34話 竜が動くということ

「知らん。が、ある程度予想はつく」
「世界の理が関わっている、ってこと?」

 世界の理とは、世界が世界として在るために、必要な決まり。世界が正しく回るようにと作られた法則。
 竜たちは世界の理を守るために存在する、と言われている。
 彼らは基本的に、驚くほどに他人に無関心だ。
 みどりを訪ねてきたことは数度あるらしいが、それはただ世界の御子が別格なだけだろう。
 竜が動いた、ということは、つまりフィーラが彼らの守る世界の理に関わりのある存在かもしれない、ということ。

「可能性はあるだろうな」
「ちょっと待って、それってすごく大問題なんだけど」

 肯定的なタクサスの言に、思わずエリオは詰め寄るように身を乗り出してしまう。

「わかっている。だがまだ憶測にすぎない。
 今、俺たちにどうにかできることはないんだ」

 慎重なタクサスはしばらく様子見するつもりなのだろう。
 それについてはエリオも同意見だが、だからといって焦燥を感じずにはいられない。

「関わっているとしたら、どこからなんだろうね。
 フィーラ? 最初の落ち物? それとももっと前から、何か予兆はあったのかな」

 エリオは自分の髪をくしゃりとかき回す。
 フィーラは何者なのだろう? どうして落ちてきた? なぜ竜が動く?
 今はまだ何も、わからない。
 わからないことが多すぎて、謎が謎を呼んでいる。
 《陽光の賢者》だなんだと呼ばれていても、しょせんはこの程度だ。

 白竜はなんのためにやってくるのだろう。
 エリオが逃げていることも、エリオが恐れているものも、すべてを眼前に突きつけてくる存在。
 本人にそんな意図はないだろうが、エリオからすれば彼は鬼門でしかない。
 それでも賢者として、何かあれば協力しなければいけないということくらいはわかっている。

「こうなってくるとフィーラは二重の被害者なのかもしれないね」

 あちらの世界と、こちらの世界の。
 人の都合、世界の都合に、フィーラが振り回されているだけだとしたら。
 彼女を疑うエリオはとんだ悪人だろうと思う。

「中立を保つんじゃなかったのか?」
「あくまで可能性を考えてるだけだよ。
 別にオレだってフィーラを悪役に仕立てあげたいわけじゃない」
「態度が軟化しているように見えるのは俺の気のせいか?」
「さあ、どうだろうね。
 フィーラ自身が悪い子じゃないっていうのは、最初からわかってたよ」

 軟化しているわけではないはずだ。別に元から頑なになっていたつもりもないのだから。
 嘘のつけない子だな、と思ったのは森で質問をしたときだ。首を振る前の一瞬の反応で答えを察してしまうほどだった。
 エリオのことを無条件に信じてしまっているのは、口よりも雄弁に語る瞳を見ていればわかった。
 先ほどの話で、それを確定させてしまっただけだ。

 理屈じゃないんです、と言ったときのフィーラを思い出す。
 つたないながらも一生懸命思っていることを伝えようとする姿は、言葉よりも胸に響いた。
 本当に、子どものように裏表がなさすぎて、危なっかしい。
 エリオでなくても、フィーラの心を覗くことなど簡単にできてしまうだろう。
 彼女には、悪巧みなんて誰かと頭を取り替えないかぎりできない。

 エリオの言葉に、タクサスは含みのある笑みを浮かべた。
 何を考えているのか、だいたいわかってしまったエリオは眉をひそめる。
 おおかた、それで中立だなどとよく言えたものだとでも思っているのだろう。

「悪事を働くのは悪人ばかりじゃないって、タクサスだって知ってるでしょ。
 ましてオレたちに都合の悪いことは、誰かさんにとっては喜ばしいこと。
 どんなにいい子だったとしても全面的には信用できないよ」

 個人の気立てはあまり関係ないとエリオは思っている。
 犯罪者がすべてわかりやすく悪人らしい性格をしているなら、被害者がだまされることはぐっと減るはずだ。
 悪行を働く人すべてが悪人というわけではなく、また善行をする人が善人ともかぎらない。
 フィーラがどれだけ善良な人間に見えても、だからといって信用できるというわけではないのだ。
 しかもフィーラは人に利用されやすそうな性格をしているため、そういった面での注意も必要になる。
 もしエリオたちに害をなす者につけ込まれたら、内に毒をもたらすことになるのだから。

「……ようやくわかった。お前が何を考えているのか」

 タクサスのガーネットのような瞳が不思議な色を見せる。
 エリオを諭すようななだめるような、そんな居心地の悪い、思いやりの色。

「彼女を信じたいんだろう。
 だから、疑うことで早く疑惑を晴らそうとしているんだ」

 タクサスは、時にエリオが自分でも気づいていないような本心をあばく。

「……タクサス」
「図星か?」
「君のそういうとこ、ちょっと厄介だよね」

 直球勝負は、エリオには分が悪い。
 どう答えたところで、心の揺れはばれてしまうだろうから。

「簡単には信用できない、って思ってるのは本当。
 異世界人だからね。どこまでオレたちと同じなのか、違うのか、まだわからない。
 けど、今のところ普通に話せてるし、悪い子には見えないし。すごく危なっかしいところなんか、思わず親みたいな気分で注意したくなるし。
 信じさせてくれたらいいな、とは……思ってる」

 それはタクサスの言葉をほとんど認めたようなものだ。
 初めから疑いの目を持ち、一つ一つ見定めていくことで、逆に疑う必要はないと証明したいのだと。
 早く、信じてもいいのだと思えるように。
 そんな思いが隠れていたことに、エリオは自分でも気づかなかった。
 いや、わざと気づかないようにしていたのだろう。

「そうだな。何事もなければいい」
「白竜が絡んでくる時点で、確実に何事かは起きるだろうけどね」
「かもしれないな」

 竜が個人的なことで動くとは思いがたい。すでに何かしらは起きているのだろうし、これからも起こるだろう。
 フィーラがこの世界で過ごす日々が平穏無事なものであるはずがない。
 それでも、エリオは願ってしまう。

「フィーラが、傷つくようなことがなければいいな。
 オレが傷つけなきゃいけないようなことにならなければいい」

 ほとんど独り言のように、エリオはそうつぶやいていた。
 もちろん願うだけではなく、自分の力でなんとかなる範囲なら尽力するつもりだ。
 エリオに向けられた信頼のまなざしを、くもらせてしまわないように。

 きれいな色、と。お日さまみたい、と。
 他の人に言われたなら皮肉と捉えてしまいそうな褒め言葉を、純粋にうれしいと思った。
 春の陽射しにまどろむようなやわらかい笑みを、純粋にきれいだと思った。
 あんなふうに屈託のない好意が向けられることなど、久しく覚えになかった。
 面映さと、後ろめたさに、エリオは苦笑するしかなかった。
 あまり信用するな。と言っても聞かないのだから、もうどうしようもない。
 信頼を裏切ることにならなければいいと、願うだけだ。

「みどりは、お前にその調子でがんばれと言っていた。
 努力次第でどうにでもなるんじゃないか」

 タクサスはエリオの言葉にも驚くことなく、彼には珍しく楽観論を述べた。
 楽観論というよりは精神論にも近い、エリオの能力を買っているからこその言葉か。
 エリオの危惧も、葛藤も、大丈夫だと励まされたような気がした。
 無条件に信じたくなる気持ち、というのは理解できなくもない。とエリオはフィーラの主張を少しだけ認めたくなった。

「なら、がんばるしかないね。
 できるなら、一般的な意味での保護者でいたいから」

 保護者という立場を、悪用しなければいけない日が来ないように。
 今はただ、それだけを願うのだった。



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