翌日、リュースとの電話の内容をジルに話して聞かせた。
リュース自身の恋愛話については、口をつぐんでおいたけれど。
第二公女さまの結婚話は、他の人に話してもいいという了承を取ってあった。なんでも都ではすでに噂として広まりつつあるらしい。近々、ちゃんと発表するんだとか。
エレさんのところもそろそろ結婚するって話が出ていたから、おめでたいことが続くね。
最初は微笑みすら浮かべながら話を聞いていたジルは、だんだんと表情がなくなっていった。
いつもわたしといるときは笑っていることが多いから、無表情のジルなんて不気味だ。
何か変なことでも言っただろうか? と考えてみても特に思い至らない。
どうしたのか聞いてみよう、と思ったタイミングで、ジルは当てつけるようにため息をついた。
「ねえ、エステル。わざとではないんだよね?」
「何がですか?」
意味がわからなくて、わたしは首をかしげる。
「僕に嫉妬させたいのかなって」
ソファに身体をあずけながら、ジルはむすりと拗ねたような顔をする。
その表情と、その言葉に、わたしはきょとんとしてしまった。
「嫉妬……したんですか?」
「するなというほうが難しい話だと思うけど」
「だって、別に何もないんですよ?」
嫉妬の対象がリュースなのはわかる。今わたしが話していたのは、リュースとの会話の内容なんだから。
でも、どうしてジルがリュースに嫉妬したのかは、よくわからない。
わたしにはジルがいて、リュースはただの友だちで。しかも都とラニアはだいぶ距離が離れている。
だから、嫉妬するようなことなんて何もないと思うんだけど。
ジルは何に嫉妬したというんだろうか。
「長い時間楽しそうに話していたのに、何もない?」
ジルは眉をひそめ、身を起こした。
隣に座るわたしとの間にあいていたわずかな距離をつめ、顔を近づけてくる。
「あの、ジル、怒ってる……?」
戸惑いながら、わたしはそう聞いてみた。
ジルの顔は見るからに不機嫌そうで、あまりこういう表情を向けられたことのないわたしはビクビクとしてしまう。
なまじ整った顔立ちをしているだけに、迫力があって怖いのだ。
「怒ってるんじゃない。言ったでしょ、嫉妬しているんだって」
ジルの声は淡々としていた。
けれどそこにひそむ感情の波は、わたしにも伝わってくる。
抑え込まれた激情に、胸がズキンと痛む。
それは悲しみと罪悪感の入り混じった、複雑な思いからだった。
「第三公子は過去にも嫉妬の対象になっていたこと、賢いエステルなら当然覚えているよね。エステルはラニアが好きだから、都に嫁ぐことはきっとないだろうって、あの時はそれだけが支えだった。なのにいまだに交流があるって知れば、嫉妬もするよ」
過去とは、わたしが十二歳のときのことだろう。
シュア家とイーツ家が同時期に都へと行ったことがあった。
わたしとリュースが仲良くなったのも、そのときの出会いがあったから。
嫉妬したジルに、頬に口づけされたことはちゃんと覚えている。
ジルが狭間の番人だったことを知るきっかけにもなったのだから、忘れるわけがない。
「そんな、気は合うけどただの友だちですよ。そもそもお互い最初から対象外でしたし」
「それは当人同士の認識でしかない。周りから見たら違うものだよ」
反論にさらに反論を返されて、わたしは他になんて答えたらいいのかわからなくなってしまった。
どう言われたって、リュースは友だちだ。それは変わらない。
主観と客観が違うことはわかっているけれど、そんなことどうにもならない。
すぐ近くからわたしを見つめる海の色の瞳を覗き込む。
困った顔をしているわたしが映っていた。
「わ、わたしが……わたしが、好きなのは」
「好きなのは?」
「ジルベルト、だけです」
なんだか泣きそうになりながらも、わたしははっきりと言葉にした。
ジルはわたしの大切な人。他の人とは比べられないほどに、特別な存在。
わたしはもう、一番を決めてしまっている。
変えようだなんて思えないし、変わるわけがないと思っている。
嫉妬なんてする必要はないくらい、わたしはジルのことが好きだ。
「……ごめん、これじゃ言わせたようなものだよね」
ジルは自嘲するように表情を歪めて、そっとわたしの目尻に口づけを落とした。
泣かないで、と言うように。
まだ、泣いてはいない。少しだけ泣きたくはなったけれど。
敏いジルのことだから、わたしの悲しみも伝わってしまったんだろう。
「わたしの気持ちを、疑わないでください」
「疑ってはいないつもりだよ。けど、嫉妬してしまうのはどうしようもないんだ」
「リュースは、友だちです。わたしはジルのために、友だちにする人を選ぶことはできません」
好きな人のために、他のすべてを犠牲にできるほど、わたしは盲目にはなれない。
ジルが好き。でも、ジル以外の大切な人たちのことも、忘れたくはない。忘れてはいけないんだと思っている。
家族や、友人。ガーデンパーティーでよく顔を合わせる人たち。
人とのつながりというものは、かけがえのないものだ。
恋人に合わせて付き合う人を変えるなんて、そんな器用なことはできない。
「うん、それでいいよ。それが正しい」
ジルもそれはわかっているんだろう。苦笑しながらそう言った。
わかっていても、嫉妬してしまうんだろう。
嫉妬とは、自分ではままならない感情なのかもしれない。
「でも……ジルに嫌な思いも、してほしくないんです」
嫉妬されることが嫌だというわけじゃない。それだけ愛されているのだということでもあるから。
それでも、嫉妬というのはつらいものだろうと思うから。
できることなら、ジルを苦しませたくはない。
「どうすれば不安を取り除けますか?」
まっすぐ目を合わせながら、問いかけた。
悲しい思いはしてほしくなかった。
それが無理だというのなら、少しでも、軽くしたかった。
「キスしてもいいかな」
海のような青緑色の瞳が深みを増す。
わたしをおぼれさせようとでもするように。
熱を持った瞳にドキッとしながら、わたしは小さくうなずいた。
ジルとの間の距離が、なくなる。
男の人のものとは思えないやわらかな唇が降ってきて、ついばむように口づけられる。
初めは軽く、少しずつ深まっていく口づけ。
上唇を舐める舌に、わたしはおずおずと口を開く。
「ん……っ」
思わず声がもれてしまって、恥ずかしさにぎゅっと目を閉じた。
舌を絡め取られて、なすすべもなく翻弄されてしまう。
力が抜けていく身体を、ジルは優しく抱き寄せる。
脇腹をなで上げるように触れられて、わたしはビクリと身体を震わせた。
離さない、とばかりに腕の力が強まる。
長い長い口づけが終わると、わたしは息も絶え絶えになってしまっていた。
息を整えようとするわたしを見てジルは微笑む。
そして、今度はわたしの首筋にキスをした。
「じ、ジル……!」
わたしはぎょっとして、ジルの胸を押して距離を取ろうとする。
でも、ジルは抱きしめる力をゆるめてはくれない。
腕の中から抜け出すことはできずに、わたしは結局あきらめて、おとなしくジルに身を寄せた。
早鐘を打ち続けている鼓動はなかなか収まりそうにない。
ジルはわたしを動揺させるのが本当に上手だ。勝てる気がまったくしない。
身体をあずけたままジルを見上げると、彼はやわらかな笑みをこぼした。
「年の差は、どうやったって埋められないものだから。また、些細なことで揺れてしまうかもしれないけど。そのときもこうして、安心させてくれる?」
それは問いかけというよりも、確認だった。
少しは、彼の不安をなくすことができたんだろうか。
ジルの笑顔に影は見えない。
触れ合うことで、不安が消えてなくなってくれるというなら。
「……しょうがないですね」
なんとなく騙されているような気もしつつ、わたしはそう答えた。
ジルは繊細なところがある。彼の心の負担を少しでも減らせるなら、わたしはなんでもしてあげたい。
何より、わたしだってこうして触れ合うことは悪くはないと思っている。むしろ、うれしいと言ってもいいかもしれない。
恋人で婚約者なんだから、何も後ろめたいことはないのだし。
ジルのぬくもりを感じることができるのは、しあわせなことだ。
心臓がいくつあっても足りないかもしれない、とは思うけれど。