epilogue.1 けっこうシリアスな魔術師の裏事情

 魔術師は幼いころから、自分が何であるのか――正確には、何であったのか――を知っていた。
 人並み外れた魔力。魔法の才。それに加え、うっすらと残っている前の生の記憶。
 自分は、普通ではない。
 子ども特有のかわいらしい驕りではなく、ただ事実としてそう自覚していた。

 そしてこれから語るは、勇者姉はもちろん、勇者も知らない秘密。
 話は一年前へとさかのぼる。



 勇者と魔術師は王宮へと出向き、勇者は聖剣を授けられた。
 共に魔王討伐へとあたる仲間を決めるため、二人は数日間王宮に滞在することとなった。
 魔術師に与えられた部屋は、通常の客室。王宮の客室としてはグレードは下のほう。一等賓客扱いの勇者とはえらい違いだ。
 それもそのはず。勇者は聖剣に選ばれた勇者だが、魔術師は違う。
 勇者の幼なじみというだけの、ぽっと出の魔術師を諸手を上げて歓迎するほど、王宮の人間は単純ではない。
 そんな魔術師の元を訪れたのは、神殿の長、聖女だった。

「マージユさま。あなたが、此度の見届け役なのですね」

 聖女は少女然とした見た目にそぐわない、静かで凪いだ瞳をしていた。
 部屋に入ってくるときに扉に頭をぶつけていたので、隠しきれないドジっ子属性を魔術師は感じ取っていたが。
 見届け役、ということを否定もせず肯定もせず、魔術師は笑みを浮かべる。

「それは、聖剣から聞いたのかな」
「ええ。彼の者は勇者と共にやってくるだろう、と」

 魔術師の問いに、聖女は是を返す。
 聞いていたのなら、もう少しうまく立ち回ってくれてもよかったものを、と魔術師は思った。
 一介の魔術師である自分が魔王討伐の任につくために、王宮魔術師長と魔法勝負をしなければならなくなってしまった。
 これっぽっちも負ける気はしないが、圧勝してしまうのはそれはそれで問題になるかもしれない。
 面倒事はなるべく避けたかったというのに。
 勇者だけでなく、魔術師も聖剣に選ばれた者なのだと、そう王族が言ってくれればよかっただけだ。
 実際には魔術師は聖剣が選んだわけではなく、生まれ落ちたその瞬間から、定められていたことなのだけれど。

「かつてのあなたと同じ道を、魔の物たちに示すことを、光の神に誓います」

 聖女はそう、魔術師の目の前にひざまずいて述べた。
 神殿の長である聖女が、光の神に誓うと言うのなら、死んでもその約束を守るということだ。
 清廉潔白。正しく優しく慈愛にあふれた聖女。噂はそれほど外れてはいなかったらしい。
 魔王討伐の旅で一番重要なのは、実は勇者ではなく聖女だ。
 聖女の祈りは聖剣と共鳴し、魔物を浄化する。
 勇者は、好みにうるさい聖剣の運び手であり、聖女が害されないための露払い役。
 使命感に満ちた聖女の様子に、魔術師は苦笑をこぼす。

「真面目だね。もう少し肩の力を抜いてもいいよ」
「肩の力を……ですか?」

 立ち上がった聖女は、言葉の意味がわからないとばかりに小首をかしげた。
 思ってもいなかったことを言われた、とその顔には書いてある。

「僕たちは魔に染まった物たちにとっては敵だ。彼らは敵に容赦はしてくれない。本気で抵抗する」
「ええ、存じております」
「救うために、なんて考えてると、理不尽さに心が折れるよ」

 言いながら、かつての自分を思い出す。
 聖剣に選ばれた者を、その仲間を、全力で殺しにかかった。
 救おうと伸ばされた手を、あらん限りの力で振り払うように。

「そうかもしれません。けれど、彼らには救いが必要です。そして彼らを救えるのは、私たちだけ。どれほど理不尽でも、私はかまいません」

 聖女の声には、表情には、一切の迷いというものがなかった。
 それだけで、彼女の覚悟のほどが伝わってきた。
 きっと聖女は、きれいなものだけを見てきたわけではない。この世界には善も悪もないのだと、知っているのだろう。
 魔物は、魔王は、悪ではない。完全なる悪などどこにも存在しない。
 それでも、倒さなくてはならない。
 世界を正しく回すために、彼らのためにも、必要なことだから。

「わかってるならいいや」

 魔術師は別に、聖女の心が折れようがどうでもよかった。
 ただ、旅の途中で使い物にならなくなっては困るからと忠告しただけだ。
 大丈夫だと聖女自身が言うのなら、きっと大丈夫なのだろう。

「ご心配ありがとうございます。できれば、私よりも勇者さまにお心配りなさってくださいませ」
「ユースは大丈夫。彼は強いよ。心も身体も」
「それなら安心ですね」

 聖女はそこで初めて、ふわりとかわいらしく微笑んだ。
 円滑な人間関係を築くため、魔術師も笑みを返す。
 これからずっと一緒に旅をすることになるのだから、それなりに仲良くなっておくべきだろう。
 魔術師の頭にはそんな打算的な考えが浮かんでいた。

「ああ、一つだけお願いなんだけど」

 ふと大事なことを思い出し、魔術師は話を変えた。

「ユースには、言わないでいてくれるかな。僕の前世のこと」
「なぜですか?」

 魔術師がそう頼むと、聖女は不思議そうに尋ねてきた。
 聖女が聞きたくなるのも当然だろう。
 勇者に選ばれた者にはすべて包み隠さず話さなくてはならない。
 魔物の習性。彼らがどこから来て、なぜ倒さなければならないのか。倒したあとの彼らはどうなるのかも。
 それを説明するために……というよりも、証明するために、魔術師はここにいる。
 証明することなく説明したところで、勇者がそのまま信じるとは思えないのだろう。
 聖女はまだ、勇者の単純馬鹿さ……失礼、素直さを知らないのだから。

「ユースへの説明は僕に任せてくれていい。魔王討伐に必要なことはちゃんと全部教えるよ」
「ですが……」
「そのときはもちろん君にもいてもらいたいな。足りない点は補足してほしい。それなら大丈夫でしょう?」
「は、はあ……」

 魔術師の強引な提案に、聖女は押されるようにうなずいた。あまり納得はしていないようだ。
 勇者の信じやすさは、実際に見て聞いてもらうしかない。
 言質は取ったものの、もう一押し欲しいところ。
 今の魔術師にできるのは、己の手の内を明かすことくらいかと結論を出す。

「実は、知られたくないのはユースじゃないんだ。ユースは秘密を持てない性格でね。ユースに話したら、ユースに近しい人にも知られてしまう。僕はそれを避けたい。……もし、いつか知られるとしても、そのときは自分の口で言いたい」

 聖女が理解しやすいようにと言葉を選んだが、勇者と仲のいい町民に知られたところで魔術師はそれほど困りはしない。
 魔術師が前世のことを知られたくないのは、他の誰でもない、勇者の姉。
 彼女にだけは、隠しておきたかった。

「マージユさまがそれを望むのでしたら、私は口をつぐみましょう」

 聖女は微笑みを浮かべて了承した。
 魔術師の頼みの理由が、納得できるものだったからなのだろう。
 魔物が人を襲わないという事実は、様々な思惑があり一般にはそれほど広まっていない。
 魔の物を厭う思想は当然のようにある。
 そんな中で、自分の前世が魔の物だったなどと大っぴらにできるわけがないのだ。

 もちろん魔術師は、勇者姉もそういう人間だと疑っているわけではない。
 勇者姉の度量の広さは、魔術師が一番知っている。
 彼女は魔の色を恐れなかった。魔術師の過ぎた力も恐れなかった。魔物が人を襲わないことも知っている。
 けれど、それでも。
 ほんの少しでも、彼女が魔術師に向ける瞳が、変わってしまったらと思うと。
 どうしようもなく怖くて、臆病になってしまう。

 勇者姉には、まだ言えない。
 魔術師の前の生が、二百年前の魔王だったことなど。
 いつか話せる日が来るのかどうかも、わからない。



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