六十八幕 共に未来を歩む可能性

――本当に?

 わたしは何度も、自分に問いかける。
 本当に、わたしはジルのことが好きなの?
 勘違いだとか、今はただ混乱しているだけとかじゃなくて。
 ジルだけが特別だって、ジルじゃなきゃダメなんだって、本当にそう思っているの?

 混乱していないということは、ないと思う。
 現世でのファーストキスをむりやりうばわれて、混乱するなというほうが無理だ。
 いきなりだったし、その前から冷静ではなかったし。
 嫌だとかそんなことを感じる余裕もなかっただけなんじゃ、なんて思わなくもない。

 でも、考えるまでもなく、答えは出てしまっていた。
 わたしの直感が告げている。
 この想いは嘘でも、勘違いでもない。

 わたしはジルのことが好きなんだ、と。

「……どうしよう?」

 自覚させられてしまったわたしは、まず頭を抱えたくなった。
 だって、今はガーデンパーティー中。
 わたしも少ししたらパーティー会場に戻らないといけない。
 ジルも、わたしの家族も、友だちもいる場所に。
 こんなぐちゃぐちゃな思考で?
 こんな……ジルのことでいっぱいになった状態で?

 顔に熱が昇っていく音が聞こえた気がした。
 どうしよう。本当にジルのことしか考えられない。
 結局ほだされちゃったなとか、美形に敵うやつはいないのかとか、今までよくあの口説き攻撃に耐えられたなとか。
 熱のこもった海の色の瞳や、やわらかそうな白金の髪。
 甘さを含んだ微笑みに、わたしの名前を呼ぶきれいな声。

 こんなにジルのことを記憶していたんだ、と今さらながらに思う。
 ずっと一緒にいたから、当たり前のように過ぎていた日々の中に、彼が存在している。
 その一つ一つを、そっとすくい上げて、大切なもののように感じている自分がいる。
 よくこれで、好きじゃないだなんて今まで思えていたものだ。
 自覚した瞬間、一気に押し寄せてきた想いに翻弄されてしまう。

 人の声が聞こえて、わたしはビクリと身体を揺らした。
 いつのまにかみんながいる近くまで戻っていたんだろうか。

「そんなに心配することはないんじゃないか?」
「でも、ずっと姿が見えないんだもの」
「エステル嬢なら大丈夫だろう。下手すると君よりもしっかりしてる」
「まあひどい」

 聞こえてきた声は男女二人のもの。
 しかもどちらも聞き覚えがある……というよりも、これは。

「エレさん……?」

 ちょうど陰になっていたしげみから出て、わたしは二人と対面する。
 エレさんと、エレさんの婚約者さん。
 二人は急に現れたわたしに目を丸くした。
 わたしの話をしていたみたいだし、そのタイミングで出てきたら驚きもするだろう。

「エシィちゃん、大丈夫?」
「はい……たぶん」
「たぶん? ……どうかしたの?」

 心配そうに聞いてくるエレさんに、わたしは肩の力が抜けた。
 よかった。もしかしたら、どうにかなるかもしれない。
 目の前の人たちを頼ることになるけど、今、パーティー会場に戻ることはできない。
 誰よりも、ジルと顔を合わせることができない。

「あの、エレさん、お願いがあるんです」
「何かしら」
「具合が悪くなった、ということにしてほしいんです」

 思いついたのは単純なことだった。
 席を外している間に具合の悪くなったわたしは、そのまま家族よりも先に帰る。
 家族にはエレさんに言伝を頼めばなんとかなるだろう。
 これならわたしは一度もガーデンパーティーに戻らなくてすむ。

「具合が悪く? エシィちゃんが?」
「お願いします、エレさん」

 わたしはすがるような思いで頭を下げた。
 何もずっと、ジルから逃げるというわけじゃない。
 今だけは、落ち着くまでは、顔を合わせずにいたかった。

「……わかったわ。何があったかはわからないけれど、こんなエシィちゃん、放っておけないものね」

 エレさんはそう言って、後ろの男性を振り返る。
 婚約者さんは一つため息をついてから、口を開いた。

「屋敷の人に言って馬車を出してもらおう。シュア家までは距離があるからな」
「すみません」
「謝罪よりはお礼がいいな」
「……ありがとうございます」

 お礼の言葉に笑みを深めて、彼はその場から去っていった。
 この屋敷の人に話をつけに行ったんだろう。
 同じ卿家の人だから、人となりはだいたい知っている。
 頭の回転が速くて、きっちりしていて、でも気配り上手でユーモアも持っている人だ。
 改めて、エレさんとお似合いの男性だと思った。

「何があったのかは教えてくれない?」

 エレさんがわたしの顔を覗き込む。
 その新緑の瞳に、ごまかしは通用しないと言われている気がした。

「その……わたしもまだ、整理がついてないんですけど」

 そう前置きをしてから、わたしはエレさんと目を合わせる。

「わたし、ジルのことが……好き、みたいなんです」

 言葉にして、実感する。
 わたしはジルのことが好きなんだ。
 気のせいでも、勘違いでもなく、本当に。
 好きで好きで仕方がないんだ。
 頬だけじゃなく、全身が熱い。きっと真っ赤になっているだろう。
 あらまあ、とエレさんは口に手を当てていた。

「エレさんには言っておかなきゃいけない気がして。気づいたばかりで、今、どうしていいかわからないんです。ジルに顔を合わせづらくて……ご迷惑をおかけしてすみません」

 言葉がうまくまとまらなくて、自分でも何を言っているのかわからなかった。
 でも、ジルのことで仲良くなれたエレさんには話しておかなきゃいけないことだと思う。前に相談に乗ってもらったこともあったし。

「だから、一時撤退ってわけなのね。わかったわ」

 何が楽しいのか、エレさんはくすくすと笑っている。
 一時撤退。言葉のとおりだ。
 今はジルの前から逃げて、いずれ再戦しなくちゃいけない。
 ……この想いと、向き合わなくちゃいけない。

「それにしても、女の子してるエシィちゃんが見れるなんて、役得だわ」
「面白がってませんか?」
「人の恋路は面白いものよ」

 エレさんの言いように、わたしはむうとふくれる。
 たしかに、アンのときなんかは見物に回っていたから、人のことは言えない。
 それでもいっぱいいっぱいのときに揶揄されると、拗ねたくもなる。

「ゆっくり悩みなさいな。ジルは間違いなく喜ぶわよ」

 それくらい、わかってる。
 ただ、今は少し、距離を置きたいだけ。
 そもそも気づいた原因はむりやりキスされたからで。
 いくらわたしも悪かったとはいえ、そのことを許したわけじゃないのだ。

「……考えてみます、色々」

 答えが出たからって、そこで終わりじゃない。
 ジルとの関係を変えていきたいんなら、わたしも努力しないといけない。
 好きという気持ちだけじゃ、いけないんだ。


 ジルと共に未来を歩む可能性を、わたしは考え始めている。



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