七十三幕 手放すことはできない

「一応、聞いておこう。本気だな?」

 ガーデンパーティーの二日後、週に一度の勉強会を終えてすぐのこと。
 エステルと想いを通わせてからちょうど一週間経ったのだとぼんやりしていた僕に、アレクは単刀直入に聞いてきた。
 一瞬、なんのことを言っているのかわからずに、目をまたたかせる。
 アレクのこの上なく真剣な瞳に、一つ思い当たった僕は、にこりと笑みを浮かべた。

「僕は初めから本気だよ。知っているでしょう?」
「だから、一応だ。大事な妹だからな」

 僕の答えに、アレクも微笑を浮かべる。
 勘に近いものだったが、望んでいた答えを返せたらしい。

「何があったのか、知っているみたいだね」

 エステルとの関係の変化を、アレクは確信しているようだ。
 どこからもれたのだろうかと、僕は考えを巡らせる。
 心当たりがないわけじゃない。一昨日のガーデンパーティーで、エステルと二人でいるところを見て、進展したのかと聞いてきた友人がいた。
 ごまかしたとはいえ、先走って噂を流したとしても不思議ではない。
 とはいえ、一番可能性が高いのは、エステルや僕を見てアレク自身が気づいた、ということだけれど。

「隠すつもりがあるのなら、場所を考えてくれ。私は目はいいほうだ」

 ため息混じりに言われた内容に、僕はそういうことかと納得した。
 どうやらその日のうちに知られていたらしい。
 たしかにあの場所はアレクの私室からでも見えただろう。エステルが心配していたように。
 抱き合う男女を見て、恋仲だと思わない人間は少ない。
 見られていたことをエステルが知れば、大いにさわぐだろうなと容易に想像がつく。
 こうして僕のほうに確認を取ったのだから、エステルにまでは言わずにいてくれるだろうと思いたい。

「君にまで隠すつもりはなかったよ」

 自分から話すつもりも、なかったけれど。
 心中は言葉にせず、僕はアレクに笑みを向ける。
 敏いエステルにすら『何を考えているのか読めない』と言われた表情だ。

「僕は、エステルがいいと言うなら、今すぐ触れ回ってもいいくらいなんだけどね」

 半ば本気で僕は言った。あとの半分は、そういう訳にはいかないと理解していた。
 エステルに変人だと言われる僕も、一応は常識というものをわきまえている。
 人ではない存在だったときの記憶があるせいで、たまに危うい思考におちいることもあるけれど。

「エステルの年を考えてやれ」
「わかっているつもりだよ。だから我慢してる」

 常識人で、かつ妹思いのアレクは、エステルに同情的だ。
 彼の言うことももっともで、まだ成人してもいないエステルと、八つも年の離れた僕とが恋仲と知れれば、周りは好き勝手に噂を広めてくれることだろう。
 最低限、エステルが成人するまでは、この関係は隠しておくべきだ。
 エステルを傷つけたくはないから、我慢できる。
 秘密の関係というのもそそるものがあるし、と冗談が思い浮かぶくらいには、今の僕には余裕があった。

「おめでとうと、言ったほうがいいんだろうか」

 言葉とは裏腹にアレクは眉をひそめていた。
 どう見ても、祝おうとしているようには思えない。

「お好きにどうぞ」

 そんなアレクに、僕は笑ってみせた。
 眉間のしわをさらに増やしたアレクに、僕はふと思い出す。

『想いを通い合わせたときは、友として、義兄として祝福する』

 もう十年近く前になる、アレクの台詞だ。
 あれは僕が狭間の番人かどうかを尋ねる前口上だった。
 あの言葉はアレクの誠意そのものだったんだろう。嘘でもなんでもなく、そのときはそう思っていたんだろう。
 仮定が現実になってみれば、アレクはしかめっ面を崩さないわけだけれど。
 彼の心中を思えば、それも仕方がないことなのかもしれない。

「複雑、って顔してる」

 僕はアレクの眉間のしわをつついた。
 アレクは虚をつかれたのか軽く目を見張り、それから苦笑を浮かべる。

「いずれおまえが親類になるかと思うとな」
「気が早いよ。まだ婚約すらしていないのに」
「一度手に入れたものをおまえが手放すとは思えん」
「そのとおり、だけどね」

 ずっと、想いを返されることを願っていた。
 あきらめるなんて考えは最初から頭になく、エステルが根負けしてうなずいてくれる日を、夢見てきた。
 けれど実際は、彼女は自分から僕を捕まえにやってきて、僕の名前を甘い声で紡いでくれた。
 夢よりもできすぎた現実だ。しあわせという言葉だけでは表しきれない。
 そのしあわせを、僕はもう手放すことはできないだろう。
 どんな手を使ってでも、エステルを僕に縛りつけるだろう。
 婚姻、というのはその手段として一番現実的で、僕にとって一番理想的なものだった。

「タイミングは考えているよ。僕もそれほどは待てないから」

 エステルのすべてを手に入れたいのなら、タイミングは重要だ。
 アレクが慎重にイリーナ嬢との関係を進めていたのも、今なら気持ちがわかる。
 わかるだけで、自分には真似できそうにないけれど。

「十五の誕生日、か」

 アレクのつぶやきに、僕は否定も肯定もしなかった。
 あと三ヶ月と少し先の、エステルの誕生日。
 エステルが、大人になる日。
 さすがアレクだ。僕の考えなんてお見通しらしい。

「今はまず、自分のほうをどうにかしないと」

 僕の言葉に、アレクはいたわるような視線を向けてくる。
 そんなに心配するようなことはないのに。
 ずっとそのために育てられ、学んできた。いずれアレクも経験することだ。
 僕はただ、自らに課せられた役割を果たすだけ。

「エステルには伝えてあるのか?」
「まだ。……伝えるべき、かな」

 アレクの疑問は当然のものだ。
 僕がそう聞くと、アレクは仕方のない奴だな、と言いたげにため息をつく。

「彼女との未来を考えているのならな」
「考えているよ、僕のほうはね」

 僕のほうは、というところを強調して告げる。
 エステルはどうなんだろうか。
 想いが通じたことで、僕はもっと欲深くなってしまった。もっとたしかなものが欲しくなってしまった。
 エステルのいない未来なんて恐ろしくて想像もできないほどに。
 まだ恋を始めたばかりのエステルには、僕の抱いている想いは重いだろう。
 それに加えて、外的な責任までついてくるのだ。

「少し、怖いんだ。重荷を背負わせることになるんじゃないかって」

 アレクの、エステルと似た色の瞳を見ていられずに、僕は目をそらす。
 僕やアレクと同じように彼女が卿家の一員として学んでいることは知っている。それでも、まだ成人すらしていないエステルには、実感のないことかもしれない。
 エステルは優しい。そして、責任感も強い。
 今さら僕を、僕の背負うものを放り出したりはしないだろう。
 そうわかっていても、もしかしたら、と思う自分を止められない。
 もし、エステルに拒絶されてしまったら。
 今度こそ僕は、狂ってしまうかもしれないから。

「早いか遅いかというだけの違いだろう。エステルも卿家の娘。わかっているはずだ」

 冷たくも聞こえる冷静な声に、少しだけ心が落ち着く。
 僕がイーツ家の養子になった時から覚悟していたように、エステルもずっと、覚悟を胸に秘めていたんだろうか。
 そうならいい。そうであってほしい、と僕は願った。

「……家のことを終えたら、挨拶に来るよ」

 プロポーズをする前に、相手の親に挨拶に行くのは暗黙の了解だ。
 アレクもイリーナ嬢との婚約の許可を取るため、大公に手紙を出していた。
 それを知っているのは、僕が添削を頼まれたからだ。
 現実主義者のようでいて、この国では恋愛結婚が主流であることに夢を持っているエステルは、気づいていないかもしれないけれど。
 婚姻を結ぶということは、家同士のつながりができるということ。
 親の許可を得られずとも婚約や結婚はできないわけではないものの、どうしたって世間の風当たりは強いものになる。

 二年ほど前に交わした約束を思い出す。
 来年はプレゼントを贈らないで、とエステルは言った。まだ子どもだから、プレゼントをもらってもどうすることもできない、と。
 気持ちのこもったプレゼントは、形にされたプロポーズは、あの時の彼女には重すぎたんだろう。
 ただ、自分の想いを知ってほしかった、というのは僕のわがままだった。
 想いを受け取ってもらえないことは悲しかったけれど、きちんと考えてくれたことがうれしくもあった。
 大人になったら受け取ってもらえるかと聞いた僕に、エステルは僕が贈りたいのならと返してきた。
 明言はされていない。それでも、あれはエステルなりの許容だった。

 あれから二度の誕生日が、プレゼントを用意することなく過ぎ去った。
 次の彼女の誕生日。すでに何を贈るかは決めてある。
 僕の想いはあの時から変わっていない。いや、むしろ年を追うごとに強く深くなっていく。
 エステルは約束どおり、受け取ってくれるだろうか。
 今は、受け取ってもらえるだけでいい。身につけてもらえなくてもいい。
 僕へ向けられた好意を、きちんと感じ取れるから。

「待っている」

 静かなアレクの声が、二人の間に落ちる。
 アレクなりに僕を、妹の相手として認めてくれているのだと、その声音から伝わってくるから。


 彼の瞳をまっすぐ見て、僕はありがとうと告げた。



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