「ジルベルトさんとの噂でしょ? わたしも知ってる」
かわいらしく小首をかしげて、リゼはわたしの疑問に答えてくれた。
「……やっぱり、広まってるんだ」
わたしはリゼの答えに脱力した。
アンに聞いた噂がどれだけ広まっているものなのか確かめようと、家に遊びに来たリゼに聞いてみた。
その結果は、前述のとおり。
「わたしが知っているのは、ガーデンパーティーで聞いたから。学校では、わたしの学年では聞いたことないわ」
「そう、さすがに違う学年までは広がっていないのね。よかった」
ガーデンパーティーに出られるのは、卿家とつながりのある家の人たち。
とはいっても普通にお友だちを呼んでいいから、身分なんて関係ない。
元々ラニアでは貴族と平民との間の垣根なんてあってないようなものだし、同じ学校に通う人たちでガーデンパーティーに来ている人は、それなりにいる。
だからリゼの学年で言われていてもおかしくはなかったんだけど……さすがにそこまでわたしの顔も広くない、のかな。
「でも、パーティーではみんなそう話しているわ。ジルベルトさんとエシィはお似合いだって」
にこり、と悪意のない笑みをリゼはこぼす。
それにほだされそうになるけれど、言っている内容はわたしにはうれしくないものだ。
「八つも離れていて、お似合いだなんて……」
「エシィは大人っぽいもの」
そんなことはない、と完全に否定できないのは、前世の記憶を持ってしまっているからだ。
どうしたって、精神年齢が高くなってしまうのはしょうがない。
大人になれば個性ですむかもしれないけれど、まだ子どもと呼ばれる年齢のうちは、際立ってしまうのかもしれない。
けれど、恋愛対象になるのは別にわたしだけじゃないと思う。
ニコニコと微笑んでいるリゼだってもう十二歳。ずいぶんと美少女に成長した。
金の髪はさらに輝きを増し、さらさらのふわふわ。水色の瞳は澄んでいて、吸い込まれてしまいそう。
ローリー、ぼやぼやしていると他の男にかっさらわれちゃうぞ。
お人好しの幼なじみを思い出して、今度からかってやろうかなんて考えてしまった。
* * * *
今日は公家で開かれたガーデンパーティーに来ている。
卿家や一般の家で開かれるものよりも、やっぱり料理なんかが少し豪華だ。
そして隣には……当然のようにジルがいる。
ジルが一緒にいるとき、他の人が近寄ってこないなぁとは前から思っていたけれど、なるほど、あの噂のせいだったのかと今さら思い当たる。
「ジル、もしかしてわたしを囲い込もうとしてませんか?」
噂の当事者であり元凶でもあるジルに、わたしは直接文句を言うことにした。
「そういうつもりはないよ」
ジルは不思議そうにすることなく、否定を口にする。
わたしがなんのことを言っているのか、わかっているんだろう。
ということは、噂の存在をずいぶん前から知っていたということで。
否定がまったくもって真実味を持たない。
「なら、どこかに行ってください。こうしてジルがいつもわたしのところに来るから、そういう噂が立つんです」
「嫌?」
「嫌に決まってます」
キパッとわたしは答える。
ジルが少しだけ悲しそうな顔をする。
……罪悪感を覚えたりなんてしないんだから。
「そう、でもごめんね。いくらエステルのお願いでも、それは聞けないな。エステルとの時間を減らしたくなんてない」
「だからってお友だちとの時間を減らすのもどうかと思いますよ」
「そこは大丈夫。毎回ちゃんと話もしているし、彼らとの時間は別にこの場じゃなくても取れるからね」
それはわたしもわかっている。
ジルはわたしのところに来る前に、兄さまや他の同年代の人たちの輪に入っていっている。
友だち付き合いをおろそかにしているわけではないんだろう。
実際、わたしだってリゼとはガーデンパーティー中にはほとんど話さないことだってあるし。
アンなんて、家の手伝いが忙しいというのと、性に合わないだとかって理由でガーデンパーティー自体に来たことがない。
それでも友だちを続けていられるんだから、この場じゃなくても、というのもたしか。
「それに、彼らも理解してくれている。僕にとって君がどれだけ大切なのかということを」
ジルはわたしの髪に手を伸ばす。
なでるようにわたしの髪をすいて、一房を手に取る。
ジルの手の中に収まった茶色の髪を、わたしは複雑な気持ちで眺める。
「……そんなこと言ってるから、噂が悪化するんですけどね」
そんなことをするから、というのも心中で付け足す。
間違いなく、噂に火種と薪を加えているのはジルの言葉と行動だ。
わたしが何を言ったところで、ジルが態度を改めてくれなければ噂は消えないだろう。
わかっているから、嫌になる。
ジルが態度を改めることなんてないだろうから。
つまり、噂はどうしたって消えない、ということになってしまう。
「噂は噂。気にしなければいいんだよ」
「気にもなりますよ。噂っていうのは時に真実すら変えてしまうんですから」
「このことに限って言うなら、そうはならないと思うよ」
「どうしてそんなことが言えるんですか?」
わたしは隣にいるジルを見上げる。
「エステルはそう簡単に囲い込まれてくれないって、わかってるから」
そう言って、ジルは手に取っていたわたしの髪に口づける。
何か反応するのも面倒で、わたしはそれを放置した。
こんなんだから、噂が広がるんだ。
少しは人の目というものを気にしてほしいと思うのは、おかしくないだろう。
「……囲い込む気満々に聞こえるんですが」
わたしの言葉に、心外だとばかりにジルは苦笑する。
「ちゃんとエステルの気持ちを優先するつもりはあるよ」
「いまいち信じられません」
ジルの言葉だとか、行動だとか。
彼にそのつもりがなかったとしても、周りはそれをちゃんと聞いているし、見ている。
そして判断するんだ。わたしとの関係性を。
二十一歳が十三歳を口説く異常性は、あまり問題視されていないらしい。
たぶんそれは、ジルがわたし以外の女性を見ようとしないことと、わたしの落ち着きっぷりが理由なんだろう。
そういうものだ、と思わせてしまう説得力があるんだろう。
でも、噂に気持ちを決めつけられているわたしはたまったもんじゃない。
「……エステルは、僕に口説かれるのは迷惑?」
海の色の瞳が、かすかに陰る。
何かに怯えるような表情をわたしに向けてくる。
その目は、ずるい。
「迷惑というか……時と場所を選んでほしいだけです」
わたしは視線をそらしながら答えた。
以前なら、はっきり迷惑だと言えたのに。
彼の秘密を知ってから、彼の想いの理由を知ってから、強く拒絶することができなくなってしまった。
いや、それだけじゃなく、弱っているところを見られてしまったというのも大きいのかもしれない。
失恋して、彼の胸を借りて泣いたとき。
わたしはたしかにジルのぬくもりに安らぎを覚えてしまったのだから。
「たとえエステルが嫌がっても、迷惑がったとしても、やめることはできないんだけどね」
「ジル……」
悲しそうな微笑み。
瞳をそらしたままにすることを、ジルは許してくれない。
顎を持ち上げられて、ジルと見つめ合う。
ジルは、本当にわたしのことが好きらしい。
その事実を否定することは、瞳に込められた想いを見せられると、どうしてもできなくて。
どうしようもなく……困る。
アンの戸惑うという気持ちが、わかった気がする。
どう想いを返したらいいのか、そもそも返せるのかもわからなくて、戸惑ってしまうんだ。
「いつかエステルが、僕の名前を呼んでくれるまで」
言いながら、ジルの親指がわたしの唇をなぞる。
くすぐったくてやめてほしいのに、ジルの瞳に見つめられると動けなくなってしまう。
「僕は君に、愛をささやき続けるよ」
ジルの唇が笑みを形作る。
落ちない女はいないだろう、という魅力的な微笑み。
まるで毒のようだ、とわたしは思った。
だんだんと、ジルに侵されてきているような気がしてくる。
大海に一人取り残されたかのような心許なさがわたしをおそう。
わたしの唇に触れた指を、ジルは自分の唇に当てて……ぺろりと舐めた。
間接キスだ、と気づいたのは、数秒後。
まるで唇を直接舐められたかのような衝撃を与えられ、わたしは羞恥に震えた。
「じっ、ジル!!」
真っ赤になってわたしは叫んだ。
誰かに見られていないだろうか、と周囲を見回す。
目が合った人たちは、わたしの声にこちらを向いた人ばかり。
ちょうど誰もこちらを見ていなかったのか、それとも見ないふりをしてくれているのか。
見られていなかったとしても、ジルがしたことがなくなるわけじゃない。
思いきりジルを睨むと、彼は苦笑した。
わたしの怒りを甘んじて受ける、とばかりに。
その表情すらどこか色っぽくて、わたしは何も言えなくなった。
「馬鹿の一つ覚えみたいだけどね」
なんの話だ。
と言いそうになったけれど、話がつながっていることに気づく。
愛をささやくことが、ということか。
たしかに今さらかもしれない。
何しろわたしが幼児と呼ばれる年齢のころから、ずっとこの調子なんだから。
口説いて、つっぱねて、行動に移して、怒って。
それをくり返し続けてきた。
馬鹿の一つ覚え、というのはわたしもなのかもしれない。
それでも、この関係が変わらないうちは。
……わたしが、変えようとしないうちは。
たぶん、馬鹿の一つ覚えが、くり返されてしまうんだろう。
確信に近い、嫌な予想に、わたしはため息をついた。