12:強い魔物が襲来してきました

 魔物の襲来は、だいたい月に一度か二度ほどある。
 この世界の魔物は魔力の淀みから生まれるものらしい。生まれる、という表現が正しいのかはよくわからない。
 魔力の淀みが発生する場所はだいたい決まっていて、その近くにここのように砦が作られ、人里に魔物が行かないように日々魔物を狩っている。
 魔物は人の気配につられてやってくる。だから、砦に魔物が引き寄せられるのも当然のことなんだそうだ。

 今日の昼過ぎ、あの警報が鳴った。
 どの音がどんな意味を持つのか、何度も繰り返し聞かされて覚えた私は、すぐに理解した。
 いつもよりもだいぶ強い魔物が現れたのだということを。
 隊長さんも小隊長さんもすぐに討伐に向かった。砦にいた隊員さんのおよそ半数が出動した。
 私が来てからは初めての大規模な戦闘になるのは間違いないだろう。

 念のため、私たち使用人は部屋で待機。荷物もまとめておくようにと使用人頭さんから通達された。
 今回狩りきれなかった場合、血の匂いによって集まってきた魔物にまた襲撃される恐れがある。
 そして、それが砦にまで被害を及ぼす可能性がないわけではないので、一時避難もありえるということだった。

「……隊長さん」

 ため息と一緒に口からこぼれ落ちた。
 さっきから嫌な感じのドキドキが止まらない。
 私たちはただ部屋で待機しているだけ。大変なのは隊長さんたちだ。
 私がここで心配していたところで、事態は何も変わらないのはわかってる。
 でも、心配になるのはどうしようもない。

「心配することないわよ。あの隊長が負けるわけないでしょ」
「信じましょう、サクラさん」

 同じ部屋にいたエルミアさんとハニーナちゃんは、そう言って私を励ましてくれた。
 二人だって、今戦っている隊員さんの中に家族や知り合いがいる。
 心配なのは私だけじゃないはずだ。
 なのに、優しい言葉をかけてくれている。
 魔物との戦いに慣れている、っていうこともあるんだろうけど。
 強いなぁ、とうらやましくなった。

「二人とも……ありがとうございます!」

 感謝の気持ちを込めて、私は二人に笑顔を向けた。
 持つべきものは友だちですね!
 心配するなっていうのは、やっぱり無理なんだけど。
 さっきよりも少しだけ、心が軽くなった。


  * * * *


 隊長さんたちが戻ってきたのは、夕方ごろだった。だいたい五時間くらいは戦っていたんだろうか。
 正確には、怪我をした人なんかはちょこちょこ戻ってきていたみたいだし、長引く戦いに、途中から討伐に向かった隊員さんもいるらしい。
 私はずっと部屋にいたから、詳しいことはわからないけど。

 帰ってきてすぐに、隊長さんは一度私の部屋まで顔を見せに来てくれた。
 まだ着替えてもいなくて、汗だくで、返り血も浴びてて、いつも以上に怖い顔をしていた。
 お帰りなさい、と言った私に、隊長さんは少しだけ表情を和らげて。
 ああ、という短い返事と一緒に、私の頭をぽんぽんとした。
 そのぬくもりに、本当に隊長さんが無事に帰ってきたんだな、って思ったら。
 なんだか泣いちゃいそうになってしまった。
 ……一部始終を見ていた二人には、というかエルミアさんには、ニヤニヤと笑いながらからかわれましたとも。


 それから少しして、夕食の時間。
 私は使用人頭さんから聞いていたことよりも少し詳しい話を隊長さんから聞いた。
 魔物はすべて倒せたということ。とはいえ、適切な処理はしたものの、また魔物が来る危険性がないとは言えないこと。
 今のところは一時避難するほどではないと決定が下されたが、それがくつがえる可能性もあるということ。
 ふんふん、と聞きながら、ご飯を食べる。
 おいしいはずのご飯は、いつもよりも少しだけ味気なく感じた。

「今日はちょっと強い魔物だったみたいですね」

 ご飯を食べ終わって、まったりタイム。
 まあ、まったりしているのは私だけなんだけどね。
 まだ事後処理が残っている隊長さんは、仕事を部屋に持ち帰ってきていた。
 書類に目を落として何か書いている隊長さんに、私は話しかける。
 隊長さんが仕事を持ち帰るのはそうめずらしいことじゃなくて、そんなとき、最初は邪魔にならないよう話しかけたりしなかったんだけど。
 話していてもいなくても作業効率は変わらないから、気にするな、とある日隊長さんに言われた。
 むしろ、そわそわした様子でじっと見られているほうが気が散るんだとか。

「ああ、少々手こずった」
「怪我がなくてよかったです」

 隊長さんの無事な姿を見たとき、本当に安心したことを思い出して、自然と笑みがこぼれた。
 隊長さんたちが魔物と戦うのは仕事で、義務で、責務で。
 放り投げていいものじゃないって、この世界に来てまだ三ヶ月ちょっとの私でもよくわかっている。
 隊長さんがやらなかったら、他の大勢の人たちが傷つく。命すら危うくなる。
 そうならないために、隊長さんたちは自ら危険に身を投じる。
 だから、私に言えるのは、無事でよかったと、それだけなんだ。
 間違っても、行かないでなんて言っちゃいけない。

「心配はいらないといつも言っているだろう」

 うん、隊長さんはいつもそう言う。
 心配するな。俺は大丈夫だ。自分の心配をしろ。
 そんなふうに、私のことばかり優先する。
 それだけ私のことを大切に思ってくれているんだってことは伝わってくるし、もちろんうれしい。
 でもね、私だって、隊長さんを大切にしたいんだよ。

「心配くらいはさせてください。私にはそれしかできないんですから」

 私のその言葉に、隊長さんの顔が上げられる。
 交わった視線に引き寄せられるようにして、私は隊長さんとの間にあった距離をつめて、隣に立った。
 椅子に座っている隊長さんは、今の私より目線が少し低い。
 見上げてくる隊長さんに、私は微笑んだ。
 それは、苦笑に近かったかもしれない。

「私のいた世界には、魔物なんていなかったから、どんなものなのかって想像することしかできません。でも、話を聞いて、恐ろしい存在だっていうのはわかってます」

 熊とか、ライオンとか、怖い動物なら知っている。
 でも、その怖さを実際に体感することなんてなかった。
 噛まれたら痛いんだろうな、とか、死んじゃうんだろうな、とか、想像することしかできない。
 魔物のことがわからないのも、それと一緒だ。
 砦の中で大切に守られている私は、まだ魔物の姿を見たことすらない。

 ただ、漠然とした不安や恐怖はいつも私の胸にわだかまっている。
 以前、真っ赤に染まったシャツを見たからかもしれない。
 魔物との戦いで傷ついた隊員さんの話を何度か聞いたからかもしれない。
 私が暮らしていた世界よりも、ここは危険が隣り合わせで。
 いつ、隊長さんが大怪我をしても、……死んでしまっても、おかしくないんだって。
 そんな当たり前のことを、ぼんやりと理解してきてしまったから。

「隊長さんは強いってわかってても、絶対なんてないから。心配になるのはしょうがないんです」

 話しながら、私はそっと隊長さんの頬に手を触れる。
 傷のない、きれいな顔。
 でも、彼の身体中に傷痕が刻まれていることを、私は知っている。
 致命傷ではなくてよかった、とそれらを見るたびに思う。
 もう傷が増えないように、と願ってしまうことをやめられない。

「……この世界が怖いか?」

 私の手に、大きな手が重ねられた。
 ダークブルーの瞳がまっすぐ私を見上げてくる。
 偽りは許さない、と言うように。
 それでいて、どこか気遣わしげに。

「怖くないって言ったら、たぶん嘘になっちゃいます。だって、争い事なんて遠い世界の話だったし」
「平和な世界だったんだな」
「過去には、戦争もあったんですよ。今だって違う国では戦争や内乱があったりしますし。でも、私の住んでた国は犯罪とかも外国と比べると少なくて、平和でした」

 平和で、便利で、欲しいものはだいたいそろう、恵まれた暮らしをしていた。
 平和だからこその問題とかもたくさんあったけど、私は日本が、自分の住んでる地域が、けっこう好きだった。
 もう、一生帰ることはできない場所。
 少しだけチクンと胸に刺さった何かを、私は気づかないふりをした。

「お前を見ているとわかる気がする」
「甘ちゃんだからですか?」

 私がそう尋ねると、隊長さんは小さく笑みをこぼした。
 当たらずとも遠からず、だろうか。

「自分を抑止せず、自分を偽ることなくいるには、それを受け入れることのできる環境が必要だ」

 重ねていた手で私の手を握って、その手に視線を落としながら隊長さんは言った。
 わぁ、ずいぶんと耳に優しい言葉に言い換えてくれましたね。

「つまり私が変わり者だってことですか」
「稀有な存在だ、ということだ」

 隊長さんの言葉には嘘や誇張は感じられなかった。
 稀有、だなんて。
 まるで私が特別で、高貴な何かみたいに言わないでほしい。
 線引きをされているみたいで、悲しくなってしまうじゃないか。
 私は普通だ。ちょっと言動はアレかもしれないけど、中身はいたって普通の人間。
 喜ぶし悲しむし笑うし泣くし、この世界の人たちとも違いなんてそんなにないと思う。
 精霊の客人だとか、そんな肩書きがあっても、私は私で、特別なんかじゃない。

 私の複雑な気持ちを見て取ったらしい隊長さんは、きゅっと私の手を一度強めに握る。
 それから、無骨な指が、私の手の甲をゆっくりとなぞっていく。
 剣を握る硬い皮のざらついた感触は、妙にこそばゆい。
 隊長さんはいつも、私のことを大切な宝物のように丁重に扱ってくれる。
 私には、そんなふうにされる価値なんてないんだけどな。

「心配するな、とはもう言わない」

 隊長さんは前のめりになって、私に顔を近づけてきた。
 青みがかった灰色の瞳には、不安げな私が映り込んでいる。

「だが、信じていてほしい。俺の無事を」

 隊長さんのまなざしは、どこまでも真摯で。
 揺るぎない声には、私の不安も怯えもすべて、溶かしてなくしてしまうような熱がこもっていて。
 それだけの覚悟があるのだと、それだけの自信があるのだと、言外に教えてくれた。

「俺は必ず、お前の元に帰ってくると誓う」

 その言葉は、私の手に直接落とされた。
 手の甲、指の先、手のひら。
 隊長さんは私の手のいたるところにキスをしていく。
 ぶわわわっと、急激に体温が上がっていくのがわかる。
 どうしたんですか隊長さん、らしくないですよ!
 いきなり攻められると、どうしていいのかわからなくなってしまう。
 こんなことくらいで恥ずかしがるとか、私のほうこそらしくないのにな。

「……信じさせて、くれますか?」
「ああ」

 動揺で震える声で告げた問いに、隊長さんははっきりとうなずいた。
 エルミアさんも、ハニーナちゃんも、強いなって思ったけど。
 やっぱり、一番強いのは隊長さんだ。
 この人なら大丈夫、って無条件に信じたくなるものがある。
 だから私は、隊長さんのことが好きなんだろうなぁ。

「隊長さん、隊長さん」

 ぽかぽかと胸があたたかくなってきて、私の気持ちを少しでも隊長さんに伝えたくて。
 私は隊長さんに呼びかけてみた。
 隊長さんの瞳がやわらかな光を帯びる。
 それに気をよくした私は、ちょっとだけかがんで、隊長さんにキスをした。

「えへへ、大好きです」

 にひゃ〜っと満面に笑みを浮かべて、私は言う。
 隊長さんは少しの間呆然とし、そのあとすぐに顔を片手で覆って、うつむいてしまった。
 でも、赤い耳が丸見えだから、照れているのはバレバレだ。
 頭隠して耳隠さずとはこのことですね!
 くすくすと笑っていると、隊長さんに睨みつけられた。
 怖い顔なのに、なんだか全然怖くなくって、さらに笑いが止まらなくなった。


 隊長さんのおかげで、不安もどっかに行っちゃったみたいです。



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