8.どうしたってうなずけない、その誘惑

 冬、ススメの誕生日が過ぎ。
 ススメは十六歳となり、無事に成人した。
 そして……コクヘキの受難の日々が始まった。

「おじさん、契ろう!」
「断る」

 ソファーの隣に座ったススメの誘いを、バッサリと切る。
 そんなふざけた提案に乗ることができるはずなかった。
 ススメの誕生日が終わって、数日。
 なぜかはわからないが、ススメはコクヘキをくり返し誘惑するようになった。
 契ろう、つがいになろう、結婚しよう、好き、愛してる、おじさんだけ。
 言葉を変えて、日に何度も言われていては、さすがのコクヘキもうんざりしてしまう。

「わたし、もう十六だよ! 成人したんだよ!」
「毎年祝っているから知っている」
「じゃあ、なんで大人扱いしてくれないの!」

 かんしゃくを起こす子どものように、かん高い声を上げる。
 地団駄を踏まない分、大人になったと思うべきなのか。
 コクヘキは読んでいた本に視線を戻す。
 こんな馬鹿げたお遊びに付き合っていられるほど、コクヘキは人ができていない。

「お前は俺の養子だ。契ることはできない」
「わたし、知ってるよ。
 養子になったからって、実の子どもじゃないから契ることはできるって」

 少しの迷いもなく、ススメはそう言った。きっと調べたことがあるのだろう。
 魔界の法では、血を分けた兄弟ですらつがいになれる。
 つがいを選ぶのは、命であり、魂だ。法で縛れるわけがない。
 唯一、つがいとなれないのは、実の親子。なれないのではなく、ありえないとも言える。それがどんな原理なのかは魔王ですらわからないだろう。
 血がつながっているかどうかが重要なため、養父と養子であればたしかに、契りを交わすことは可能だ。
 個人的な感情を抜きにするのなら、の話だが。

「おじさんとわたし、血、つながってない。
 契れるよ、大丈夫」

 なんの問題もないとばかりに言うススメに、コクヘキはため息をつく。
 ここ数日、ため息の回数が増えている自覚はあった。
 娘から求婚を受けて、困らない親などどこにもいないだろう。

「俺はお前とつがいになるつもりはない」
「わたしはおじさんとつがいになりたい!」

 言いながら、ススメはコクヘキの足をまたぐように手を置き、顔を覗き込んできた。
 炎よりも熱く、ルビーよりも赤い瞳と、目が合った。
 真っ正面から来られると、そらせなくなる。
 強いまなざしに逃げ出したくなりながらも、コクヘキは口を開く。

「……だから、それは刷り込みだ」

 孤児院の危機を救った、救世主。
 自分を育ててくれた、唯一信頼できる大人。
 ススメが自分をつがいへと望むのも、わからなくはない。
 けれど、そこに本当に想いは存在しているのだろうか。
 自分を律することもできないほどに激しく強い思慕の情を、ススメはコクヘキに抱いているのだろうか。
 コクヘキには、どうしてもそうは見えなかった。
 ススメがコクヘキを見る瞳は、純粋すぎる。きれいすぎる。愛ゆえの欲をうかがえない。
 雛鳥が親鳥を慕う思いと、どう違うというのだろう。

「そんなの関係ない。
 わたし、おじさんが好きだよ。
 それだけで充分でしょ」

 強い、射るような鋭い言葉。
 究極の感情論は、変に説得力があるからいけない。
 それだけで充分だと、あと三十年若かったら同意できたかもしれない。
 けれど、今のコクヘキにはそう言えるだけの若さはなく。
 大人だからこそ、年を食っているからこそ、見えてきてしまうものもある。

「お前をしあわせにしてくれる奴を選びなさい」

 結局、コクヘキにはそう言うことしかできない。
 こんな年の離れた男を選ばなくとも、ススメにはいくらでも選択肢があるはずだった。
 彼女の交友関係には異性も含まれていたはずだ。
 気の合う仲間が、いつかかけがえのない愛しい人になることもあるだろう。
 こんなにすぐ決めることもないのだ。
 ススメにはまだ、未来がある。無限の可能性がある。
 一線を退いて隠居状態のコクヘキと、ずっと一緒にいる必要はない。

「おじさんがしあわせにしてくれるんじゃなきゃ、ヤダ」
「わがままを言わないでくれ」
「好きな人と契りたいって言うのは、わがまま?」

 赤々とした、澄んだ瞳。
 このまなざしを正面から受け止めることに、戸惑いを覚え始めたのはいつからだったか。
 ススメは変わらない。子どものころから、無垢で無邪気で、己に正直で。
 ならば、変わったのはコクヘキのほうなのだろうか。

「……そうではないが」

 どう言えば納得してもらえるのか、わからない。
 思わず、ため息がこぼれた。

「わたしは、おじさんがいいんだよ。
 おじさん以外はイヤなんだよ」

 切々と、憂いを帯びた声が鼓膜を揺らす。コクヘキの心をも。
 どうしてススメの想いを拒絶しているのか、だんだんわからなくなってきそうだ。
 誰よりも、何よりも大切な少女。
 どんな願いだって、できることなら叶えてやりたい。
 つがいにと望まれているなら、応えてやったらどうだろうか。
 そんな、悪魔のささやきが聞こえてくる。
 ……大切だからこそ、うなずけないのだけれど。

「おじさんは、わたしのこと、きらい?」

 ススメの尊い紅玉のような瞳が、うるみを増す。
 ゆがめられた表情は、泣く寸前に見えた。
 少女の涙は見たくない。
 けれど、望む答えを返すことはできない。
 嫌いなわけがなかった。好きに決まっている。
 ただ、それを言ってしまえば、期待させてしまう。
 想いに応える気がないのなら、返すべき言葉はそれではない。

「……つがいにはなれない。それだけだ」

 ふい、と視線をそらす。
 何も後ろめたいことはないはずなのに、心の奥底まで見透かされてしまいそうで、目を合わせていられなかった。
 鮮やかすぎる赤は、無条件に人に恐怖感を与える色なのかもしれない。
 これまでそんなことは一度も思ったことなどなかったというのに。
 今は、ススメのまっすぐ見つめてくる瞳が、怖い。

「おじさんのわからず屋」

 ぼそり、と憎まれ口を叩かれる。
 わからず屋はどっちだ、と言いたくなるのをこらえた。
 ススメはまだ、子どもだ。
 身体は成人していても、心の大部分は子どものまま。
 無邪気で、純粋で、何も知らない。
 保護者への親愛を恋愛感情と勘違いしていてもおかしくはない。
 つがいは、そう簡単に決めていいものではないのだ。
 大人であるコクヘキは、言葉のまま、受け止めてはいけない。



 信じたいのか、勘違いであってほしいのか。
 自分でもよくわからないままに、コクヘキはススメを拒絶するのだった。



前話へ // 次話へ // 作品目次へ