その日はあいにくのくもり空で、今にも雨が降り出しそうな天気だった。
天気予報では、夜から雨が降り出すらしい。
と、僕の真下で井戸端会議をしていた主婦の人たちは言っていた。
灰色の空に、その子の黄緑色の翼はとてもよく映える。
小鳥さんをすぐに見つけることができて、僕は思わずくもり空に感謝した。
「……こんにちは、電柱さん」
「こんにちは、小鳥さん」
僕から伸びる電線に止まったその子は、しずんだ鳴き声を上げる。
いつもどおりに僕は挨拶を返すけれど、内心気になって仕方がない。
小鳥さんは、チュウ……と小さく鳴いたっきり、黙り込んでしまった。
いったい何があったのだろうか。
「今日は元気がないね。どうしたの?」
いつもの明るくかわいらしいさえずりを聞かせてほしい。
そう思いながら、僕は問いかけた。
「今日はとても悲しいことがあったのです。聞いてくれますか?」
「僕でよければ、なんでも話して」
僕は彼女の話ならばどんな話でも聞きたいと思う。
小鳥さんのかわいらしい声で語られる、僕の知らない世界の話を聞くことが、僕にとって唯一の楽しみなのだから。
僕の言葉に、小鳥さんは少しだけ元気を取り戻したようで、続いたさえずりはいつもの調子に近くなっていた。
「今日は公園で、おじさんがまいてくれたパンくずを食べていたのです。たぶん、元はフランスパンだったものだと思います。とてもおいしかったです」
おいしいものの話をしているのにも関わらず、やっぱり小鳥さんはいつもよりも声が暗い。
くりっとした瞳も、なんだか少しくもっているように見えた。
「みんなで仲良く食べていたら、遠くから男の子が走ってきました。驚いて、みんな飛び立ったんですけど。その男の子が、空に飛んだわたしたちにお米を投げてきたのです。お米は小さいし、投げる力はそんなに強くなかったんですけど、痛かったです……」
どうしてこんなに元気がないのか、納得したと同時に僕は悲しくなった。
男の子には、たぶん悪気はなかったのだろう。
けれど、小鳥さんは傷ついた。
できることなら、小鳥さんにはいつでも笑っていてほしいのに。
こんなとき、小鳥さんに何もしてあげられない自分が、ひどく歯がゆい。
「わたしは、高めに飛んでいたこともあって、そんなに当たらなかったんです。でも、それでも痛かったし、何よりも……とても恐ろしかったんです」
その鳴き声はかすかに震えている。
痛みが、恐怖が、悲しみが、直に伝わってくるようで、あるかないかわからない心が痛んだ。
僕に手があれば、小鳥さんを包み込んであげられたのに。
そうして、怖いものすべてから守ってあげられたのに。
ここから動くことすらできない僕には、叶わないことだとわかっているけれど。
「……それは怖かったね」
「はい。怖くて、怖くて、思いきり泣きたいくらい怖くて。そうしたら、すごく電柱さんに会いたくなったんです。慰めてほしいとか、そういうのではなくて、ただ、話を聞いてもらいたくなったんです」
小鳥さんのつぶらな瞳が僕に向けられる。
僕が話を聞くだけで、小鳥さんの慰めになるのだろうか。
そうだとすれば、どんなにうれしいか。
小鳥さんの悲しみに、寄り添いたいと思った。
「こんなつまらない話をしてしまってすみません。ご迷惑じゃなかったですか?」
小鳥さんは僕の反応をうかがうように、クッと小首をかしげた。
僕はそんな小鳥さんを安心させてあげたくて、かける言葉を必死で考えた。
でも、考えつくした言葉よりも、思ったことをそのまま伝えたほうが一番いいのかもしれない。
そのほうがきっと、彼女の心にも響くはずだ。
「全然、迷惑なんかじゃないよ。むしろ、そんなときに僕のことを思い出してくれて、うれしい」
僕が人間だったら、きっと笑顔を浮かべていただろう。
言葉でしか伝えることができないのは、こういうとき少しもどかしい。
それでも、僕にできることがあるのなら。
僕の気持ちを、彼女に示したかった。
「会いに来てくれてありがとう、小鳥さん」
大変だったね。もう大丈夫だよ。
かける言葉は、他にもたくさんあったように思う。
でも僕は、ただただうれしかったのだ。
小鳥さんが、怖くて怖くて、泣きたくなったとき、一番に僕のところに来てくれたことが。
僕を頼ってくれたことが、うれしくて仕方がない。
だから、その気持ちを隠さずに言葉にした。
慰めよりも、感謝を。
「……なんだか、心が軽くなってきました」
少しの間をあけて、小鳥さんはそう小さな声で鳴いた。
チュチュッと、明るくさえずる。
もう、心配はなさそうだった。
「それならよかった」
「電柱さんのおかげです!」
元気を取り戻した小鳥さんは、僕をもっと喜ばせるようなことを言う。
僕の言葉が小鳥さんにとって元気の素になってくれたのなら、それほどうれしいことはない。
いつもいつも、小鳥さんから元気をもらっているのは僕だから。
たまには返したいと、ずっとそう思っていた。
これで、ほんのわずかでも、お返しができただろうか。
「その男の子は、もしかしたら小鳥さんたちに食べてほしかったのかもしれないね。お米なんて普通は持ち歩くようなものじゃないから。でも、子どもだから、どうやって食べてもらえばいいのか、わからなかったんじゃないかな」
憶測でしかないけれど、僕の考えを話してみる。
少しでも好意的に受け止めることができれば、彼女の傷が浅くなるかもしれないから。
「そうだったらいいなって思います」
「うん、子どもはたまに突拍子もないことをするからね」
「はい、学習しました」
僕の言葉に、小鳥さんは真面目な顔をして鳴く。
「その男の子も、今回のことで学習してくれるといいね。またいつか、今度はちゃんとした方法で、食べ物をくれる日が来るかもしれないよ」
「そうなったら、いいですね」
思っていたよりもやわらかい声で小鳥さんは言った。
それは、雛鳥を見守る母鳥のような、慈愛に満ちたさえずり。
男の子のことを恨んではいないのだとわかった。
今回のことで、小鳥さんが人間嫌いにならなくてよかった。
誰かを嫌いになることは、とても悲しいことだから。
お米を投げつけてきた子どもも、いつかは大人になる。
いつか、男の子が大人になったとき、その手のひらに乗せられたお米を小鳥さんが食べる日が、訪れるかもしれない。
そうなったらうれしいと、僕は思った。