わたしが十五歳になって――さらに言うなら、ジルと婚約して、今日で一週間。
お祝いの手紙や贈り物が届いたりと、まだまだあわただしかったりする中、その電話はかかってきた。
『わざわざ時間差のある手紙で知らせてくるあたり、おまえも性格悪いよな』
ムスッとした、不機嫌そうな声。
思わずわたしはくすりと笑みをこぼしてしまった。
電話をかけてきたのは、遠く都に住む、第三公子リュシアン・カル・プリルアラートその人だ。
今でも定期的に手紙のやりとりをしていて、たまにこうして彼から電話がかかってくる。
五番目の子どもとはいえ直系の王族。忙しい日々を過ごしているのに、いまだに交流が途絶えないことにびっくりだ。それだけリュースがマメだってことだろう。
そして今回、彼がこんなむっすりとした声をしている理由は、わたしが一週間前に出した手紙にある。
婚約しました、というご報告を、誕生日祝いの手紙のお返事も兼ねて、手紙にしたためたわけだ。
もちろん都まで距離があるからその日のうちには届かないし、王族への手紙は一度すべて開封されて中身を確かめられる。
リュースがわたしの手紙を手に取って読んだのは、たぶんつい今さっきのこと。
事後報告となったことを、しかも不可抗力とはいえ一週間も遅れたことを、リュースは怒っているらしい。
「こちらからリュースに電話できるわけないでしょう。リュースの予定なんてラニアにはまったく伝わってこないんですから」
王族への電話には取り次ぎ役がいる。
各人の予定と、電話の要件の優先度を鑑みて、取り次いでもらうわけなんだけれど。
わたしからリュースに電話をしたことは、過去に一度もない。
田舎貴族がそんな恐れ多い、なんて殊勝な心がまえなんかではなく、リュースが忙しいことを手紙で読んで知っているからだ。
とはいえ、今回の場合は実のところ。
婚約報告を電話でというのは味気ないかな、という理由が一番だったりもする。
『暇な時間は伝えてあるだろ。おれがいないときはまたかけ直せばいいだけの話だ』
「片田舎の奥ゆかしい令嬢にそんなことができるわけありません」
『どこが奥ゆかしいんだ、どこが』
納得がいかないというように、リュースはぶつくさ文句を言う。
奥ゆかしいというのが冗談のつもりだってことくらいは彼もわかっているはず。
それでもつっこまなければ気がすまないのは、真面目な性格ゆえだろうか。
『……まあ、いい。おめでとうと言っておこうか』
ため息を一つついたあと、彼は軽い調子でそう言った。
今、リュースがどんな表情をしているのか、なんとなく想像ができた。
きっと、金色の瞳を和ませて、でも口は意地悪そうにニヤリと笑っている。
「ありがとうございます、と言っておきます」
わたしも同じような調子でお礼を返した。
なんだかんだで、リュースと気が合うと思うのはこういうときだ。
きっと、リュースとわたしはどこか似ているところがあるから、話していて気が楽なんだろう。
どんな理由があるにせよ、彼との交友関係が今も続いていることは、喜ばしいことだ。
『それにしても、十五の誕生日に婚約とは、おまえも相手も踏み切ったものだな』
「否定はできません。年の差もありますし」
八歳差というのは、プリルアラートでは……特にラニアのような田舎では、悪目立ちする。
ガーデンパーティーという子どものころからの社交場があるからか、プリルアラートでは幼なじみで結婚する率がそれなりに高かったりする。
子どものころに遊び友だちと婚約して、大きくなったら結婚、というのもめずらしくない。
そして子どものころから知っているからこそ、年が離れている場合は恋愛感情を抱きにくい。
もちろん大人になってから知り合って結婚した人たちも多くいるし、十以上年が離れていることだってないわけじゃない。
ただ、前世の世界と比べてしまうと、どうしても目立ってしまうなと思わざるをえない。
今回のわたしたちのように、成人してすぐ、となると余計だろう。
『言いたい奴には言わせておけ。どうせおまえは気にしないんだろうが』
励ますようでいて、からかいも含んだような、リュースの声。
そこにたしかに気遣いが込められていることは、疑いようもなかった。
「相変わらず、リュースはわかりにくく優しいですね」
『別に、優しくしたつもりはない』
つんとすました声に、わたしは苦笑するしかない。
まったく、素直じゃないな、この人は。
心配していると、はっきり口にするのは気恥ずかしいんだろう。
それとも、おまえのことだから心配はしていない、と言いたいのかもしれない。
どちらにしても、うれしいことには変わりないけれど。
「リュースの助言が役に立ったこともありましたよ」
『それはよかった』
「遅くなりましたけど、ありがとうございました」
理解できないとつっぱねる前に、理解しようとする努力をすること。
ジルのことを反射的に拒みたくなったとき、わたしは何度もその言葉を思い出した。
ジルに歩み寄ろうと思えたのは、ジルの好意を受け入れられたのは、リュースの言葉のおかげでもある。
リュースは少し沈黙してから、気にするな、と言った。
照れているのだとわかって、わたしは密かに笑みをもらした。
『そうだ、こちらもめでたい話があるぞ。早ければ今年中に、ラーラが結婚する』
唐突な話題転換に、わたしは目をぱちくりとさせた。
ラーラというのは第二公女クラーラさまのことだ。
王族の結婚は、第一公女さまが八年ほど前に結婚されて以来だから、たしかにおめでたい。
「それはおめでとうございます。でも、思ったよりも遅かったですね。婚約期間、十年以上でしょう?」
『色々あったんだ、本当に色々』
リュースは深々とため息をつく。
彼を疲れさせるような色々ってなんだろう。地味に気になってしまう。
『知ってるか? 実はおまえたちが都に来たとき、婚約が白紙になるんじゃとささやかれていたんだ』
え、と思わず声がもれた。それは初耳だ。
田舎にいるのもあって、わたしの情報収集能力はそれほど高くない。都のことならなおさらに。
「あー、もしかして兄さまのせいですか?」
もしや、と思ってわたしは確認してみた。
わたしたちが来たとき、というタイミングのよさからして、推測はついた。
わたしがリュースと仲良くしていたように、兄さまは何度か第二公女さまにお茶に呼ばれていたようだった。
大公さまには何かしらの考えがあったんだろうとは思う。
必要以上にツンツンしていたリュースを心配していたように、第二公女さまにも何か問題があったのか。
それとも、もっと違う何かがあったのか……わたしにはわからないけれど。
『元はそうだな。ラーラと父の悪だくみやら相手の勘違いやら、いろんな要因があったわけだが』
「悪だくみって……」
何をやっていらしたんですか、第二公女さまと大公さま。
リュースとわたしを引き合わせたこととは、また違う悪だくみをしていたってことだよね。
いったい都で何があったんだか。
ただの田舎貴族に、王族のみなさんの深謀遠慮を推し測れというほうが無理な話だ。
『聞くと後悔すると思うぞ』
「じゃあ、やめておきます」
キパ、とわたしは答えた。
下手に首をつっこんでもいいことはない。引き際は大切だ。
好奇心は猫をも殺す、と言うしね。
『賢い選択だな』
リュースもそう言っているし、詮索するのはよそう。
気にならないわけじゃないんだけどね。
でもわたしは平和ぼけした田舎貴族の娘だから、はかりごとなんかからは遠く離れていたいんです。
『ラーラはイルに祝ってほしいらしい。そうなればおまえの兄も一緒に来ることになるだろう。いっそのこと家族総出で来てもいいとラーラは言っていたが』
「そうですね……考えておきます。でもまずはイリーナさんに話を通さなきゃでしょう」
結婚式がいつになるのかはわからないけれど、イリーナさんと兄さまの出席は確実だろう。
シュア家はどう考えたっておまけだ。行けるかどうかはわからない。
イリーナさんが行くということは、ラニアの公家の誰かしらはついていくんだろうし、もしわたしたちも行くともなればそちらとも相談しないといけなくなる。
どうなるにしろ、まずは日程がわかってからだよね。
『まあ、まだ先の話だ。頭の片隅にでも置いておけ』
今すぐに決められることじゃないのはリュースもわかっているんだろう。
ただ提案してみただけ、という感じだ。
「わかりました。で、リュースの結婚予定日はいつですか?」
つい、わたしは茶化してみたくなった。
気になる人がいるっぽいのは、手紙に書かれていたんだよね。
ただ、書くのが恥ずかしいからなのか、相手も現状もよくわからなくて、非常にもやもやするものがあった。
男ならはっきりせんかい! と何度思ったことか。
『……婚約にこぎつけるのすら年単位でかかりそうだ、とだけ言っておく』
おお、ようやく認めたね、好きな人がいるって。
それならわたしにできるのは応援することだけだ。
もちろん、相談に乗ってほしいって言うなら、全力で力になるつもりだけども。
「それはご愁傷さまです。がんばってくださいね」
とりあえずわたしは、無責任にも明るくエールを送った。
リュースがこういったことをちゃんと話してくれたのは初めてだったから、少し浮かれているのかもしれない。
真面目だし、前よりは性格も丸くなったみたいだし、美形だし。
リュースはなかなかの優良物件だ。
お相手がそのことに気づいてくれるといいね。
王族という立場がどう作用するのかはわからないけど、うまくいってほしいと思う。
大切なお友だちの、大切な恋だから、ね。