冬、ススメの誕生日が過ぎ。
ススメは十六歳となり、無事に成人した。
そして……コクヘキの受難の日々が始まった。
「おじさん、契ろう!」
「断る」
ソファーの隣に座ったススメの誘いを、バッサリと切る。
そんなふざけた提案に乗ることができるはずなかった。
ススメの誕生日が終わって、数日。
なぜかはわからないが、ススメはコクヘキをくり返し誘惑するようになった。
契ろう、つがいになろう、結婚しよう、好き、愛してる、おじさんだけ。
言葉を変えて、日に何度も言われていては、さすがのコクヘキもうんざりしてしまう。
「わたし、もう十六だよ! 成人したんだよ!」
「毎年祝っているから知っている」
「じゃあ、なんで大人扱いしてくれないの!」
かんしゃくを起こす子どものように、かん高い声を上げる。
地団駄を踏まない分、大人になったと思うべきなのか。
コクヘキは読んでいた本に視線を戻す。
こんな馬鹿げたお遊びに付き合っていられるほど、コクヘキは人ができていない。
「お前は俺の養子だ。契ることはできない」
「わたし、知ってるよ。
養子になったからって、実の子どもじゃないから契ることはできるって」
少しの迷いもなく、ススメはそう言った。きっと調べたことがあるのだろう。
魔界の法では、血を分けた兄弟ですらつがいになれる。
つがいを選ぶのは、命であり、魂だ。法で縛れるわけがない。
唯一、つがいとなれないのは、実の親子。なれないのではなく、ありえないとも言える。それがどんな原理なのかは魔王ですらわからないだろう。
血がつながっているかどうかが重要なため、養父と養子であればたしかに、契りを交わすことは可能だ。
個人的な感情を抜きにするのなら、の話だが。
「おじさんとわたし、血、つながってない。
契れるよ、大丈夫」
なんの問題もないとばかりに言うススメに、コクヘキはため息をつく。
ここ数日、ため息の回数が増えている自覚はあった。
娘から求婚を受けて、困らない親などどこにもいないだろう。
「俺はお前とつがいになるつもりはない」
「わたしはおじさんとつがいになりたい!」
言いながら、ススメはコクヘキの足をまたぐように手を置き、顔を覗き込んできた。
炎よりも熱く、ルビーよりも赤い瞳と、目が合った。
真っ正面から来られると、そらせなくなる。
強いまなざしに逃げ出したくなりながらも、コクヘキは口を開く。
「……だから、それは刷り込みだ」
孤児院の危機を救った、救世主。
自分を育ててくれた、唯一信頼できる大人。
ススメが自分をつがいへと望むのも、わからなくはない。
けれど、そこに本当に想いは存在しているのだろうか。
自分を律することもできないほどに激しく強い思慕の情を、ススメはコクヘキに抱いているのだろうか。
コクヘキには、どうしてもそうは見えなかった。
ススメがコクヘキを見る瞳は、純粋すぎる。きれいすぎる。愛ゆえの欲をうかがえない。
雛鳥が親鳥を慕う思いと、どう違うというのだろう。
「そんなの関係ない。
わたし、おじさんが好きだよ。
それだけで充分でしょ」
強い、射るような鋭い言葉。
究極の感情論は、変に説得力があるからいけない。
それだけで充分だと、あと三十年若かったら同意できたかもしれない。
けれど、今のコクヘキにはそう言えるだけの若さはなく。
大人だからこそ、年を食っているからこそ、見えてきてしまうものもある。
「お前をしあわせにしてくれる奴を選びなさい」
結局、コクヘキにはそう言うことしかできない。
こんな年の離れた男を選ばなくとも、ススメにはいくらでも選択肢があるはずだった。
彼女の交友関係には異性も含まれていたはずだ。
気の合う仲間が、いつかかけがえのない愛しい人になることもあるだろう。
こんなにすぐ決めることもないのだ。
ススメにはまだ、未来がある。無限の可能性がある。
一線を退いて隠居状態のコクヘキと、ずっと一緒にいる必要はない。
「おじさんがしあわせにしてくれるんじゃなきゃ、ヤダ」
「わがままを言わないでくれ」
「好きな人と契りたいって言うのは、わがまま?」
赤々とした、澄んだ瞳。
このまなざしを正面から受け止めることに、戸惑いを覚え始めたのはいつからだったか。
ススメは変わらない。子どものころから、無垢で無邪気で、己に正直で。
ならば、変わったのはコクヘキのほうなのだろうか。
「……そうではないが」
どう言えば納得してもらえるのか、わからない。
思わず、ため息がこぼれた。
「わたしは、おじさんがいいんだよ。
おじさん以外はイヤなんだよ」
切々と、憂いを帯びた声が鼓膜を揺らす。コクヘキの心をも。
どうしてススメの想いを拒絶しているのか、だんだんわからなくなってきそうだ。
誰よりも、何よりも大切な少女。
どんな願いだって、できることなら叶えてやりたい。
つがいにと望まれているなら、応えてやったらどうだろうか。
そんな、悪魔のささやきが聞こえてくる。
……大切だからこそ、うなずけないのだけれど。
「おじさんは、わたしのこと、きらい?」
ススメの尊い紅玉のような瞳が、うるみを増す。
ゆがめられた表情は、泣く寸前に見えた。
少女の涙は見たくない。
けれど、望む答えを返すことはできない。
嫌いなわけがなかった。好きに決まっている。
ただ、それを言ってしまえば、期待させてしまう。
想いに応える気がないのなら、返すべき言葉はそれではない。
「……つがいにはなれない。それだけだ」
ふい、と視線をそらす。
何も後ろめたいことはないはずなのに、心の奥底まで見透かされてしまいそうで、目を合わせていられなかった。
鮮やかすぎる赤は、無条件に人に恐怖感を与える色なのかもしれない。
これまでそんなことは一度も思ったことなどなかったというのに。
今は、ススメのまっすぐ見つめてくる瞳が、怖い。
「おじさんのわからず屋」
ぼそり、と憎まれ口を叩かれる。
わからず屋はどっちだ、と言いたくなるのをこらえた。
ススメはまだ、子どもだ。
身体は成人していても、心の大部分は子どものまま。
無邪気で、純粋で、何も知らない。
保護者への親愛を恋愛感情と勘違いしていてもおかしくはない。
つがいは、そう簡単に決めていいものではないのだ。
大人であるコクヘキは、言葉のまま、受け止めてはいけない。
信じたいのか、勘違いであってほしいのか。
自分でもよくわからないままに、コクヘキはススメを拒絶するのだった。