もふもふ、ぎゅっぎゅ。
ぬいぐるみに癒されていたら、遠くからノックの音。
え、そんなに長い時間マンボウさんとたわむれてたっけ?
とりあえず返事をしなければ。
「ど、どうぞ!」
声が聞こえやすいように寝室のドアを開けてから、言った。
カチャリと客室のドアが開いて、胡桃色のボブヘアーのきれいなお姉さんが入ってきた。
お姉さんはペコリと腰をきれいに折って、礼をする。
「初めまして、ラピスと申します。
フィーラ様のお世話役を仰せつかりました。
どうぞよろしくお願いいたします」
かたや、きれいな姿勢で頭を下げるお姉さん。
かたや、帯を解いたままのくつろいだ姿でぬいぐるみなんて抱えちゃってる私。
……いたたまれないっ!
「あの、様づけなんてやめてください!
私、礼儀作法とか全然知らないんです。できたらもっとフレンドリーにお願いします!」
すがるような気持ちで私は言いつのる。
タクサスさんのお客さま扱いになってるから、なのかな。
森の中だし、そんなに格式張ってる感じがしなかったから気づかなかっただけで、実はタクサスさんはお貴族さまとかだったりする?
それとも賢者ってすんごく偉い人たちなのかな?
「ふふっ、すみません、ちょっとした悪ふざけです。
からかいがいがありそうな子でうれしいです」
ラピスさんは顔を上げて、美人さんには似合わないにんまりとした笑顔でそう言った。
すみれ色の瞳はいたずらの成功した子どもみたいにきらきらしている。
……そっか、こういう人なんだね。
最初から冗談であんな慇懃な態度だったのか。
もし私が普通に答えちゃってたらどうしたんだろう?
「ええと、からかうのはほどほどでお願いします」
「わかりました。ではほどほどにからかうようにしますね」
「で、できればからかわないでほしいんですが」
「いいですか、フィーラさん。
かわいい子はからかわれてなんぼなんですよ」
そんなの初めて聞いたよ!!
別に私かわいくないからからかわなくても、なんて言っても聞いてくれないんだろうなぁ。
ラピスさんはちょっとおもしろい人みたいだ。
苦手ってわけじゃないけど、むしろ仲良くなれたら楽しそうだけど、対応には困る。
ど、どうしよう……。
「からかうのは私なりの親愛表現なので許してくださいな。
改めてよろしくお願いします、フィーラさん」
あ、そうだ、よろしくってまだ言ってなかった。
そういえばいつの間にかさんづけに変わってたんだね。
さんもいらないくらいなんだけど、敬語は変わってないし、こういう口調の人なのかな。
「よろしくお願いします、ラピスさん」
ちょっと開いていた距離をつめて、おじぎをする。
礼儀はわからないけど、大事なのは気持ち。
これからお世話になります。仲良くしてください。そういう気持ちを込めて。
顔を上げたらにっこりと笑う。
ラピスさんもにっこり笑い返してくれた。
えへへ、美人さんの笑顔は眼福ものです!
「では挨拶もすみましたし、身支度しちゃいましょうか。
クローゼットにお着替えはあるんですが、着方がわからないかもしれないからとエリオさんが言ってましたので私が説明役に選ばれたんです。
まさか男性方に任せるわけにもいきませんしね」
「そ、そうですね」
ラピスさんはくすくすと笑みをこぼす。
やっぱりからかい口調は標準装備のようです。
めげません。美人さんと仲良くなるためならこれくらい耐えてみせます!
ということで、ラピスさんに教わりながらお着替えしました。
クローゼットに入っていた服はどれもシンプルなデザインで、いくつか確認するだけで一人ですぐに着ることができた。
私の着ていた服とはかなり違っていたけど、元の世界にも似た服があったのかもしれない。
髪の毛はくしで丁寧に梳いて、ラピスさんにきれいに結ってもらった。
自分でやるって言ったんだけど、私の仕事を取らないでくださいって冗談半分に怒られてしまった。
あんまり教えることがなくて、手持ち無沙汰だったみたいだ。
鏡の前で自分の格好を確認してみる。
七分袖のクリーム色の服はゆったりとしていて、紐で編まれている丸いボタンを左胸らへんから下に四か所とめてある。
下は緑色のひざ丈のスカートで、軽くてフワフワしている。ゴム入りだからちょっとくらい太っても大丈夫だね!
髪はサイドの髪だけ編んで、それを後ろの髪とまとめて一つに結んである。動きやすい一つ結びにしてくださいってお願いした結果がこれ。ラピスさん的にはちょっと不満みたい。
うん、異常なし。
「じゃあフィーラさん、下に行きましょうか。
皆さんそろってらっしゃいますから」
「それは急がないとですね!」
タクサスさんがちゃんと顔合わせをするって言っていたから、たぶんそれだろう。
一足先にラピスさんとはお互い挨拶しちゃったから、あとはたしか二人、だったよね。
ラピスさんが子持ちとは思えないし、残るはラピスさんのご両親ってことだね。やっぱり美形さんと美人さんなのかな。
「そうですよ、ごはんは温かいうちに食べないとですからね」
「え、もうそんな時間ですか?」
「ええ、ほら」
ラピスさんの視線の先の時計を見ると、七時半過ぎくらい。たしかにごはんにはいい時間です。
エリオさんお手製のサンドイッチを食べたのが五時近かったから、三時間くらいしか経ってないけど、軽食だったからおなかはすいてきていた。……単に食いしん坊なだけ?
朝ごはんかぁ、今度はなんだろう。
うきうきしながら考えていたら、
「フィーラさんはわかりやすいですねー」
ってラピスさんに笑われちゃいましたが、気にしません。
その日一日のラッキーアンラッキーは朝食で決まるようなものなんですから!
「おはよう、フィーラ」
「来たな」
「おはようございます、エリオさん、タクサスさん!」
ひろ〜いお部屋に入って、まずは席の前に立っている二人に挨拶する。別れてからあんまり時間は経ってないけど、朝の挨拶は大切だからね。
手招きされて、エリオさんの隣に行く。
「名は先ほど名乗ったが、俺がこの屋敷の主のタクサス。エリオと同じく賢者だ。
エリオから聞いていると思うが、しばらくはここで過ごすことになるだろう。
不自由なく暮らせるよう、力を尽くそう」
タクサスさんは軽く自己紹介をしてから、横に視線を移す。
「紹介しよう。ローラスとマルバとラピスだ。
ローラスは主に俺の執務を手伝ってもらっている。
マルバは食事の支度や庭の手入れなどをしてもらっている。
ラピスは、もう知っているかもしれないが、屋敷の掃除やその他雑務を担ってもらっている」
「よろしくお願いします。
屋敷のことで何かわからないことがありましたら私にお尋ねください」
「よろしくね、フィーラさん。
かわいい子のお世話ができるなんてうれしいわ」
「改めて、よろしくお願いしますね」
横一列に並んだ三人が順々に頭を下げる。
ロマンスグレーの、昔は絶対にモテモテだっただろうなぁっていう素敵なおじさま。メガネの奥の目の色はラピスさんに似ている。
ラピスさんと同じ胡桃色の髪に琥珀の瞳の女性は、おばさんって言えないくらい若々しくてきれいな人。
それとラピスさん、いつの間にそっちに行っていたんですか、早業ですね。
「フィーラです。しばらくお世話になります。
いたらないところもあると思いますが、よろしくお願いします!」
三人みたいにきれいにはできないけれど、気持ちは伝わるようにっておじぎをする。
ローラスさんに、マルバさん、ラピスさん。名前はちゃんと覚えました。
みんな優しそうな人たちだし、仲良くできたらいいな。
横から「お嫁に行くんじゃないんだから……」って笑い混じりのつぶやきが聞こえたけど、知らんぷり。ふつつかものですが、って言わなかっただけマシじゃないか。
「さっきも言ったが、フィーラは落ち人だ。
この世界では当たり前のことでもわからない可能性が高い。
困っているときは手を貸してやってほしい」
「承知しました」
「もちろんですわ」
「任せてくださいな」
「あ、ありがとうございます!」
タクサスさんの厚意と三人のしっかりとした返事に胸があたたかくなる。
この世界の人間じゃないんだ、っていう寂しかった気持ちなんてどうでもよくなるくらい、うれしい。
おんぶに抱っこは嫌だから、何か私も行動で返せたらいいな。
「もちろんオレを一番に頼ってくれたらうれしいけどね」
エリオさんが私の顔を覗き込んで言う。
冗談みたいな言い方は、たぶん私が気に病まないようにだ。
本当に気配り上手な人なんだから。
はにかんで「はい」ってうなずくと、よろしい、とばかりに頭をなでられた。
う〜ん、相変わらず絶妙な優しさ具合です。
「じゃあ、食事にするか」
タクサスさんの一声で、ご飯タイムが始まるようです。