魔王との戦いは、何時間にも及んだ。
魔王が魔法を使うたびに魔術師と聖女が結界を張り、隙をついて勇者が切り込み、物理的な攻撃が後衛へと行かないよう騎士団長が守る。
結界は幾度も破壊され、最強装備の魔術師以外は決して軽くはない傷を負った。それを聖女がすかさず回復し、魔術師は威力の高い攻撃魔法で魔王の体力を削る。
互いに一歩も譲らぬ戦いであった。
そんな戦いを制したのは、テンプレどおり、勇者たちのほうであった。
……最終的に魔王と魔術師の一騎打ちのようになっていたのは、勇者一行の中で秘された事実である。
魔王が、すべての魔物が倒され、世界は元の日常を思い出した。
王宮へと無事に戻ってきた四人を、王都の者はみな盛大に出迎えた。
魔王討伐の褒美として、勇者と魔術師は今後一切国からの干渉を受けないことを宣言した。
それにより、勇者に媚びを売ろうとしていた一派や、魔術師を王宮魔術師へ引き入れようとしていた一派は、計画を白紙にせざるをえなくなった。
国王は残念だと言いつつも、少しほっとしていたようだった。彼ら二人が王宮にいれば、いい意味でも悪い意味でも混乱が起こるのは目に見えていたからだろう。
せめてこれだけは、と国王は二人に相応の金品を与えた。もらえるものはもらっておこう精神の二人はありがたく頂戴した。
そして、あとの二人の褒美はというと。
ここからは聞くも涙、語るも涙。主に勇者にとって。
騎士団長と聖女は婚約し、勇者は失恋した。
どうやらこの二人、前から浅からぬ仲だったようである。
さかのぼること十五年前、当時十五歳の騎士になりたての騎士団長は、まだ聖女となる前の王女付きの騎士となった。見目麗しい騎士に聖女は子どもらしい一目惚れをした。
それから三年後には聖女として神殿に住まうことになるのだが、完全に関係がなくなったわけではなく、騎士団長は聖女と王宮の連絡役となった。
騎士団長という役職についてからは顔を合わせることは減ったが、そのときにはすでに、聖女の騎士団長への想いは大きく育っていたのである。
聖女に想いを寄せられていることに、騎士団長は男のくせにうじうじと悩んでいた。それが、旅の最中に覚悟を固める何かしらがあったらしい。
国王の前で聖女との結婚を認めてほしいとひざまずいた騎士団長はとても男らしかった。
大貴族の息子である騎士団長は、聖女を娶るのに充分な地位と血筋を持っている。謁見の間が祝福ムードに染まった。
勇者にとっては寝耳に水だ。けれど当然、今さら褒美を変えてほしいなんてとてもじゃないが言えそうにない雰囲気。勇者は涙を飲んで二人を祝福した。
気づいてなかったんだ、とあとで魔術師にまで言われた勇者が、言えよ!! と魔術師に当たったのは想像に難くないだろう。
あのメロンを好きにできるなんて、うらやましすぎる! と嘆く勇者が、本当に聖女に恋をしていたのかどうかは、当人のみぞ知る。
「姉ちゃんただいまー」
「ただいま、アーネリア」
所変わって、イーナカ町。
そろそろお昼時といった時間に、勇者――正確には元勇者なのだが、面倒なので勇者で統一する――と魔術師は勇者姉宅の扉をくぐった。
魔王を倒してから、諸々あって一ヶ月以上が経過していた。
魔術師は転移魔法で帰ってこようとしたのだが、吐き気に苦しめられたくない勇者が必死に止めた。
国王からも、帰るまでの道のりで民に顔を見せ安心させてほしい、という頼みごとをされていたため、仕方なく普通に帰ってきたのだ。
とはいえ、魔術師は道中も三食欠かさず勇者姉の元へ作りに来ていたし、魔王討伐の旅のときよりも時間に縛られることがなくなったため、掃除などの家事も念入りにしていた。
勇者にとっては久々の我が家でも、魔術師にとっては旅に出る前と変わらず見慣れた幼なじみの家である。
「おかえりなさい、ユース、マージユ。お腹がすいたわ!」
飛びつかんばかりに二人を出迎えた勇者姉に、魔術師は苦笑する。
彼女が待ち望んでいたのは弟と幼なじみではなく、今日の昼食のようだ。
もちろん、正しい意味で二人の帰りを楽しみにしていたことも、言われずともわかっていた。
ただ、勇者姉は目先の欲――特に食欲――に流されやすいのである。
相変わらず第一声がおかしいだろ! という勇者のツッコミはいつもどおりスルーされた。
「はいはい、リクエストは?」
「ブロッコリー入りのクリームシチューが食べたい。パンはガーリックトーストにして」
「了解、すぐ作るよ」
言うが早いか、魔術師はエプロンを着て調理を開始する。
魔法を使っているのにエプロンが必要なのか、というツッコミに関しては、何事も形から入ることは大事なのだということでご了承いただきたい。
「お前もう姉ちゃん専属のおさんどんだよな」
なんの気なしの勇者の言葉に、魔術師はにーっこりと笑った。
勇者は何やら嫌な予感がして、身体がブルッと震えた。
魔術師がこんな表情をするときは、たいてい自分が理不尽をこうむることになる。
過去の魔術師の、お願いという名目の命令に、どれだけ勇者が泣かされてきたことか。
それでも結局は聞いてしまうあたり、勇者は本当にお人好しなのだが、本人に自覚はない。
「ユースは鳥狩ってきてよ。三分で」
「ウルトラ○ンかよ!」
ツッコミを入れつつも、勇者はあわてて家を出た。
三分以内に狩ってこなければ、魔術師にどんな目にあわされるかわかったものではない。
勇者姉がお腹をすかせている現在、時間との勝負だ。
もし万が一、勇者が遅れたことによって勇者姉が泣きでもしたら、勇者には地獄が待っている。
理不尽ながらもがんばった勇者だったが、さすがに三分は無理だった。
五分で狩ってきた鳥はとてもめずらしくおいしい鳥だったため、勇者姉が喜び、それによって遅れたことは不問となった。
ちなみにその鳥を発見した瞬間がちょうど三分経ったところだった。某ヒーローの皮を被った破壊魔のように、三分で戦闘能力を失うことがなくてよかったと思うべきだろう。
クリームシチューをおいしそうに食べる勇者姉を見て、急いだかいはあったか、と納得してしまった勇者は、本当にお人好しで、本当にシスコンである。
昼食のあと、仕事に戻ろうとした勇者姉を、魔術師は散歩に誘った。
二人っきりで話したいことがあるからである。
魔術師に連れられてやってきたのは、イーナカ町からほど近い天然の花畑。
そこは昔、三人がよくままごと遊びやチャンバラ、花輪作りなどで遊んだ場所である。
「ここに来るのも久々だわ」
心地いい花の香りを、勇者姉は胸いっぱいに吸い込む。
季節は一巡りし、また春がやってこようとしていた。
白に黄色にピンク。小さな花々が草の間から顔を出している。
まだ満開とまではいかないが、充分きれいでかわいらしかった。
「どうせずっと引きこもってたんでしょ」
「仕事よ、仕事」
勇者姉は言い訳のように繰り返すが、実際嘘ではなかった。
勇者一行に提供していたことにより、勇者姉の防具はだいぶ有名になってしまったのだ。
平和になったとはいえ、害獣はいるし犯罪者もいる。どんな世でも、危険はそこかしこに存在している。
勇者姉の元に注文が殺到し、現在は作っても作っても追いつかない状態だ。
好きでやっている仕事で、誇りも持っているが、何事にも限度というものはある。
誰が作った防具なのか、口止めしておけばよかった、と思っても後の祭りだ。
「あのね、マージユ。一つ、聞きたいことがあるんだけど」
「何? なんでも答えてあげる」
勇者姉の前置きに、魔術師はそう言って微笑んだ。
彼は絶対に嘘はつかないだろう。
いつだって、魔術師は本当のことしか言わなかった。
真実を隠すことは、あるだろうけれど。
勇者姉が尋ねたことには、きちんと正しい答えを返してくれると、長い付き合いでわかっていた。
だから勇者姉は、安心して問いを口にできる。
「魔王は、魔物は、本当に倒さなければいけなかったの?」
ずっと、勇者姉は疑問に思っていた。
どうして魔の物が異界からやってくるのか。どうして魔の物を倒さなければならないのか。
魔物は一般人を襲わない。襲うのは勇者一行だけ。
それは、普通に考えておかしいことなのではないだろうか。
魔の物は、悪ではないのではないだろうか。
そもそも魔物が人を襲わないという話は、魔術師がこの町に広めたのだ。
魔物は人を襲わない。けれど、草食動物も驚かせれば人に怪我をさせてしまうように、こちらが刺激すれば思わぬ事故が起きる。
それを防ぐため、魔術師は魔物の習性を町民に説明して聞かせた。
最初は半信半疑だった町民も、魔術師の熱意に押されて、彼の指示どおり魔物が出ても刺激しないように距離を取ることにした。
すると、魔物による被害はほぼゼロにまで減ったのだ。
こちらが刺激しなければ、攻撃してこない魔物。
勇者姉をさらった魔物だって、勇者姉には悪い者には思えなかった。
絶対に傷つけないと約束してくれた。どうか抵抗しないでくれと頼んできた。少し強い力でつかまれ、痛いと言うとすぐに手を離して謝った。
用意してくれたご飯は食べられないくらいまずくて、それだけはいじめかと思ったけれど。
「うん、それが彼らのためだった」
「……そう。あなたがそう言うならそうなのね」
魔術師のよどみない答えに、勇者姉はすっきりした表情になる。
勇者姉は立場的にはモブだ。たとえチート持ちでも、メインキャラではない。
その他大勢でしかない勇者姉には、わからないことも多い。
だから、魔術師の言葉を素直に信じることにした。
絶対に自分に嘘をつかない魔術師。彼以上に信じるに値する者はいないだろう。
「魔王も魔物も、来世でしあわせになれるよ。なんてったってここに経験者がいるからね」
魔術師はやわらかな笑みを浮かべ、勇者姉の手を取った。
そっと手を包むぬくもりは、幼いころより慣れ親しんだもの。
言われた言葉は理解できなかったが、魔術師がこれ以上ないくらいしあわせそうな顔をしているので、勇者姉も笑みを返した。
「まあ、みんなしあわせになれるならそれでいいわ」
「大丈夫大丈夫、世界はけっこううまい具合に回ってるんだから」
魔術師は空を仰いで、世界を見渡すように視線を遠くへと向けた。
彼の瞳に何が映っているのか、勇者姉にはわからない。
魔術師や勇者が見ることのできる聖霊も、勇者姉には見えない。
能力や立ち位置だけでなく、持っている視界からして違う。
けれど、記憶や感情は共有することができる。
勇者姉にはそれだけで充分だった。
「ねえアーネリア、貴女に聞いてほしいことがあると言ったよね」
「ええ、言っていたわね」
勇者姉に向き直り、魔術師は話を切り出した。
いつもと違って真剣な様子の魔術師。魔王戦の前よりもよっぽど緊張しているように見えた。
無事に死亡フラグを折って帰ってきたのだから、しっかりと話を聞いてあげなければならないと、勇者姉もキリリと表情を正す。
二人の間をさわやかな風が通り抜ける。
自分につなぎ止めるように、魔術師は勇者姉の手をぎゅっと強く握った。
「僕はずっと、貴女のことが――」
魔術師は、甘く優しくとろけるような愛の言葉を、勇者姉に告げた。
勇者姉は朗らかな笑みで、私もよ、と想いを返した。
この四年後、二人はめでたく結婚する。
華やかな衣装に身を包み、誰よりもきれいな笑みを浮かべる勇者姉の隣で、魔術師もとてもしあわせそうに微笑んでいた。
どこまでも不憫な勇者は、花嫁姿の勇者姉に滂沱の涙を流し、せっかくの花嫁衣装を濡らして魔術師にぶっ飛ばされることになるのだが。
彼もそのさらに一年後、かわいらしい黒髪の女子に求婚されることとなる。
世界は愛と幸福で満ち満ちている。