俺が何を考えていようが、どんな煩悩を抱えていようが、サクラはまったく気づかない。
隠しているのだから気づかれては困るのだが、脳天気な顔を見せられると、理不尽だとしても多少は怒りもわいてくる。
誰のせいでこんなに悩んでいると思っているんだ。
そもそも、お前が無防備な姿を晒さなければ、俺は自分の欲に気づくこともなかったのに。
今さら、詮なきことだとはわかっていたけれど。
「隊長さん、それ、お酒ですか?」
「ああ」
夜、サクラが部屋に訪れたとき、俺は晩酌中だった。
あの嵐の夜から、サクラは味をしめたのか、こうして夜にも部屋に来るようになった。
それにどれだけ俺の理性が試されているのか、知りもしないで。
こくり、とまた一口酒を飲む。
じわりと喉を焼く熱は、酒によるものだけではないような気がした。
「わー、私も飲みたい!」
「未成年が飲んでいいものじゃない」
「え、ひどい! 私、今年で二十歳になりましたよ! 成人してますよ!」
思いがけない言葉に、俺は口を半開きにしたまま固まった。
二十歳? 成人している?
どこもかしこも細い華奢な身体つき。大きな目に低い鼻、丸い顔の形。
どう見ても二十歳には見えなかった。
「……冗談だろう?」
そう言ってしまったのも無理はないと思う。
俺でなくても、サクラが歳相応に見える奴はいないだろう。
「隊長さん、私のこと何歳くらいだと思ってたんですか?」
「十五、六だと……」
「そんな子どもに手を出したんですか隊長さん! ロリコンですか!」
「す、すまない……」
失礼なことを言った自覚はあるので、謝るしかない。
成人前に性行為に及ぶことは特に禁止されているわけではなく、初めてが十三や十四の時という奴だっている。
だからといって、大人がいたずらに子どもに手を出して許されるはずもない。未成年はきちんと法律で守られている。
サクラを抱いてしまったことを後悔したのには、未成年だと思っていたからというのも大きい。
もちろん、実年齢を知ったところで罪悪感が減るわけもないけれど。
「悪いと思ってるならお酒飲ませてください!」
明らかに関連性のない発言だった。
その場のノリで言っていることは、大して怒っていなさそうなサクラの顔を見ればわかった。
「……強いぞ?」
「私けっこうイケる口です。苦手なお酒もあるけど」
自己申告がどれだけ信用できるかは怪しいところだ。
だが、本当に酒に弱いなら最初から飲もうとはしないだろう。
少しくらいなら大丈夫だろう、と俺はグラスをサクラに向けた。
「舐める程度にしておけ」
「わーい、いただきます!」
グラスを受け取ったサクラは、俺の言葉を聞かずに普通に飲んでいる。
一口でやめないところを見ると、たしかにそれなりに強いらしい。
酒が甘口だということに驚いていたが、口当たりはいいとはいえ強い酒。女性が飲む場合は割って飲むのが基本だ。
おいしいおいしいとこくこく飲んでいくサクラに、俺は危機感を覚えた。
「おい、飲みすぎだ」
サクラからグラスを取り上げる。
グラスに半分以上入っていたはずの酒は、ほぼなくなっていた。
いつも俺が晩酌に使っているグラスだ。酒好きの男が使うような大きめのもの。いったいどれだけ飲んだのか。
「そんなことないですよ〜。えへへ、甘い〜」
「……酔っているのか?」
「またまた〜、酔ってませんったら〜」
サクラは上機嫌にゆらゆらと揺れながら、くふふ、とおかしな笑い声をもらす。
顔色はそれほど違いはないのに、どう見ても酔っている。
少々止めるのが遅かったようだ。
「……顔に出にくいのか」
どうしたものか、と俺は顔をしかめる。
酔っぱらいの対処なんて、男相手のものしか知らない。
俺の前でふらふらに酔っぱらうほど飲む女性なんてこれまでいなかった。酔ったふりならいくらでもいたが。
「たいちょーさん?」
くて、とサクラは小首をかしげる。
夜空よりも黒い瞳が無防備に俺を見上げてくる。
ぞわり、と身体が反応した。
夜だからだろう。これ以上彼女をこの場に置いておくのは危険だ。
「自分の部屋に戻れるか?」
「え〜、まだ戻りませ〜ん。もっと隊長さんとお話する!」
いつもはここで引くというのに、酔っているからか遠慮というものがなくなっている。
この程度のわがままはかわいいものだとは思う。
だが、かわいいからこそ、問題だ。
無邪気に俺の中の欲をあおるサクラに、苛立ちを覚える。
「……仕方がない」
一つ息をついて、そうつぶやく。
立ち上がると、不思議そうな顔をしているサクラの横まで行って、彼女を横抱きにする。
「隊長さん力持ち〜!」
きゃあきゃあと腕の中ではしゃぐサクラ。
これは子どもだ。子どもを運んでいるのと同じだ。
そう自分に言い聞かせながら、寝室まで連れて行く。
ベッドの上に下ろすと、サクラは全身の力を抜いて気持ちよさそうに目を細めた。
酔いが回ってきたのか、眠気におそわれているのが見て取れた。
「もう寝ろ」
サクラに布団をかけてやってから、俺は言った。
寝かせてしまえば、俺も手を出そうとは思わないだろう。
無抵抗の女性に己の欲望をぶつけようとするほど、落ちぶれてはいないはずだ。
「眠くなーい、ですよ〜」
「それでも寝ろ」
「隊長さん冷たい〜」
「……どうしろというんだ」
夜に、寝室で、サクラと二人きり。
この状況がどれだけ危ういものか、俺はよく理解していた。
もっと話をする、とサクラは言った。だが、このままでは話だけですむとは思えない。
どうしてそれが彼女にはわからないんだろうか。
助けを求めるのはいい。甘えるのもいい。
一度乗りかかった船だ。国に保護されるまでは面倒を見るつもりでいる。
彼女には俺よりも頼りにできる奴はいないようだから、仕方ない。
けれど、あまり信頼してくれるな。
俺は男なんだ。やろうと思えば力で簡単にお前を押さえ込めてしまう。
女なら誰でもいいと思ったことはなかったはずだが、なぜかサクラには劣情を刺激される。
出会い頭にあんなことがあって、どうしてここまで無防備でいられるんだ。
「ちゅーしてください、ちゅー」
しまいには、そんなことまで言い出す始末。
わかっていない。本当に、欠片もわかっていない。
目の前にいる男が、どれだけ危険人物なのか、ということを。
今の俺は恐ろしいほどのしかめ面になっていることだろう。
「お前は……まったく」
思わずこぼれたため息は、とても深いものだった。
怒ったところで、酔っぱらいにはそれほど効果はないだろう。
あとで好きなだけ説教するとして、今はサクラの気がすむようにしなければ。
寝かせつけてしまえば、あとは俺は隣の応接室ででも寝ればいい。
同じ部屋で寝ることなんて、今ではもう考えられない。危ない橋は渡らないに越したことはない。
「……これで我慢しろ」
そう告げてから、俺はサクラの額に口づけを落とした。
胸にくすぶる欲を理性でもって制する。
これ以上は、触れられない。望まない結果を生んでしまうから。
「うふふ、違いますよ〜。ちゅーは……」
サクラは身体を起こして、俺の頬に両手を添えた。
どんどん顔が近づいていくのを、俺は身じろぎ一つできずに見つめていた。
ちゅ、と小さな音がする。
やわらかな唇が、たった一瞬、俺の唇に触れた。
「口と口じゃなきゃ、ダメなんですよ〜」
クスクスと、何が楽しいのかサクラは笑っている。
もう一度、今度はしっかりと唇が触れ合う。
直接伝わってくるぬくもりに、全身が熱せられていく。
これ以上は、いけない。わかっていながらも抵抗する気は起きなかった。
ぺろりと唇が舐められたかと思うと、サクラの舌が口内へと入り込んでくる。
小さな舌が俺の舌におずおずと触れてきて、思わず彼女の肩をつかんだ。
――こいつは、どこまで俺をあおれば気がすむんだ!
駄目だ、触れたい。我慢が利かない。
彼女のほうからしてきたくせに、どこかひかえめな口づけが物足りず、俺のほうから舌を絡めた。
角度をつけて、深く深く口づける。
後頭部を固定しながら、うなじを指でなぞれば、ピクリと震える細い肩。
「んっ……ふ……」
舌の裏を舐めながら少し口を離すと、もれ出る甘い声。
これがずっと聞きたかったんだ、と気づかされてしまった。
もっと触れたい。もっと声が聞きたい。もっと、サクラが欲しい。
ねだるように舌を甘噛みされて、理性は欲望によって完全に溶かされた。
口の端からこぼれた唾液を追って、頬からあごへと舌を滑らせていく。
唾液すら甘いのは、甘みの強い酒の名残だろうか。
酔っているのはサクラなのか、俺なのか。
きっと酒にではなく、深い口づけに酔ったんだろう。
「はっ……や、あぁ……」
別の意図を持って首筋を唇でなぞっていけば、こらえきれていない嬌声が耳をくすぐる。
その声に耳から犯されているような感覚がする。
これ以上ないほどに、己が高ぶっていることを自覚させられる。
サクラに触れたい。サクラを抱きたい。
サクラを……自分だけのものにしてしまいたい。
「たいちょ、さ……あっ!」
白い肩に自分の痕をつけた時、悲鳴のような声が上がった。
その甲高い声に、はっと我に返った。
……何を、しているんだ、俺は。
身体を離して、俺は呆然とサクラを見下ろした。
「もう終わり、ですか?」
そう尋ねるサクラは明らかに続きを期待していた。
やめる必要なんてない。このまま抱いてしまえばいい。彼女もそれを望んでいる。
そんな甘言が耳の裏でささやかれる。
……けれどそれは、酔っているからだ。
普段は抑圧されているものが、今はさらけ出されているだけ。
たとえば、不安だとか、寂しさだとか。
いつも明るくふるまっているけれど、たった一人で異世界に来てしまって、つらくないはずがない。
そうだ、俺は見たじゃないか。聞いたじゃないか。
家族が欲しい、と小さな希望にすがりつくようにつぶやいていた姿を。
「すまない」
俺は小さくそう告げた。サクラはただぼんやりとそれを聞いていた。
このまま事に及んでしまったとして、彼女はきっと俺を責めることはないだろうけれど。
最後の理性が、俺を押しとどめた。
今ここで抱いてしまえば、もう俺は抑えが利かなくなるだろうとわかっていた。
きっと、サクラの寂しさにつけ込んででも、手に入れようとしてしまう。
そんな卑怯な真似はできない。してはいけない。
「……寝ろ」
サクラの肩を押して、ベッドに横たえさせる。
抵抗しないサクラに布団をかけ、俺は身をひるがえし、部屋から出て行った。
今は隣の部屋ですら寝れる気はしない。いや、寝ること自体が無理かもしれない。
執務室に行こう。あそこにもソファーはある。
少しでもサクラから距離を取らなければ。
何かの拍子に彼女を求めてしまいそうで、自分自身が怖かった。
あの甘い声が、耳について離れない。
唾液で濡れた唇はひどく扇情的だった。
赤い痕をつけた白い肌は滑らかで、ずっと触れていたいと思うほどだった。
闇色の瞳は俺を誘うようにうるんでいた。
思い出すだけで、全身に熱が広がっていく。一向に冷め止みそうにない。
彼女を求めるこの想いは、ただの肉欲ではない。
それだけで、これほどに我慢が利かなくなることなどあるわけがない。
手に入れたいのは、身体だけではなくて。
本当に欲しいものは、心も身体も含めた、彼女のすべて。
そう、気づいてしまった。
この、焼きつくような激しい恋情を、認めざるをえなかった。