朗らかなさえずりを聞くと、ああ、春が来た、と思う。
春でも、夏でも、秋でも、冬でも。
いつもその子は、僕に春を運んできてくれる。
「電柱さん、電柱さん、こんにちは!」
「こんにちは、小鳥さん」
僕から伸びる電線に止まったその子に、いつもどおり挨拶を返す。
葉を落とした木々。聞こえなくなった鈴虫の鳴き声。
寒々しい景色の中で、小鳥さんだけは一足早い春の色を身にまとっている。
「今日は、寒いですね」
羽を小刻みに震わせながら、小鳥さんは鳴いた。
それもそうだろう。季節はもう冬だ。
いつ雪が降ってもおかしくないくらいに冷え込んでいると、下を通った人たちが話していた。
「……そうだね」
そう返事をしたものの、実際のところ、実感はまったくなかった。
僕には寒さがわからない。寒さだけでなく、暑さも、気温の違いがわからない。
花が咲いていたり、葉が色づいていたり、景色によって季節の移り変わりはなんとなくわかる。けれど、それだけだ。
僕は、生き物ではないから。
僕はただの電柱で、無機物で、人間の役に立つために作られた存在で。
ここでこうして、何年も、何十年も、人間の家に電気を送るために立っているだけ。
僕には、小鳥さんが当たり前のように持っている感覚が、理解できない。
そのことがとても寂しく思えた。
「わたしの体がもっともっと大きかったら、電柱さんをあたためてあげられたのに。どうしてわたしはこんなに小さいんでしょう?」
小鳥さんは、僕の内心に気がつくことなく、そんなかわいらしいことを言ってくれる。
僕の思考に影が差したとき、小鳥さんはこうしていとも簡単に、その影を取り除いてくれる。
きっと、本人は無意識なのだろうけれど。
すでに僕は彼女によって、充分にあたためられている。
知らないはずの温度を、あるかないかわからない心で、感じさせてもらっている。
「僕が自由に動くことができたら、自分から小鳥さんに会いに行けた。どちらもないものねだりだね」
優しく無邪気な小鳥さんに、僕も偽りない本心をさらした。
ここから一歩も動けないということ。自分が電柱だということ。
どうにもできないことだとわかっていながら、時々無性に悲しくなってしまう。
「でもね、小鳥さん、僕はそれでよかったんじゃないかって思うんだ」
「それでよかった、ですか?」
小鳥さんは不思議そうに、クッと小首をかしげる。
僕は話す内容をまとめながら、続ける。
「うん。小鳥さんは体が小さくてかわいらしいし、高く澄んだ、きれいな歌を聴かせてくれるよね。体が大きかったら鳴き声は変わってしまうだろうし、そもそも僕をあたためられるくらいに大きな体を持ったら、空は飛べない。そうしたら、僕の元には来られなくなってしまう」
小鳥さんはその事実に初めて気がついたようだ。はっとした顔をした。
僕は、小鳥さんのきれいな羽も、小さな体も、高い鳴き声も、全部が好きだ。
そのままの小鳥さんのよさを、僕はたくさん知っている。
変わる必要はないと思うし、変わってほしくないと思う。
今のままの小鳥さんでいてほしいと、そう思う。
「僕がここから動けないからこそ、行き違いになることなく、小鳥さんが来てくれるのをじっと待っていることができる。待っていることしかできないのはつらいけれど、次はどんな話を聞かせてくれるんだろうって、待つ楽しみもあるんだよ」
動くことができたらいいのに、というのは本心。
けれど、動くことができなくてよかった、と思うのも、また本心だった。
小鳥さんを待っている時間は、つらく苦しいけれど、それと同時に至福の時でもあるのだから。
「今のわたしで、今の電柱さんだから、いいんですか?」
「そうだよ。今の君と、今の僕に、僕は満足しているんだ」
確認してくる小鳥さんに、僕は肯定を返す。
僕の言いたいことを、小鳥さんはちゃんと理解してくれているようだ。
「小鳥さんは? 今に満足することはできない?」
僕の問いかけに、小鳥さんは考え込むように視線を下に向ける。
数秒か、数十秒か。
小鳥さんはぱっと顔を上げ、チュチュッと元気よく鳴いた。
まるで春を呼ぶようなさえずりに聞こえた。
「いいえ、電柱さん。わたしも、今がいいです。満足です!」
明るい声で、小鳥さんは言う。
くりっとした瞳をまっすぐ僕へと向けながら。
「こうして、電柱さんと楽しくお話することのできる、今がいいです。今のわたしで、今の電柱さんと、一緒にいたいです。それが、満足しているってことですよね!」
「うん、そうだね。足りることを知るのは、とても大切なことだよ」
あれもこれもと望みすぎてしまうのはよくない。
今、自分が持っているものの中にも、たしかに大切なものは存在しているはずで。
まずはそれに感謝して、満足することを忘れてはいけない。
「電柱さんがいてくれれば、わたしはそれだけで充分です」
しあわせをかみしめるような、やわらかな鳴き声。
小鳥さんが、心の底から今に満足していることが伝わってくる。
「僕も、小鳥さんが会いにきてくれるだけで、充分だ」
僕も小鳥さんと同じ答えを告げる。
逆に言えば、小鳥さんが会いにきてくれなくなったら、僕は満足できないということなのだけれど。
それは、少し恥ずかしいから、今は言えない。
僕の日常には、小鳥さんが必要不可欠だ。
小鳥さんの朗らかなさえずりも、小鳥さんの興味深いお話も。
季節を感じることのできない僕に、春を運んできてくれる。
僕には、小鳥さんが必要だ。
小鳥さんという春が、僕には必要なのだ。
だから、お願い、小鳥さん。
僕が今に満足できるよう、これからも僕に、春を教えて。