08 「よく、わかりました」

「イレにお会いしたそうですね」

 いつもの勉強の時間、めずらしく勉強と魔王討伐以外の話を教育係から振ってきた。
 なんとなく聞き覚えのある名前は、たぶん数日前に部屋にやってきた、生意気な少年術士だろう。
 名前覚えてなかったけど。他に特に目新しい人と会った記憶もないし。

「知ってるの?」
「彼を知らない者は、少なくともこの王都にはいないでしょう。百年に一人と言われるほどの天才……いえ、奇才ですね、あそこまでいくと」
「へ〜え、だからあんな偉っそうに育ったんだ。私なんかにかまけてないで、あっちを再教育したら?」

 いまだに腹に据えかねていた私は、嫌味ったらしく言ってやった。
 教育係に八つ当たりするのはよくないとわかっているけど、どうにも堪えきれなかった。
 少年術士への怒りは、そのままこの世界の人たち、いや、私に勇者という役目を押しつけてくる人たちへの怒りでもある。
 だからこれは完全な八つ当たりってわけでもない。たぶん。

「残念ながら、私が彼に教えられることはありません。そしてあれは元々の性格です」

 教育係は涼しい顔で、私の嫌味を流した。
 さすがは大人、っていったところだろうか。彼の正確な年齢は知らないし、知ろうとも思わないけど、三十近いだろうと推測している。
 名前で呼んでるし、けっこう容赦ないこと言ってるし、実は少年術士と仲がよかったりするのかな。
 親戚とか? 髪や目の色も顔立ちも、全然似てないけども。
 まあ、お偉いさんの知り合いはお偉いさん、ってことなんだろうな。

「イレは、自分中心なところはありますが、大きく道理を外れたことは申しません。彼の自信は実力に裏打ちされたものですので。正論は時に耳に痛いものではありますがね」

 チクリ、と針で刺すように教育係も嫌味を込めて反撃してきた。
 なるほど、教育係もあっちの味方ってことね。
 そりゃそうか。魔王を倒してもらいたいっていう思惑は一致してるんだから。
 私、対、こっちの世界の人たち、っていう構図。キリは除くけど。

 正論、正論、ふ〜ん、正論ね……。
 たしかに正論かもしれない。こちらの世界の人間にとっては。
 でもさ、忘れないでほしいんだ。
 私は、この世界とはなんの関係もない、ただの女子高生だってことを。
 日本だったらまだ児童として、親と法律に守られる立場。
 ねえ、世界を救えなんて、どうしてそんなことを簡単に言えるの? あなたならできるって、やったこともないくせになんでわかるの?
 みんな、みんな、ばっかみたいだ。

「あ〜はいはい、どうせならもっと楽しい話してくれないかなぁ」
「マリア様は……」
「ん〜?」

 苦々しげな……というよりも、苦しげな表情で、教育係は何かを言おうとした。
 それは私を責める言葉だったかもしれない。私を哀れむ言葉だったかもしれない。私に助けを乞う言葉だったかもしれない。
 けれど、その口からは声ではなく、小さなため息がこぼされて。

「……いえ。よく、わかりました」

 結局、私に何かを伝えることなく、その話は終わりとなった。
 彼はいったい何がわかったのか、私にはまったくわからなかった。


  * * * *


「つっ」
「まあ、大丈夫ですかマリア様!」

 あ〜あ、やってしまった。ぼーっとしてたらティーカップを取り落としてしまった。
 ガチャンッと音を立ててソーサーに落ちたカップ。ちょうど持ち上げようとしたところだったから、高さはなかったし、紅茶もほとんどこぼれてない。
 ただ、指にちょびっとかかっちゃって、ビックリして思わず声が出ちゃっただけだ。

「あ〜、指先にかかっただけだから。そんなに熱くはなかったし、大丈夫」

 ひらひらと手を振れば、あわてて駆け寄ってきていた侍女Aはほっと息をついた。
 薄茶の髪をお団子にしてまとめている侍女Aは、私とあんまり年齢が変わらないように見える。何人かいる侍女さんの中で、たぶん一番若い。
 だから、一番危なっかしいというか……ちょこまかと忙しない感じがする。
 あわてすぎて二次被害を起こす危険性もあるし、たいした被害もなかったんだから落ち着いて行動してもらったほうがいい。

「それならよろしいのですが。ぼんやりなさっていましたし、何かお悩みごとでも?」

 お茶のおかわりを差し出しながら、侍女Aは無遠慮にそう尋ねてきた。
 聞かれたくないことだってあるんだって、わからないのかなぁ。天然ってこれだからイヤだ。
 悩みならいくらでもあるよ。それをあなたたちは知っているはずじゃないの?
 そんな嫌味をぶつけそうになって、でも、すんでのところで思いとどまった。

「……別に」

 そっぽを向いて、それだけをつぶやいた。
 ルルドやイレみたいなお偉いさんと違って、ただの侍女に直接的な決定権があったわけがない。
 たとえ、国民の……いや、世界のほとんどの人の総意だったとしても。
 私がこの世界に喚ばれたのは、彼女のせいではない。
 誰彼かまわず当たり散らすような格好悪いマネはしたくなかった。
 もう、すでに何回かやっちゃっていることには、とりあえず目をつぶっておく。

「……あの、さ」

 思い出すのは数日前の、少年術士との口論のあと。
 紅茶をこぼして、テーブルクロスを汚しちゃったまま、逃げてしまって。
 帰ってきたら、元通りだった。
 あれは、侍女さんたちが交換してくれたんだよね。
 あのテーブルクロス、どうなったんだろう。ちゃんとシミ抜きできたならいいけど。

「この前、クロスに紅茶こぼして、ごめん」

 ぶつぶつと小さくて不明瞭な声。意地っ張りな幼稚園児にでもなった気分だ。どうしても、素直に謝れない。
 それでも精いっぱいを言葉にして、ちらりと侍女Aの顔色をうかがう。
 侍女Aの、薄化粧を施された唇がきれいに弧を描く。胡桃色の瞳がやわらかく細められる。
 どうして、そんな表情を、私に向けられるんだろう。

「マリア様がお気になさることはありませんわ」

 彼女の言葉には、ほんの少しも嘘が見当たらなかった。
 仕事とはいえ、こんなわがままな子どもの面倒を、文句ひとつこぼすことなく見て。
 世界を救ってくれる勇者だと思っていた人物が、二ヶ月以上もタダ飯食らいの生活をしていたら、普通は反感を抱くものだろうに。
 嫌気が差すことなく、こうしてお茶を入れてくれて、心配をしてくれて。
 他の侍女たちが少しずつ私を遠巻きにして、淡々と仕事をこなす中で、彼女だけは。
 彼女だけは、自然な笑みを私に向けてくれる。
 たとえそれが、私が勇者だから、だとしても。期待は重いのに、応えられないのに、彼女の態度にほっとしてしまう自分もいる。

 ……イヤな人たちだけだったら、よかったのにな。
 そうしたら、みんなまとめて、嫌いになれたのにな。

「……ごめん」

 もう一回、私は謝罪を口にした。
 この世界を救えなくて、ごめんなさい。

 私は初めて、力も勇気もない自分を、申し訳ないと思った。



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