーズをする意志があることは何度も聞いていた。
それが今日だということも、はっきりとではないけれど匂わされていた。
だからわたしは、今日までずっと、心がまえをしてきた。
覚悟はもう、決まっている。
答えに今さら悩んだりはしない。
それでも、まったく緊張しないかといわれればそんなの無理な話で。
ドキドキと鳴り響く心臓の音が、みんなに聞こえてしまわないか心配になる。
「行くぞ」
気づけば、すでに庭へと出る一階のテラスの前。
外にはたくさんのお客さまが集まっているのが見える。
わたしは小さくうなずいて、兄さまと共に一歩を踏み出した。
冬の屋外は、晴天の下でも肌寒い。
この日のために作ったドレスは保温性のある生地を使っているし、あたたかいショールも巻いている。
春か秋に生まれたかったな、と毎年思うけれど、冬が嫌いなわけじゃない。
せめて晴れてくれてよかった、とほっとしながら、寒い日でも集まってくれた人たちを見回す。
すぐに気づいて近づいてきたのは、イリーナさんだった。
「エシィさん、誕生日おめでとうございます!」
「ありがとうございます、イリーナさん」
朗らかな笑顔でお祝いの言葉をくれたイリーナさんに、わたしも笑顔で応える。
こういった場では、挨拶をする順番というのはだいたい決まっている。田舎ではそこまで厳密に守る人も多くはないものの。
まずは親類縁者。次に仕事をしている人なら上司や同僚。そのあとに友人といったふうに。
イリーナさんは兄の婚約者で、義理の姉になる人だから、最初に挨拶に来たってわけだ。
ちょうどいい、兄さまを婚約者さんに返さないと。
そう思って兄さまの腕から手を離すと、兄さまは心得たようにイリーナさんの隣へと立ち位置を変える。
「そのドレス、エシィさんにすごく似合ってます。エシィさんは黄色も合うんですね」
「ちょっと挑戦してみました。似合うって言ってくれた人がいたので」
褒めてもらえたのがうれしくて、思わず口がすべってしまった。
そう、今日のために用意したドレスは明るい黄色。
厚い光沢のある生地の上に、薄く透ける生地を重ね、袖もスカートもふんわりと広がっている。
淡い黄緑色の蔦とオレンジ色の花の刺繍は、かわいらしくて春を先取りした感じだ。
瞳の色に合わせて赤紫色のバラのコサージュと、それと同じ色の髪飾りがアクセントになっている。
ショールは落ち着いた緑色。それが全体の色のバランスを整えてくれている。
「そうなんですか。その人はエシィさんのことをよくわかってるんですね」
どうやらイリーナさんはそれがどんな意味を持つのか、相手が誰なのかまでは考えが至らなかったらしい。
純粋というべきか、鈍いというべきか。
それがイリーナさんの長所でもあるけれど、兄さまが苦労していないか少しだけ心配になった。
わたしが心配するようなことじゃないというのもわかっていながらも。
それから父さまの兄弟やその家族、公家や卿家の人たちが代わる代わるやってきて、おめでとうと数えきれないくらい言ってもらった。
わたしは馬鹿の一つ覚えみたいにありがとうと返した。
ずっと笑っていて顔が引きつりそうになったけど、うれしい気持ちは嘘なんかじゃない。
もちろん社交辞令だって含んでいるのはわかっている。
それでも、祝ってもらえてうれしくない人なんていないと思う。
たくさんの人に囲まれながらも、ふとした瞬間に、視線を感じた。
それが誰のものなのか、確認しなくてもわかる。
ジルが、わたしを見ている。
その視線を意識するだけで、鼓動が速まるのを感じた。息がつまりそうになる。笑顔が崩れてしまわないよう、なんとか我慢する。
周囲を見回すようにして、こっそりと視線の主を探した。
彼はすぐに見つかった。
当然ながら、しっかりと目が合った。
ジルの瞳がわたしを捕らえて離してくれない。
予想は、確信へと変わった。
あの目は、覚悟を秘めた目だ。
止まったように思えた時間を動かしたのは、ジルのほうだった。
視線は交わったまま、ジルがこちらへと歩み寄ってくる。
彼も今では卿の一人だ。父の仕事仲間なんだから、お祝いの言葉を言いに来るのは当然のこと。
でも、彼が告げるのがおめでとうだけじゃないことを、わたしは知っている。
胸がうるさいくらいに高鳴っていて、他には何も聞こえないくらい。
ジルが目の前に来るまで、わたしは彼だけをじっと見つめていた。
「誕生日おめでとう、エステル」
「……ありがとうございます」
祝いの言葉に、なんとかわたしはそうとだけ返した。
いらしてくださってありがとうだとか、ゆっくりしていってくださいねとか、主催側としては他にも言わなきゃいけないことがあるのに。
のどがからからに乾いていて、何も言えそうになかった。
「きれいだよ、エステル。君自身が花みたいだ」
海の色の瞳が、甘やかに細められる。
ジルのことだから、きっと覚えているんだ。
『エステルには黄色い花が似合うね』
過去に自分の言った言葉を。
今日この日にわたしが黄色いドレスをまとっているのは、他でもないジルのため。
ひかりの色だと、僕にとってのエステルそのものだと、ジルが言ったから。
そのことに、ジルはすぐに気づいてくれたんだろう。
「ありがとうございます」
もう一度、わたしはお礼を口にする。
他に何を言っていいのかわからなかった。
目の前にジルがいる。それだけで胸がいっぱいになってしまって。
もうわたしには、彼の言葉を待つことしかできなかった。
「ねえ、エステル」
わたしの余裕のなさに気づいているのか、ジルは優しい口調で語りかけてくる。
やわらかな微笑み。それとは対照的に、瞳の奥に宿した、熱情。
周囲の音が、すべて消え去った。
彼以外に、何も見えなくなる。
「僕は君が好きだよ。ずっとずっと、君を見てきた」
「……知っています」
ジルが狭間の番人だったと知ったときから。
わたしは彼の想いの深さを知り、彼の想いを拒みきれなくなった。
時と共に、ジルは大切な人へとなっていって。
たった一人の愛しい人になってしまった。
「君はいつだって、僕を僕にしてくれた。君がいたから、僕はたくさんの喜びを知って、悲しみを知った」
ジルの言葉が心に染み渡っていく。
わたしだって、ジルからいろんな感情をもらった。
愛される喜びを誰よりも教えてくれたのは、ジルだ。
同じだけの想いを返したい、と願うほどに。
「待っていたんだ、この時を。君が、大人になる日を」
そう言って、ジルは懐から小さな箱を取り出した。
その中身がなんなのか、箱の大きさから予測がついた。
わざわざわたしに合わせてくれたんだろうか。
ジルはわたしの手を取って、目の前にひざまずく。
かすかに驚いたけれど、キザなポーズは彼によく似合っていた。
「エステル。君の未来を、この先の喜びも悲しみもすべて、僕にください」
これは、初めての求婚の言葉。
ジルはいつも、求愛の言葉を贈ってきた。
わたしからの想いを、わたしからの愛を、求めてきた。
けれどこの言葉は違う。
彼はもう、わたしの愛を知っているから。
その愛を、一生のものにするために。未来へと続く約束を、求めている。
「指輪、つけてください」
わたしは笑みを浮かべてそう言った。
これだけで、プロポーズへの答えになっていることは、ジルにも伝わったんだろう。
彼は心底うれしそうに表情をゆるめ、立ち上がる。
そして、箱から予想どおり指輪を取り出して。
事前に兄さまにでも聞いていたのか、迷うことなくわたしの左手の薬指へと指輪を通した。
離れていこうとする手をわたしはぎゅっと握って、彼を見上げる。
「この先の未来を、あなたと一緒に喜んで、あなたと悲しみを分かち合って、あなたと手を取って歩んでいきたいと思います」
はっきりと言葉にするのは、恥ずかしくもあった。
それで、今日この時、ジルにわたしの想いを、わたしの覚悟を伝えたかった。
「愛しています、ジルベルト」
想いと共に、彼の名を告げる。
愛しい人を呼ぶように、心を込めて。
ジルは今にも泣いてしまいそうな顔をして、感極まったかのようにわたしを強く抱きしめた。
「……本当にしあわせだと、何も言葉が出てこなくなるものなんだね」
「大げさですね」
わたしはくすくすと笑う。
しあわせなのは、わたしも一緒。
こうして、一つ一つの想いをジルと共有していくんだ。
それはとても満ち足りた未来だろう。
「エステル、僕の星のひかり。ずっと一緒にいよう」
ジルがわたしをひかりだと、そう言ってくれるのなら。
わたしはずっと彼の隣で輝き続けていたいと、心から思った。
「喜んで」
彼のぬくもりを感じながら、わたしはそう答えた。
世界を越えて、本当なら出会うことのなかったはずの人と恋をして。
これからを彼と一緒に歩んでいけるしあわせを、わたしはじんわりとかみしめた。