04 「勇者の力は特別です。まさに奇跡と言ってもいい」

――祈れや祈れ、祈りは力となる
  願えや願え、願いは現となる
  韻は力 韻は創造 創造それは神の御業
  勇者よ、そなたはまさに神の一柱となったのだ――


「勇者の力とは願いの力と言われています。願いを現実とする力を、勇者は女神から賜るのだと」

 教育係の声は、右から左へと抜けていった。
 今の私の耳にはちくわが通っているようなもの。中身が空洞。
 キュウリを刺せばおいしく食べられるかもね。なんて、どうでもいいことばかり頭に浮かぶ。
 それくらい、授業内容に興味がわかなかった。

「勇者の力は特別です。まさに奇跡と言ってもいい。神官も一心に願うことで女神のお力をお借りすることができますが、それは必ずしも成功するとも限らないのです。気まぐれな女神のお慈悲を乞うことしかできない神官より、己の魔力を使って現象を起こす術士のほうが、実質的な力は上と言ってもいいでしょう。しかし勇者は違います」

 教育係の弁に力がこもってきている気がする。そんなに女神が好きか。女神コンか。
 この辺、もう何回か聞いた気がするなぁ。聞く気がなくても微妙に覚えてきちゃってる。
 勇者の力は光属性、魔王の力は闇属性。闇は光には敵わない、だっけ。お約束〜。

「勇者の力は、光の力、神の力。女神リーリファから譲り受けた一葉。体、知、力。この三つの葉をもってして、勇者は闇の力を持つ魔王を倒すことができるのです」
「へ〜え」

 机に頬杖をつきながら、私は相づちを打った。
 どうやらその相づちがお気に召さなかったようで、はああ、と教育係はこれ見よがしに大きなため息をつく。

「……少しくらいは聞いているという姿勢を作ってもらいたいのですが」
「聞いてはいるよ、聞き流してるけど」
「それは聞いていないと言うのです」

 そうだね、ぶっちゃけ聞いてない。
 そう言ったら、またため息つくんだろうなぁ。
 教育係には毎度毎度、ため息をつかれてばかりだ。
 彼はため息をつくために勉強を教えてるって言っても過言ではないかもしれない。いや、本人はそんなの望んじゃいないだろうけど。
 私は意味もなくペラペラと重ねた紙をめくる。そこに書いてあるのは勉強の成果なんかじゃない。教育係の話を聞きながら描いたパラパラマンガだ。
 真面目に話してる教育係がガミガミ怒り出すまでを、十数枚の中で描き表している。

「教育係もさぁ、いい加減あきらめようよ。わかってるでしょ、私が役立たずなことくらい」
「ルルドです、マリア様」

 教育係は大真面目に呼び方を正した。
 ごめんね覚えるつもりないから。教育係は教育係でじゅーぶんだ。

「そして、私はマリア様はまぎれもなく勇者だと、存じております。マリア様に勇者としての自覚をお持ちいただけるまで、このルルド、あきらめるなどという言葉は頭にありませんので」

 おめーはナポレオンかよ。
 つい、心の中で突っ込んでしまった。
 いやだなぁこういうタイプ。自分の信じる道をひた走るタイプ。周りのことなんかおかまいなしなタイプ。
 生真面目って言葉に手足が生えたような教育係は、現状私の一番の天敵だ。

「……めんどくさ」

 もう、何もかも投げ出してしまいたかった。
 正確には私はとっくに投げ出してるんだけども。私が投げ出したものを、毎回拾っては渡そうとしてくる人の多いこと多いこと。
 本当、やんなっちゃうなぁ。


  * * * *


「普通に平和だよねぇ」

 眼前に広がる町並みを見下ろしながら、私はため息と一緒にそうこぼした。
 城下町は、この世界に魔王がいるとは思えないくらい活気に満ちていて、こっちまで熱気が届いてきそうだった。
 前に連れてきてもらった時計台に、またキリと二人で来ていた。
 町を一望できる景色のよさと、上るのが大変だからか人がほとんどいないところが気に入った。風通りもいいから涼もとれるし。そろそろ夏も終わるから、もう少ししたらここは寒くなるかもなぁ。
 バカと煙は高いところへ上る、っていうことわざどおりとは自分では思いたくない。たしかにあんまり頭いいほうじゃないけどさ……。

「王都には魔物が入れないように結界が張られているからね」
「あー、そういえばそんな話を聞いたことがあったような……」
「不真面目だなぁ、マリは」

 くすり、とキリは笑う。
 そんなことを言いながらも、責めているわけじゃないのは言い方からも表情からも伝わってくる。
 多少、呆れている部分はあるかもしれないけれど。
 キリは私の好きにさせてくれる。私の怠惰を許容してくれる。
 私の周りにいる誰とも違う反応に、安心するし、ちょっと不思議でもある。

「じゃあ、国全体にその結界を張ればいいんじゃない?」

 思いつきをそのまま口にしてみれば、覚えの悪い子どもを相手にしているみたいにキリは苦笑した。
 さすが美少女に見まごう美少年。どんな表情もさまになる。

「結界を張れるほどの術士はそう多くない。まして結界は大きくなればなるほど制御も維持も難しくなる。世界中から一流の術士を集めて、小国ひとつを覆う程度が限界かな」
「え〜っと、つまり、不可能ってこと?」
「簡単に言えばそうなるかな」

 一人で縄跳びするより、大縄跳びのほうが回数飛べないのと同じようなものかな。
 そんなたとえしか思いつかないくらい、私には理解できない話だった。
 術とか、結界とか、そんなの科学に囲まれて育った私には想像もつかない。
 ちょっと前まで、魔法なんてマンガやゲームの中だけのものだったんだから。

「よく王都に人があふれないね」
「王都に住むには審査が必要なんだよ。コネがないと難しいし、それなりの金品も用意しないといけない。マリ、この辺もきっと教わっていると思うよ?」

 そう言われてみれば、聞いた、かもしれない。
 教育係の話なんて右から左に聞き流してるから、ほとんど覚えてない。
 キリが先生になってくれたほうが、まだ真面目に聞く気がする。
 だって、教育係は口を開けば勇者だ魔王だ、女神の力だ、うるさいんだもん。

「命がお金で買えるなら、安いものなのかな」

 答えを期待しての言葉じゃなかった。
 少なくとも、この王都にいる人は、魔物の被害に遭うことはないのだ。
 どれだけ審査が厳しいものなのか、どれだけお金を積まなきゃいけないのか知らないけど、命より大事なものなんてないんだから、全財産をはたいてでも王都に住みたがる人はいくらでもいるんじゃないかな。

「そうだね。そう考える人が多いから、年々王都に人が集まってきてしまっているんだろうね」
「ふ〜ん、大変なんだね」
「そう、大変なんだよ」

 ふふっ、とキリはなんでもないことみたいに微笑んで言った。
 なんだかヒトゴトみたい。キリは魔王とかどうでもいいのかな。
 それとも、今はこんな調子でも、危機が迫ったら、やっぱり魔王を倒してほしいって、言うのかな。
 ……それは、嫌だなぁ。
 助かりたいって、生きていたいって思うのは、本能だろうけど。
 それは私だっておんなじなんだもの。

 教育係みたいに期待を捨てきれない人がいて、侍女Aみたいにずっと期待してる人もいて、キリみたいに無関心な人もいる。
 まあ、キリは実際のところはわからないけど。
 私には、魔王を倒す力なんて、ないのになぁ……。
 そりゃあたしかにちょっぴり身体能力は高くなってるみたいだけど、それくらいで魔王が倒せるなら、とっくの昔に歴戦の騎士かなんかが魔王の首級を掲げているはずだ。
 戦い方の知らない私を頼るより、戦うために身体を鍛えてる人のほうが強いのは確実。私の力なんて、逃げ足くらいにしか使えない。
 はぁ、と私はため息をついた。それは思っていたよりも大きく響いた。

「マリ、なんだか疲れてる?」

 キリが横から覗き込んできた。
 そんなに身長が変わらないから、私がうつむいていたって、ちょっと腰を折ればすぐに顔が見えてしまう。
 きれいなきれいな新緑の瞳に、私の疲れ顔が映っていた。

「どうだろう。キリと一緒にいるときだけだよ、息つけるのは」
「それは皮肉だね」

 皮肉、皮肉かぁ。そうかもしれない。
 勇者を必要としている人たちの前では、勇者は息できないなんて。
 この現状はだいぶ、おかしいのかもしれないね。

「本当のことだけどね」

 勇者様、勇者様。魔王を倒してくだされ。この世界に救いをもたらしてくだされ。
 この世界は私からたやすく呼吸を奪おうとする。
 金魚が餌をもらうときみたいに、私ははぐはぐとなんとか口を動かして、酸素を得ている。
 呼吸のできる場所がなかったら、キリがいなかったら、私はどうなっていたんだろう。
 考えたくないし、考えられないくらいには、私にとってキリは、大きい存在になっているみたいだった。



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