楽しかった時間はあっというまに過ぎていって。
出店を見て回ったあと、元の場所まで戻ってきたら、隊長さんとのデートはおしまいになった。
そこで隊長さんを待っていた、この町の警備をしている第五師団の隊員さんと、隊長さんはまた話し込んでいる。
そんな様子を、もうすることのない私はこっそりと覗き見ているのです。
「サクラちゃん、まだ町を見ていてもいいんだよ?」
「もう買いたいものは全部買いましたし。今はまったり休憩タイムなのです」
「そのわりにさっきからずーっと隊長のことばかり見てるけどね」
余計なお世話です!
だって、だって、気になっちゃうんだもん。
……隊長さんが、女性と話してるのが。
私の視線の先では、隊服に身を包んだ、すらりと背の高い女の人。
整った顔立ちをしているのは遠くからでもわかる。ポニーテールにしているプラチナブロンドは、垂らしていないのがもったいないくらいきれいな色をしていた。
男らしくて格好いい隊長さんと並んでも遜色がないくらいの、大人の女性。
私と隊長さんは並んでもああはならない。私が童顔なのも手伝って、大人と子どもにしか見えない。
いいなぁ、いいなぁ。
日本人の平均身長よりは高いっていっても、こっちの人と比べちゃうと私は小さいほうだし。
ボディラインもすごくきれいで、モデルさんみたいでうらやましい。
「彼女は副隊長直属部隊の小隊長だよ。隊長とはビジネスライクな関係だから、安心して」
私の視線をそらすように、シャルトルさんが横から顔を近づけてきた。
不安になっていたわけじゃない。
でも、にっこり笑ってそう言われると、ちょっと気が楽になったのも事実だった。
……うう、気を使われてしまった。
「隊長にあこがれてこの隊に入った奴だけどな」
「ビリー!」
「んだよ、ほんとのこと言っただけだろ」
ビリーさんの言葉に、正体不明の不快感がわき上がってきて、私は自分の気持ちを持て余す。
なんでこんなに変な気分になるんだろう。
私は隊長さんが好きで、隊長さんは私のことが好きだ。
そのことはちゃんとわかってる。
なら、何も問題はないはずなのに。
どうして私は、泣きたくなってるんだろう。
「サクラちゃん、ビリーの言うことなんか気にすることないからね」
「大丈夫ですって。わかってますから」
シャルトルさんに笑い返したものの、上手に笑えた自信はない。
なんだか心がもやもやとして、気持ち悪い。
普通に考えれば、嫉妬なんだと思う。
でも、そんな一言じゃ表しきれないような、複雑な色をした感情で。
どうしたらもやもやが消えてくれるのか、今の私にはわからない。
「ちょっと、向こう行ってます」
「サクラちゃん?」
「時間までには戻りますから」
振り返ることなく声をかけ、私はその場を離れた。
一人になって、頭を冷やしたかったから。
「あーもう……ビリー、君のせいだからね」
「知るかよ」
そんな声が後ろから聞こえた気がしたけれど。
もう、いっぱいいっぱいで。
他人のことにまで気を配ることなんて、できなかった。
* * * *
あてもなく歩いて、住宅地と思わしき場所まで来た。
周辺にお店はないから活気がなくて、人気もない。たまに一人二人すれ違う程度。
でも、人がいようといまいと、どっちでもいいんだ。
私を知ってる人がいなければそれで。
道の端で立ち止まって、塀に背をあずけて空を見上げる。
青々とした空には、ぽっかりと、一つだけ小さな雲が浮かんでいた。
まるで今の私みたいだな、なんて考えはさすがに卑屈すぎかな。
「どうかしたのか、サクラ」
聞こえてきた声に、私は反応を返さなかった。
もしかしたら、来るかもなぁとは、思っていたんだ。
隊長さんは優しいから。
困ってる人を、助けを必要としている人を、放っておけない人だから。
そんな優しさが、今はちょっと痛い。
「まったく、土地勘のないお前が一人になろうとするな」
低くてよく響く、大好きな声。
最初は迫力があってちょっとだけ怖かったのが、ずっと聞いていたいって思うようになったのは、いつからだったかな。
それは、私の気持ちの変化だけじゃなくて、隊長さんの声が優しくなったからでもあるのかもしれない。
「……どうしたんだ」
微動だにしない私を、不審に思ったんだろう。
問いかけと共に、足音が近づいてくる。
空を見上げていた視線を、隊長さんに向けた。
いぶかしげな表情の隊長さんに、私は笑いかけた。
隊長さんの眉間にしわが寄る。
ああ、だめだ。やっぱりちゃんと笑えていないみたい。
「サクラ?」
隊長さんが、私の名前を呼ぶ。
この世界には存在しない名前を。
そっか、違うからだ。
私は、この世界の人間ではないから。
だからうらやましいんだ。
この世界で普通に暮らしていて、普通に隊長さんと出会うことのできた人たちが。
蓋をしていた思いの一端が、女性隊員さんをきっかけにしてひょっこりと顔を出してしまった。
嫉妬に近くて、けれどもっと複雑で汚くて、どうしようもできない感情。
なんで私と隊長さんは、住む世界が違ったんだろう。
この世界で生まれて育った私なんて、想像もできないんだけど。
あっちの世界にいる隊長さんだってもちろん、想像できないんだけど。
あんな出会い方じゃなかったら、隊長さんは私のことなんて意識してくれなかったかもしれないけど。
私が精霊の客人だから、今があるんだって、わかっているつもりなんだけど。
もっと、当たり前な出会いをして、当たり前な恋をしたかったって。
そんなふうに思ってしまう自分がいる。
「なんか、ちょっと今、心の中がぐちゃぐちゃしてます」
言葉にできないもやもやが、全身にめぐっている。
何を言ってもトゲトゲとした毒になってしまいそうで、意図せず隊長さんを傷つけてしまいそうで。
この気持ちとどう折り合いをつければいいのか、誰かに教えてもらいたかった。
「吐き出して楽になることもあるぞ」
そんなふうに隊長さんは簡単に言った。
だめだよ、だめなんだ隊長さん。
私は隊長さんを傷つけたくないんだよ。
隊長さんは私のことをすごくすごく大切に思っているって、私のことで悩んで、傷ついてくれるって、知ってるから。
隊長さんはそういう人だって、理解してるから。
――ねえ、サクラ。隊長さんを傷つけないためにはどうすればいい?
心の中で自分に問いかける。
――本当のことなんて言えないよ。だって、隊長さんを傷つけちゃう。
そう、心の中の私は答える。
そっか、そうだよね。
じゃあどうすればいいのかな。
私は大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。
うん、だいじょうぶ。
私は隊長さんが大事で、すごく大事で。
自分がどんなに傷ついていたって、隊長さんを傷つけたくないって。
それだけがわかっていれば、大丈夫。
隊長さんをごまかせる。ごまかしてみせる。
「一つだけ、確認させてください」
私はそう言ってから、隊長さんに背を向けた。
表情までは、ちゃんと作れる気がしなかったから。
「隊長さんが好きなのは、私ですよね? 他の誰でもなくて、私を選んでくれたんですよね?」
声は、いつもよりも元気のないものになったけど、それは大丈夫。
きっと不安になっているからだと思ってくれる。
背中で指を組んで、足下の石を蹴ったりしてみる。
照れ隠しだとか、そんなふうに解釈してくれないかな、と期待しながら。
「ああ、お前だけだ」
優しい声が、真上から降ってくる。
思わず顔を上げようとするよりも先に、後ろから抱きしめられた。
がっしりとした腕が、私を離すまいとするように絡みつく。
こんなときですら、隊長さんのぬくもりにほっとしている私がいる。
「他の誰でもないお前に、傍にいてほしいと願っている」
それは、私のもやもやをも包み込むような言葉だった。
この世界の誰よりも、私がいいって、私じゃないとダメだって、隊長さんが言ってくれるなら。
私が異世界人だったことにも、意味はあるのかな。
住む世界が違っても、この世界の誰も私の名前の意味を知らなくても。
それでも私はここにいてもいいのかな。
「不安があるなら言ってくれ。俺はそれほど察しはよくない」
そんなの嘘だ。隊長さんはなんだかんだでいつも私の気持ちを察してくれちゃう。
だから、余計に心配させたくないって思うんだ。
「……もう、大丈夫ですよ」
声が震えないように、私は小さな声で言う。
言葉にしたら、少しだけ大丈夫なような気がしてきた。
「隊長さんにお似合いなのは、格好いい女性かなって。ちょっとだけ、嫉妬しちゃいました。でもいいんです。隊長さんにふさわしい大人の女性になれるように、努力しますから!」
私は笑顔で振り返って、まくし立てるように言った。
嫉妬だって、全部が全部嘘なわけじゃない。
だからきっと隊長さんはごまかされてくれるはず。
ううん、違う。ごまかされてください。
悩みなんて何もない、脳天気にへらへらしてる私でいたいから。
隊長さんの前では、ことさらにそう思う。
「お前は、今のままでいい」
夜明け前の空の色みたいな瞳が、静かに、穏やかに私を見下ろしている。
隊長さんの言葉が、想いが、私の心にじんわりと染み渡っていく。
私の悩みなんて、葛藤なんて、本当は全部わかっちゃってるんじゃないかって。
そんな気がしてくるくらいに。
「隊長さんは優しいなぁ」
ぽつりとそうこぼして、私は正面から隊長さんに抱きつく。
広い胸板は、どっしりとした安心感を私に与えてくれる。
私がどれだけ寄りかかったって、隊長さんはしっかり支えてくれちゃいそうで。
私でもよくわかっていないようなもやもやを全部、ぶつけたくなってしまう。
そうして、でろでろに甘やかしてもらいたくなってしまう。
こんな気持ちになるの、初めてだ。
それだけ隊長さんに心を許してるってことなんだろう。
「恋は人を欲張りにしますね」
「当たり前のことだろう」
私のつぶやきに、間髪入れずに返ってくる言葉。
当たり前、なのかな。
隊長さんの気持ちはちゃんとわかっているのに、言葉が欲しくなったり。
なのに、隊長さんの本気からは目をそらしていたり。
隊長さんがちょっと他の女の人と話していたくらいでもやもやしちゃったり。
甘えたくて甘えたくてしょうがなくなっちゃったり。
本当のことは言えずにごまかしながらも、隊長さんの言葉に癒されていたり。
そんな欲張りでずるい私を、隊長さんは当然のことだって受け入れてくれているのかな。
「隊長さんも、欲張りになってくれてますか?」
隊長さんを見上げながら、首をかしげる。
私が隊長さんに寄りかかっているみたいに、隊長さんも私に少しは甘えてくれているのかな。
私ばかりもらっちゃっている気がして、心苦しい。
隊長さんにあげられるものなんて、好きって気持ちと身体くらいしかないけど。
私はちゃんと、隊長さんの欲しいものをあげられているのかな。
「……ああ」
隊長さんは少しの沈黙のあとに、どこか複雑そうな微苦笑をこぼした。
その答えは、私をちょっとだけ安心させた。
「えへへ、一緒ですね」
にこっと笑いかけると、隊長さんは何も言わずに頭をなでてくれた。
二人で欲張りになってるなら、まあ、いいのかな。
それなりにバランスは取れているのかな。
もやもやは、全部は消えてくれないけれど。
今はそれは脇に置いておこう。
考えたくないことは考えないほうが、精神衛生上いいのです。