17 「人間だったなら、また人間には戻れないのかなぁ」

「リーフェ、かぁ……」

 魔王城で用意してもらった、キリの隣に位置する私の部屋。
 行儀悪くテーブルに突っ伏して、まっくらな画面のスマホを眺めていた。
 勇者の力もちょっとずつ使えるようになってきてるし、電波はなくても電源くらいは入らないかなぁと思ったんだけど、結果は惨敗。
 まあそれほど期待していたわけでもないし、別に落ち込んではいない。
 それよりも、私の頭の中は、昨日聞いたキリの昔話のことでいっぱいだった。
 なんとも凄惨な過去は、悲劇と言えるようなものだった。
 でも、あれは現実にあったことで、今のキリを形作っている記憶で。
 決して、ただの悲劇だなんて言葉で片づけちゃいけないものだ。

 あれからキリはすぐに寝てしまって、その寝息につられるようにして私もいつのまにか寝てしまった。
 朝起きても、キリはやっぱりいつものキリで、何も変わった様子はなくて。
 昨日、私はたしかにキリの過去を聞いたんだよね? と私は疑問符をいくつも飛ばした。
 あまりにキリがいつもどおりすぎて、私も何か聞いたり話したりとかはできなかった。
 もしかしたら、そういうことをされたくないから、いつもと同じ態度だったのかもしれない。

 キリは、魔王は。
 元々は人間だったんだなぁ。

 改めて昨日の話を思い返してみて、一番気になったところはそこだった。
 てっきり、キリは最初から魔王という種族のようなものなんだと思っていた。
 十五歳という年齢だって、生きてきた年齢じゃなく外見年齢かも、なんて考えたこともある。
 なのにキリは、普通の両親の間に普通の人間として生まれて、五歳までは普通に育った。
 じゃあ、どうして魔王になってしまったんだろう?
 何か、きっかけがあったんだろうか。

 手に持っていたスマホはテーブルに置いて、う〜ん、と頭を抱えた。
 どれだけ考えてみてもわからないものはわからない。
 キリの話の中には、魔王になったきっかけのようなものは見つからなかった。
 ある日突然、だったんだろう。
 キリだってその時までは、自分が魔王だなんて思ってもいなかっただろう。
 両親が死んで、村が滅びて、そうして魔王は誕生した。

「人間だったなら、また人間には戻れないのかなぁ」

 今日、ずっと考えていることを、ぽつりと音に乗せた。
 もしキリが、魔王が、人間に戻れたら。
 そうすればみんな傷つかない。悲しい思いをしなくていい。憎しみは生まれない。
 私も、魔王を倒さなくていい。
 どう考えたっていいことだらけだ。
 それがどれくらい難しいことなのか、そもそもできることなのかどうかも、何もわからないけれど。

「キリを人間に戻す方法があれば、知りたいなぁ」

 窓から入ってきた少し強い風を感じながら、ぼんやりとそんなことをつぶやいた。
 声が空気に溶けて、消えていく。
 はぁ、というため息も風にさらわれて……いや。
 風が、止まった。

「――へ?」

 私は何度も目をまたたかせた。
 一瞬前までと違う景色が、目の前に広がっている。
 視界が一気に開けた。頭上には天井ではなく空。テーブルもスマホもない。座っていた椅子もなくなって危うく尻もちをつくところだった。
 周辺にあるのは部屋の壁でも調度品でもなく、人家。室内の適温よりも少し肌寒い空気。窓から入ってくるくらい強かったはずの風は今はなく。
 そして、私はこの景色に、見覚えがあった。
 見覚えがあるも何も……。
 ここは、城下町だ。
 しかも、それだけではなくて。

「マリア様!?」
「っ、おまえ――!!」

 ちょうど目の前にいたのは、ルルドと、イレ。
 二人はこぼれんばかりに目を見開いていて、私を凝視している。

「へ? え!? ど、どういうこと!?」

 疑問符が飛び散らかって、わけがわからない。
 ゆうしゃはこんらんしている!

「そんなのこっちが聞きたい! 今までどこにいたんだ!」
「いや、どこって言われても、あれ、私もしかしてテレポートしたの!?」
「はあ!? おれがそんなこと知るか!」
「二人とも……落ち着いてください」

 収集つかない私たちのやり合いに、一番年嵩のルルドが静かな声で割って入る。
 まるで暴れ馬を落ち着かせるように手綱を引っ張られたような感じがした。
 いつもの彼は頭のよさを鼻にかけているみたいでムカつくけど、こういうときは頼りになるかもしれない。

「まず、マリア様。貴女は私たちの目の前に、白い光と共に唐突に出現しました。勇者のお力で転移したと考えてまず間違いないでしょう」
「そ、そっか……」

 なるほどねぇ、勇者の力は見ればすぐにそれだってわかるようなものなのか。
 しろい光なら私も何度も見てるけど、召喚陣とかキリの魔法とか、私の力だけじゃなかったしなぁ。他に何か特徴があるのかな。
 あ、そういえば、と私はあわてて周囲を見回す。
 前にキリの魔法で魔王城に転移したとき、荷物も一緒だったことを思い出したから。
 今回は私の力が暴発したみたいだから、まったく同じ状況というわけじゃないけど、近くに置いてあったスマホも一緒に転移させててそこらへんに落ちてたりしたら困る。壊してもなくしても高くつく。
 とりあえず目につく範囲にはスマホは見当たらなくて、ほっと息を吐いた。どうやら私は身ひとつで転移したらしい。

「そして、イレ。貴方が話すとややこしくなります。私がマリア様と話しますので、貴方は口を閉じていてください」
「なんでだよ! 俺だってこいつに言ってやりたいことが山ほどあるんだ!」
「貴方の文句を聞いていたら日が暮れてしまいますので。私の言うことを聞けないなら、禁書の閲覧許可の推薦を取り下げさせていただきますが」
「それは……くそっ……」

 うるさいイレは、ルルドによって簡単に言いくるめられた。
 禁書の閲覧許可ねぇ。よくわからないけど、ルルドはお偉いさんだからツテみたいなものがあるんだろう。

「マリア様、場所を移しましょうか。ここでは誰に聞かれているかもわかりませんし」
「え、あ、うん」

 勢いに流されるようにうなずいてから、はっとした。
 場所を移すって、どこに? もしかしてお城?
 それだったら、このままルルドについていくことはできない。
 お城に戻ったら、また勇者として魔王を倒すことを求められてしまう。
 私はもう、絶対に魔王を倒せないとわかっている。可能性がない以上、前よりさらにタダ飯食らいだ。
 それを言ったらキリの元でもタダ飯食らいなんだけど……それについてはあんまり考えたくない。あそこは、キリの傍は、居心地がよすぎるから。

 勇者として役立たずな私は、もう王城に戻ることはできない。
 それに……それだけじゃない。
 キリを、ひとりにしたくないんだ。
 ヨセフさんがいるから一人ではないけど、なんというか、寂しい思いをさせたくない。
 私がいることでどれだけキリを笑顔にさせられてるかなんて、普段のキリを知らないからわからないけど。
 キリのためにできることがあるならなんでもしたい、って気持ちは本物だった。

「でも、ごめん。お城には戻れない!」

 少し考えてから、私は正直に言った。
 ルルドなら、拒否すれば無理やり連れて行かれることはないだろうと、なぜか信じられた。
 もし思惑が外れたら、いざとなったら勇者の力で逃げよう。
 やり方わからないけど、前よりは力を使えるようになってきてるし、どうにかなる……と思いたい。

「でしょうね。どうやら転移は意図してのものではなかったようですし、戻るつもりはないだろうと予想はしていました」

 ルルドは私がそう言い出すとわかっていたようで、苦笑を浮かべた。
 思っていたとおり、無理強いをするつもりはなかったようで、ほっと一安心だ。
 なんだかんだで、ルルドは優しいのかもしれない。
 勉強する気がなかったせいで、いつも怒られてばっかりだったけど。

「じゃあ、どこに行くの?」
「いつも内密な話をするときに使っている宿があります。泊まるだけでなく、一時部屋を貸してくれる場所です。少々治安の悪いところにありますが、イレがいればどうにかなるでしょう」

 どういうことだろう、と首をかしげたら、以前も言ったとは思いますが、と嫌味混じりにルルドが説明してくれた。
 イレの服装は王宮術士だと一目でわかるものらしい。
 普通のお金持ちなら逆に狙われたりすることもあるだろうけど、さすがに王宮術士になれるくらいの人間を狙ったら、自分の血を見ることになるのは誰だってわかる。
 だからイレと一緒にいれば、物理的にも対人的にでも、どんなに危ないところだって顔パスで行ける、とのことだった。
 便利なんだなぁ、という顔でイレを見ていたら、口を閉じている約束をした彼は心底嫌そ〜に顔を歪めた。



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