episode.4 連れさらわれたヒロインは美食を所望する 前編

 いつものように、勇者一行が魔物討伐をしながら旅をしていたときのことである。
 勇者姉の朝食を作りに行ったはずの魔術師が、数分もせずに戻ってきたのだ。
 いったい何事かと目を丸くする三人を無視し、魔術師は勇者の首根っこをとっつかまえた。

「キーシ、セーシエ、しばらく別行動ね。行くよ、ユース」
「っておい! どこにだよ!」

 いきなり首を絞められる羽目になった勇者はもちろん逃れようとするが、それよりも早く魔術師の魔法が発動した。
 それは、勇者をも巻き込んだ、転移魔法。
 なんの事情も説明されることなく、勇者は気づいたら久方ぶりに自宅に足を踏み入れていた。
 懐かしさを感じるよりも先に、勇者はその場に崩折れた。

「おええぇぇ……」

 気持ち悪さをこらえきれず、うめき声がもれる。
 胃液が戻ってきたが、掃除の手間を考えて、意地で吐き出すことはしなかった。
 転移魔法は便利なように思えるが、実は基本的に一人用だ。
 他人を飛ばせるほどの魔力を持つ人間自体が少ないし、無理に他人と一緒に飛んだ場合、このように相手の身体への負担が大きいのである。
 それは簡単に言えば、魔力の相性の問題だった。
 魔術師の魔力によって転移するため、勇者の身体中に魔術師の魔力を行き渡らせなければいけなくなる。
 勇者の身体が魔術師の魔力に拒絶反応を起こし、調子を崩すのだ。
 子どものころから一緒に育ってきた二人だからこの程度ですんでいる。騎士団長や聖女を転移させたなら、数日寝込んでもおかしくない。

「アーネリア……」

 魔術師のつぶやきに、なんとか立て直した勇者は顔を上げる。
 旅に出る前と特に変わりない様子の家内。
 ただ、姉の姿だけがどこにもない。

「……姉ちゃんどっか出かけてんのか?」
「違う。魔物にさらわれた」
「へ!? マジで!?」

 予想外の回答に、勇者は驚いて跳ね起きる。
 争った形跡などは見当たらないが、勇者姉が魔族相手にどれだけ抵抗できるのかを考えればそれもそうかと思い直す。
 インドアな勇者姉には戦闘能力など皆無だ。一瞬で気絶させられても不思議じゃない。

「マジも大マジ。たぶん、彼女が僕たちの弱点だってことが魔物にバレたんだ」
「そりゃあお前、戦闘中にも気にせず転移してたしな」
「転移先はわからないように痕跡をちゃんと消してたんだけどな……」

 どうやってだよ、と勇者は突っ込みたくなったが、説明されても理解できそうになかったのでやめておいた。
 魔術師の魔法の才は並び立つ者がいないほどなのだ。
 彼にできないことはないのではないかと勇者には思えた。
 けれど、魔術師も完璧ではなかったからこそ、今回のような事態になっているのだろう。

「わかるヤツにはわかるんじゃねぇの?」
「油断してた……」
「まあ、どうにもならないこともあるさ。気にするなよ」

 ポン、と勇者は魔術師の肩を叩いて慰める。
 魔術師が姉を大切に思っていることは、勇者が一番知っている。
 彼女をどんな危険からも守りたいという意志は尊重するが、ペットでもあるまいし、カゴに入れておくことなんてできないのだから、多少の危険はつきものだ。
 魔物にさらわれたことを多少と考える勇者は本当に楽観主義者だった。

「ここに来るたびに町の結界を張り直してたし、家自体にも簡易結界を張ってたし、念のため旅に戻る前に毎回半径十キロ以内の魔物は広範囲魔法で殲滅してたのに……」
「っておい! そんなことしてればバレるに決まってるだろ! つーか全然油断してねぇじゃねぇか!」

 こんな時でも勇者はツッコミを欠かさない。
 それが彼の属性であり、生き様であるからだ。
 町の周囲の魔物が一瞬にして消えたなら、おかしいと思わないほうがおかしい。
 そのことに魔術師は気づいているのかいないのか。すっとぼけているだけなら大物である。いや、事実大物なのだが。

「油断だよ。実際こうしてアーネリアはさらわれてしまったんだから」

 そう告げる魔術師の声には焦燥がにじみ出ていた。
 今まで気づかなかったが、魔術師の顔色は今にも倒れてしまいそうなほどに悪い。
 勇者はようやっと、魔術師が本気で姉を心配していることを知った。
 魔術師は勇者ほどには楽観的に物事を考えられないのだ。

「あー……元気出せ。姉ちゃんが簡単に死ぬわけねぇだろ」
「それはわかってる。アーネリア自身に半永久持続回復魔法をかけてるから、即死魔法を使われない限りは死なない」
「お前どんだけ魔力の無駄遣いしてんだよ!!」

 慰め損かよ! と勇者は怒鳴る。
 即死魔法とは太古の昔に存在した禁術である。今では使える者はいない。
 いや、魔術師だったらやろうとすれば使えてしまうかもしれないが、一応今まで挑戦してみたことはなかった。
 つまり、勇者姉は本人も弟も知らない間に、死なない身体にされていたのだ。怖すぎる。普通にホラーだ。

「無駄なんかじゃないよ。アーネリアはよく無茶をするからね」
「……今さらだけど、姉ちゃんが崖から落ちたときとか、猪に襲われたときとかも無傷だったのって、お前のおかげか」

 完全インドアな今と比べれば多少活動的だった子ども時代、間の抜けている勇者姉はよく危険な目に遭っていた。
 それでもかすり傷一つ負わない勇者姉の丈夫さを不思議に思っていたものだが、今になってようやくその謎が解けた。
 この魔術師なら、何をやってもおかしくない。

「危険を察知した際には自動的に結界魔法が発動するようになってるからね」

 さらりと魔術師は答えるが、それがどれだけ難しい魔法なのか、勇者には推し量ることはできなかった。
 少なくとも勇者はそんな便利な魔法を聞いたことはない。
 どんな危険からも守る、と言葉で言うのはたやすくとも、魔法として組むのはとてつもなく難しいはずだ。
 魔術師は昔からオリジナルの魔法を作れる才があった。それもその一つなのだろう。
 常時そんなものをかけられていた勇者姉が、魔術師にとってどれだけかけがえのない存在なのか、ということを勇者は再認識させられた。

「……つまり、それを破って姉ちゃんさらった魔物って、かなり強いってことか?」
「今回、結界魔法は発動しなかった。発動すれば僕に伝わるようになってるから」
「なんで発動しなかったんだ?」
「アーネリアに危険はない、ってことだろうね。まあ、魔物が狙っているのは僕たちだからね」

 その言葉に勇者は一応納得した。
 魔物の性質は王宮で詳しく聞かされていた。初めて知ったこともあって驚いたが、言われてみればうなずけることではあった。
 魔物の敵は勇者一行だ。それ以外には目もくれない。
 今回勇者姉をさらったのだって、勇者たちを害するためであって、勇者姉自身をどうこうしようという気はないのだろう。

「で、お前は今何やってるんだ?」

 先ほどからずっと、座り込んで目を閉じている魔術師に勇者は問いかけた。
 精神統一でもしているかのように見えるが、勇者と話していては意味はないのではないか。

「アーネリアにつけてある印の気配を追ってる。敵の罠が完成するよりも先に助けに行かないと」
「何勝手に俺の姉ちゃんにマーキングなんかしてんだよ!」

 つい怒りに任せて勇者は魔術師の頭を殴った。
 なんだかんだで勇者はシスコンである。反抗期なんてものもなかったくらいである。いや、ある意味ツッコミが反抗のようなものなのかもしれない。
 勝手に死なない身体にされていたことよりも、勝手によくわからない印をつけられていたことのほうが、勇者にとってはツッコミどころだった。

「下品な言い方をしないでくれないかな。必要に迫られただけだよ」

 魔術師は涼しい顔のままそう反論を返した。
 彼は後ろめたさなどかけらも感じていないようだ。
 現にこうしてそれが役立とうとしていることを考えると、もう何も言い返せない勇者なのだった。



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