02 「君、お母さんみたいだ」

「やあ、マリ。また城を飛び出してきたの?」
「お小言ならやめてよ。ねえね、暇なら遊ぼうよ、キリ」
「しょうがないなぁマリは」

 そう苦笑しながらも、私の勝手を許してくれるのは、町で知り合ったお友だちのキリ。
 いつも私の気分転換に付き合ってくれる優しい子だ。
 肩甲骨の下くらいまである黒い髪はつやつやで、中途半端に茶っこくて跳ねグセのある私はうらやましい限り。
 黒髪だけど日本人とはまた違って見えるのは、ぱっちり二重で彫りが深めだからか、瞳の色がきれいな緑色だからか、肌の色が白いからか。まあ全部だろうな。
 年は十五歳で、私より一つ下ってのは聞いたけど、それ以外はほとんど教えてくれない。いろいろと謎が多い。

 思えば最初からそうだった。
 私とキリが出会ったのは、ほんの二十日ほど前。
 初めて、城を抜け出して町に下りた日だった。


  * * * *


「ねえ、君、大丈夫?」

 町の隅っこのほうでうずくまっていた私に声をかけてくれたのは、同じ年くらいのきれいな少年だった。
 それは心配して、というよりも純粋に不思議がっているような、そんな声に聞こえた。
 季節柄、熱中症を疑ったっておかしくないのに、ずいぶんとのんきな声だった。まあこの世界にそんな病名はないだろうけどさ。

「お腹、すいた……」
「何か食べれば?」
「お金持ってない……」

 とうとう我慢ならずに城から抜け出してきたのはいいんだけど、いつもの追いかけっこのせいで、昼ご飯、食いっぱぐれたからなぁ。
 声を出すのもおっくうなくらい、今の私の空腹レベルは高い。
 そんな私を見下ろしながら、きれいな容姿をした少年はにっこりと笑って言った。

「おごってあげるよ」
「見ず知らずの人にそんなこと言っちゃダメでしょ! そんなんじゃいいカモにされちゃうんだからね! 気をつけなさい!」

 お腹がすいていたのも忘れて、私は立ち上がってビシィッと少年を指さした。二つ年下の弟を叱るのと同じ調子で。
 いきなりの説教に、きれいな少年はきれいな目をまん丸にした。
 初対面なのに説教がましい? 初対面の人にこんなこと言っちゃうような子に、今説教しなくていつ説教するってんだ。
 おごってあげるとか、そういうのは軽々しく言っていいことじゃない。
 特に少年みたいな若い子じゃあ、悪いおっさんとかおばさんとかにいいようにされちゃうんだから!

「君、お母さんみたいだ」

 少しして驚きが去ると、少年はそう言って、ふふっと笑った。
 お、おかあさん……初めて言われた……。
 十六歳だから、たしかに結婚できる年ではあるけど、いや、でも、ううむ……。
 どう見てもあんまり年の変わらない少年に、おかあさんって、おかあさんって……。
 全然、うれしくない!

「失礼ね。私、あなたと年齢変わらないと思うんだけど」

 むっとした顔で文句を言ったのと、ほぼ同時。
 くううう、とお腹の虫が情けない鳴き声をあげた。
 ……少しくらい耐えてくれたっていいじゃん。こんな、人の前で鳴ることないじゃん。根性なしめ!

「ねえ君、名前は? 教えてくれたらおごってあげる。そしたら、見ず知らずの人じゃなくなるでしょ」
「そういうもの? おごってくれるのはうれしいけど……」

 今日は天気もよくて暑いし、冷たいものとかすごく欲しいよ、たしかに。
 でもなんか、順番入れ替えただけじゃない? 問題解決になってなくない?
 別に若い男の子騙してどうこうとか、する気ないけどさ。
 ん? する気がないならいいのか? 問題ないのか? もう私も何を問題にしてたのかよくわからなくなってきたぞ?

「ま、いっか。私は真理亜。あなたは?」

 難しく考えるのは苦手だ。おごってもらえてラッキー、くらいに考えておけばいいかな。
 たぶん年下だろう子におごってもらうことに、若干の後ろめたさはあるけども、だってしょうがない。私はこの世界の住人じゃないんだから。
 私が名前を尋ね返すと、少年は困ったなぁと言いたげな苦笑をこぼした。

「僕は、うーん、名乗れる名前がないんだよなぁ。君が適当につけていいよ」
「何それ、お坊ちゃんのお忍びとか?」
「そんな感じ」

 少年を上から下まで眺めて、納得する。たしかに、身なりいいもんね。
 顔も髪もきれいだし、どこぞのお貴族さんの息子って言われても、普通に納得しちゃうレベルだ。

「ふーん、まあいいけど。名前……名前……キリ、とかどう? マリアの息子ならキリストよね」

 お貴族様なんて、それこそ城にはゴロゴロいるから、今さらめずらしくもなんともない。
 それよりも、私はさっきの意趣返しにいい感じの名前を考えられたことで、だいぶ気持ちが晴れた。
 私がおかあさん呼ばわりされてショックだったみたいに、同じ年くらいの子に子ども呼ばわりされるのはイヤなはずだ。
 ま、こっちの世界の人に通じない皮肉だってのはわかってるけどね!

「よくわからないけど、それでいいよ。じゃあマリア、よろしくね」
「よろしく!」

 手を伸ばして、握手した。
 キリはそれはそれはきれいな、見てるとうっとりしちゃうくらいきれいな笑顔だった。
 おごってもらうだけで、よろしくねも何もあるのかなぁとは思ったけども。
 このあと、私が城を抜け出すたびに、なぜだか毎回タイミングよくキリと顔を合わせることになって。
 もう、一緒に遊ぶ回数も片手を超えれば、顔なじみも顔なじみ。お友だちって呼んだっていいだろうさ。


  * * * *


「ねえ、マリ。今日はどうする?」

 二回目に顔を合わせたとき、私のことを他の友だちが呼ぶのと同じ愛称で呼ばせることにした。真理亜って名前、なんか豪華でちょっと恥ずかしいんだよね。
 三回目に会ったときに、私が勇者だってことも話したけど、キリは驚かなかった。他の人たちみたく魔王を倒して、とも言わなかった。
 だから私は、キリと一緒に遊ぶのが楽しくてしょうがない。
 キリは毎回、私にどうしたいか尋ねてくれる。
 私のしたいようにさせてくれる。私が嫌がることを言わない。
 この世界のことなんてなーんにも考えなくていい。自分のことだけ考えてればいい。
 キリと一緒にいるときだけ、私は羽を伸ばすことができた。

「前はでっかい噴水を見せてもらったよね。そうだな、今日は景色がきれいなところがいいなぁ」

 私はたいてい、行きたいところをリクエストして、キリに連れて行ってもらっている。
 この都やこの国どころか、この世界のことだって全然知らないんだもん。
 食べ物をおごってもらったのは、最初の一回だけ。弟がいるからっていうのもあるかもしれないけど、やっぱり年下にお金を使わせるというのは、あんまりいい気持ちにはならないから。
 最初のとき以外は毎回ちゃんとご飯を食べてから町に下りるようにしている。
 日によってはおやつをちょろまかしてきたりして、キリと一緒に公園なんかで食べることもあった。

「じゃあ、ちょっと歩くけど、中央広場近くの時計台に行こうか」

 そう言って差し伸べられた手に、私は悩むことなく自分の手を重ねて、手をつなぐ。
 人通りの多いところではぐれそうになってからは、いつもこうしていた。
 どう見ても男の子、って外見だし、身長もあんまり変わらないし、弟みたいなものだ。
 二つ下の生意気な弟を思い出すから、ドキドキしたりもしない。弟なんかよりずっとかわいいし優しいけどね!
 まあ気になることといえば、まだまだ残暑が続いているから、手のひらに汗をかいちゃうことくらいか。

「もっと見晴らしのいい場所も知ってるんだけどね。そこはまた、今度ね」

 太陽の光を透かした葉っぱみたいに、きれいな緑色の瞳が細められて、笑みが形作られる。
 キリの笑顔はとてもかわいらしい。
 中性的な美貌は、女の子みたいでもあり、気軽にさわっちゃいけない芸術品みたいにも思える。
 ほけー、といつものように見惚れる私に、キリはさらに笑みを深めるのだった。



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