16 記憶・たまごボーロ U

「16の時だよ、俺がこの世界にやってきたのは」

 唐突に、ケイトは語り始めた。
 私が初めて聞く、ケイトの過去。ケイトの身の上。
 今のケイトにつながる、ケイトの傷。




  ◇ ◆ ◇




 学校の帰り道の途中、頭の中に声が響いたんだ。
 何を言ってるのかは聞き取れなかった。知らない言語だった。
 幻聴かな、って最初は思ったけど、ずっとガミガミ言ってて、「うるさい!」ってつい怒鳴った。
 ……応えちゃ、いけなかったんだろうね。
 次の瞬間、光に包まれて、気づいたらこの世界の、とある国の神殿のど真ん中に立っていた。
 俺はこの世界の神様に喚ばれたらしい。
 世界を救う勇者として、ね。

 城での待遇はそりゃあもう極上だった。
 王様と同じくらい贅沢したんじゃないかな。
 欲しいものはなんでも用意してくれた。俺が願えばなんだって叶えてくれた。
 ガキが権力なんて持つもんじゃないよね。俺はすぐに有頂天になった。
 だって、みんな優しいし褒めてくれるし、かわいいお姫様まで頬染めて俺のこと持ち上げてくれるなんて、最高でしょ。

 俺さ、子どもだったんだ。
 単純で、ほんと、ばかだったんだ。
 うっかりお姫様に惚れちゃってさ、その子のためなら死ぬ気で魔王を倒してもいいかなって思っちゃうくらい。
 お約束すぎてそのあとの展開はわかりやすいんじゃないかな。
 俺は、魔王討伐が成功したらお姫様と結婚させてもらうことを条件に、王様の選んだ仲間たちと旅に出た。

 勇者として世界を旅してさ、勇者様、勇者様って、どこ行ってもありがたがられた。
 俺はさらに天狗になった。今じゃ思い出したくもないくらい。
 変に偉ぶったり、わがまま言いまくったり、おもしろ半分でけっこうひどいことだってやったよ。
 たぶん、ゲーム感覚だったのもあったんだろうね。
 地に足がついてなくて、耳に優しい言葉だけ聞いて、汚いもの、都合の悪いものはなんにも見ようとしてなかった。

 5年、旅をしたよ。
 魔物は弱っちかった。というよりそのときから俺は最強だった。
 それでも魔物の数が多かったから、精霊王に精霊石を借りるなんていうイベントもこなしながら、世界各地を回った。
 途中、この島にも寄った。ここは特殊な場所で、この島を守護する緑の精霊王に俺ひとり召喚されて、力を試された。
 他にも、赤、青、白、黒、銀、最後に金。
 全色の精霊石をそろえた瞬間、石は俺の身体に吸い込まれていった。俺は勇者の本来の力を発揮できるようになった、らしい。
 正直、その前から最強だったから違いは感じられなかった。
 でもひとつ、髪の色が変わったよ。日本人らしい黒髪だったのに、金色にされた。今じゃさすがに慣れたけど、当時はすごい違和感だったな。

 魔王は拍子抜けするくらいあっさり倒せたよ。
 相打ちする覚悟だって一応決めてたのに、かすり傷ひとつ負わなかった。
 フードを深く被ってて、結局最後まで顔を見せなかった魔王は、俺たちが襲いかかってもピクリとも動かなかったんだ。
 魔王を無力化する力、それが勇者の力。
 とかなんとか城で聞いていたけど、こんなに一方的だなんてね。
 でも、魔王が不吉なことを言ったんだ。

「これが地獄の始まりだぞ」

 ってね。
 何が地獄か、すぐにわかった。
 どんな神様のいたずらなのか知らないけど、魔王を倒して、俺は人の心を覗き込めるようになってしまったんだ。
 きっかり3秒、目を合わせること。それが条件。

 最初に見ちゃったのは一緒に旅してた戦士だった。
 笑いながら、俺のことを褒めながら、俺のことを怖がってた。内心でチビりそうなくらい怯えてた。
 神官も、魔法使いも、弓使いも、パーティーみんな、俺のこと化け物みたいに思ってた。
 でも、信じられなくて、直接本人に聞いた。
 心が見えるなんて気のせいだ、これは魔王の呪いか何かなんだ、って思いたかった。
 なのにみんな、俺が心を暴くと、もう表情も取り繕えないくらいに俺に怯えた。
 俺は一気に仲間を失った。
 ……いや、仲間だって、俺が勝手に思ってただけだったんだよね。

 一緒になんていられなくて、ひとりで先に城に戻ったよ。
 少しでも早く最愛のお姫様に会いたかった。
 お姫様ならきっと俺を怖がらない。きっと俺に心から笑いかけてくれる。
 そう、縋るみたいに信じてた。
 なのに城に帰ると、お姫様は体調崩してるっつって会えなかった。何日も。

 ようやくお姫様が元気になって、会いに行ったら、お姫様は目を合わせてくれなかった。すぐ、そらされた。
「本心を見られるのは恥ずかしい」って頬を染めたから、俺はそれを信じた。
 あのときの俺はばかだったけど、さすがになんかおかしいなとは思ってたよ。
 だからこれが最後のチャンスだって思ってた。
 もしお姫様も俺を怖がったら、俺は生きていけないって思った。

 約束していたとおり、俺とお姫様の結婚の準備が超特急で進められた。
 俺が旅してる間に、結婚衣装とか、時間のかかるものは終わらせてあったらしい。まあ5年もあったからね。
 俺は純粋にうれしかった。再び、有頂天な俺が顔を出した。
 結婚は、好きな人とずっと一緒にいられる約束だ。
 たとえ相手が、相変わらず目を合わせてくれなくても。

 結婚式は滞りなく終わって、初夜。
 俺はお姫様を抱こうとした。
 ……した、んだ。
 でも、できなかった。

 お姫様が、悲鳴を上げた。

 ベッドの上で抱きしめて、それだけ。まだ、何もしてなかった。
 何かする前に、お姫様の限界が来た。
 さわらないで、ってむちゃくちゃに暴れ始めた。

「いやだ」
「こわい」
「たすけて」

 信じられないような言葉がかわいい口から吐き出された。
 ずっと聞いていたくなるかわいい声が、聞きたくなかった言葉を紡いだ。

「なんで私が化け物なんかと結婚しなくちゃいけないの」
「やっぱり耐えられない」
「化け物に抱かれたくなんてない」
「私まで化け物になってしまう」

 俺は、衝撃すぎて、手を離した。
 お姫様は俺の手から逃げた。
 窓の外に、バルコニーに逃げた。
 逃げて、それで。
 3秒、目が合った。

――私の人生を狂わせたあなたを許さない。

 恐怖よりも強い、俺への憎しみ。

――あなたなんて死んでしまえばよかったのに。

 その心を俺に晒しながら、お姫様は、バルコニーから飛び降りた。
 すぐさま助けようとすれば、助けられたんだろうなぁ。
 何しろチート勇者だし、空飛べるし、テレポートもできたし。
 でも、動けなかった。
 俺が放心している一瞬の間に、お姫様は地面と仲良くなって、死んだ。

 それからはもう、ほんとばかみたいなことになったよ。
 俺は王女殺害の容疑を着せられた。
 お姫様が俺を嫌ってるって知ってる奴も中にはいただろうに、みんな口をつぐんだ。
 勇者は魔王の血を浴びて狂った、って言われた。
 確かに狂ったのかもしれないね、俺の人生が。
 お姫様に目の前で自殺されて、俺の心も。

 王女を娶ったその日に、俺は王族殺しになって。
 少しもしないうちに処刑されることになった。
 別にさー、もう死んでもいいやって思ってたんだ。
 魔王倒してから最悪なことばっかりだったし、生きてる意味なくね? って思った。
 けどさ。

 今死んだら、あの世でお姫様と顔合わせるんじゃないかなって、それだけが怖かった。
 この国の宗教観では、やっぱり天国みたいな場所があってさ。
 それがどこまで真実かはわからないけど、魔法があって勇者や魔王がいるんだから、あの世があってもおかしくないよね。
 上辺しか見てない、ばかみたいな恋だったけど、あのときの俺なりに、ちゃんと好きだったからさ。
 お姫様の全力の拒絶は、死をもっての抗議は、かなりショックだったわけ。

 お姫様は、俺に触れられたくないから死んだんだ。
 俺と、一緒にいたくないから死んだんだ。
 今はまだ、逝けない、って思った。
 それはお姫様のためじゃなくて、もう、拒絶されたくなかったから、ってだけなんだけど。

 俺は牢屋から逃げ出した。
 手枷も足枷も壊して、他に迷惑がかからないよう、自力で逃げたのがわかりやすいように壁に穴開けて。
 それくらいお茶の子さいさいだった。
 どこにも行くあてなんてなかったけど、俺の顔は知れ渡ってるから人里にはいられない。
 そもそももう人間恐怖症になってたから、誰とも関わり合いたくなかったし。
 だから、ほんの思いつきで、人っ子ひとりいないこの島に来た。
 精霊だけは俺を歓迎してくれたよ。慰めてもくれた。
 ここでいいや、ってなって、毎日をぼんやり過ごした。

 最初の50年は、色々思い出しては泣いたり、嘆いたり、震えたりしてた。理不尽なこの世界に憤ってた。
 途中で年を取らなくなってることにも気づいて、自分が怖くなった。
 でもだんだん、全部どうでもよくなっていった。

 次の50年は、本当に無気力に生きてた。
 俺の身体ってさ、ご飯食べなくても寝なくても死なないんだ。精霊が力を貸してくれるから。
 周囲の精霊の精気をもらって、自堕落に生きてた。
 だけど、少しずつ退屈を感じるようになって、何かしたくなってきた。
 心が回復したのか、麻痺したのかは、わからない。

 次の50年で俺がここで生きていく地盤を整えた。
 まず家を作るところから始めた。
 木を切ったり削ったりは魔法でできるんだけど、ポンッてできてるものを出すことはできないんだよねぇ。だから家も家具も全部ハンドメイド。
 それから畑を作って、庭を作って。野菜や花の品種改良とかしちゃったりして。卵とか鶏肉も好きだったから野生より育てたほうがいいなってなって、初代デイジーたちを捕まえて繁殖させて。
 建築も酪農も物知りな精霊たちがやり方を教えてくれたけど、精霊って大雑把だから説明が下手で、失敗することも多くて試行錯誤の連続。醤油も味噌も何度も失敗してやっと今の味になった。
 何かに夢中になってるときって、いいよね。
 いやなこと全部忘れられる。
 本当は忘れてないんだけど、頭の隅に追いやれるんだ。

 最後の50年は、悠々自適に暮らしたよ。
 だいたいの材料はそろうようになったから、好きなだけ料理して好きなだけ食べた。満腹中枢もイカれてたからね。
 片手間程度に新しい品種の花を咲かせたりして、その花に新しい精霊が宿るのを見て楽しんだり。
 なんだかんだで楽しかったかもしれない。
 けど、ある日突然気づいてしまった。

 俺、なんで生きてるんだろう、って。

 そう疑問に思っちゃったらもうおしまい。
 死ぬことが魅力的に見えてきた。
 もうさすがにお姫様はあの世にいないだろう。いても俺のことなんて覚えてないだろう。
 生きるのも死ぬのも、俺は自由だ。
 俺の好きにしていいんだ。

 死のう、って心が決まった。
 まるでこれからパーティーを開くみたいに心がウキウキした。
 できるだけ晴れやかに死にたいと思った。
 ただひとつ問題があったわけ。問題っていうか、感傷っていうか。
 ひとりで死ぬのは寂しいなぁ、って。

 でも俺ってそんなに悪逆非道じゃないからさー。
 正直、この世界に復讐してもいいくらいの目には合わされてるんだろうけど。
 世界とか、国とか、そこまで行かなくても村ひとつとか、道連れにしようとは思わなかったのね。
 なんとなく、ひとりはやだなぁって思っただけ。
 連れていくのはひとりでいい。
 たったひとり、この世界の住人じゃない奴がいい。

 だって、一緒にあの世に行くんだよ。
 大嫌いなこの世界の人間となんて連れ立っても、晴れやかな気持ちになれるわけない。
 そんなのせっかく気持ちよく死のうとしてる意味がない。
 だから、俺は元の世界から召喚することにした。
 一緒に死んでくれる人を。

 でもね、召喚魔法って中々に難しかった。いくらチートな元勇者でもね。
 というか、制約が多かったんだ。
 俺は神様に喚ばれた、って言ったよね。
 違う世界からの召喚魔法は神の領域なんだ。
 200年ちょっとじゃ、まだまだその域までは行ってなかったらしい。

 結局こうなってることからもわかるように、方法は、あったんだけどね。
 これは俺にしか使えない召喚方法だった。

 過去に会ったことのある人。名前を知っている人。

 それが、異世界から召喚できる条件だった。



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