グレイスの回想1 −第一印象−

 仕事を終えて私室に戻ってきた俺を迎えたのは、バスタオル一枚姿のサクラだった。

「おかえりなさい、隊長さん!」

 サクラは満面の笑みを浮かべていた。
 その表情はかわいいと不覚にも思ってしまった。
 部屋にいること自体は、合鍵を渡してあるのだから不思議ではない。だが、その格好はどうした。
 バスタオルは、サクラがこの世界に招かれたときに身にまとっていたものだ。
 たしか『うさぎのムーさんバスタオル』だと言ったか。
 鈍い緑色をしたうさぎは、何が不満なのかと聞きたくなるようなしかめっ面をしている。

『ちょっと隊長さんに似てますよね!』

 とサクラに言われたときは、どう反応すればいいものか悩んだものだ。
 いや、今はうさぎのムーさんはどうでもいい。
 問題なのはサクラの格好だ。もっと言うならその格好に至るまでの思考回路だ。
 サクラはなぜか、キラキラと瞳を輝かせていた。
 まるで何かを期待するかのように。

 たっぷり十秒ほど見つめ合ったのち、俺は静かに扉を閉めた。
 もちろん、サクラだけを部屋に残して。

「た、隊長さん!? どうして閉めるんですかっ!」

 中からあわてた様子の声が聞こえる。
 それを一切無視して、俺は深くため息をつく。
 時折、不思議に思わずにはいられない。
 どうして俺は、こんな女のことが好きなんだろうか、と。
 自分の理想はひかえめで貞節な女性だったはずだ。
 サクラはその理想からすれば、正反対と言っても過言ではない。

「隊長さ〜ん……」

 なのにどうして、自分を呼ぶ声にこんなにも胸がうずくのだろうか。
 そんな問いは、もはや意味を成さない。
 好きだと、愛しいと、気づいてしまったその時から。
 いや、もしかしたら、彼女と出会ったその時から。
 抗えぬほどにおぼれてしまうことは、決まっていたのかもしれない。

 俺は彼女とのこれまでの日々を思い返した。


  * * * *


「隊長? お疲れですか?」

 ミルトの訝しげな声に、俺ははっと我に返った。
 どうやら書類を手に持ったまま静止していたらしい。
 今日はずっと集中力に欠けているのは、自分が一番よくわかっていた。
 それというのも、今現在俺の私室にいる少女のことがあるからだ。
 勝手に勘違いをして、無理やり関係を持ってしまった少女。
 これからのことを思うと、どうしてもため息をつかずにはいられなかった。

 最初にベッドの上にその姿を見たとき、またか、と思った。
 立場上、定期的に女をあてがわれるのは慣れていた。
 放っておいてくれ、と言ったところで効果がないのはわかっている。
 いつもなら、相手にもせずにきびすを返して部屋を出て行き、一晩を執務室で過ごす。
 子を成してもいいようにとそれなりの身分の女なのか、みな俺を追ってまで誘惑するほどの大胆さはない。
 気を害すか気を落とすかした女は、朝にはいなくなっている。転移の術を込めた魔具を持たされているんだろう。
 それが常だった。

 昨日はちょうど、魔物の討伐に区切りがついた日だった。
 ここ数日、魔物の血にまみれ、魔物との戦闘に気が高ぶっていた。
 向こうは魔物の情報を得ていて、今が好機と送り込んできたんだろう。そのときの俺はそう思った。
 いつもなら相手にはしない。けれど今は、たしかに女の肌を欲していた。
 子どもさえ作らなければいいだけだ。仮に婚約だ結婚だのと押しつけてきたとしても、いくらでも逃れようはある。
 眼前にさらされた裸体は発育途中にも見えるが、充分女の身体をしていた。
 自分に差し出されているものを、何を遠慮する必要があるのか。
 最初は多少暴れた少女も、すぐに身体の力を抜いた。
 大切に守られてきたであろうきれいな肌を、俺は気の高ぶりに任せて味わいつくした。

 すべてが誤解だったと知ったのは、今朝のことだ。
 彼女は――サクラ・ミナカミは、精霊の客人だった。
 よく注意して見てみれば、たしかに人の子の精霊と融合しているのがわかった。
 そんなことにも気づかなかった昨日の自分を恨めしく思った。

『いやいやいや、別に気にしてませんから! あなた美形だし、なんかすごく気持ちよくしてもらっちゃったし、初めてでもなかったですし私! そりゃ自分のベッドに半裸の女がいたら勘違いして当然かも、みたいな!』

 その言葉だけで、彼女が変わり者であることは理解できた。
 普通、同意もなしにおそわれておいて、気持ちよくしてもらったから別にいい、なんて言う女はいない。
 助かった、と内心思ったことは否定できない。だからといって罪悪感がなくなるわけでもないが。
 だが、少しも怒らず、落ち込みもしないことが、逆に不安をあおった。
 まさか、粗末な扱いを受けることに慣れているんだろうか、と。

「隊長、悩みごとでもあるなら相談に乗りますけど?」

 言葉に反して、ミルトの表情は厳しい。
 だからさっさと仕事してください、と暗に言っているのがわかる。
 無理もない。昨日までの魔物討伐のしわ寄せが一気に来ているのだから。
 その上、今回の討伐内容の報告書も国に提出しなければいけない。大規模だったために、細かい数字を出すのは骨が折れる作業だ。
 机上の仕事は俺よりもミルトのほうが向いている。だからこそこうして書類の確認をしてもらっているわけで。
 確認しなければいけない書類がまだできあがっていないのだから、急かされるのも当然だった。

「……いや」

 悩みといえば悩みだけれど、相談するようなことではない。
 女好きのミルトのことだ。サクラの存在を知ればどうなることか。
 いや、ミルトは実のところひどく冷静で利己的だ。ただ女だというだけでサクラに手を出したりはしないだろう。精霊の客人を損ねれば、精霊からの手痛いしっぺ返しがあるという話だ。
 他の隊員に知られるよりは、だいぶマシかもしれない。
 サクラはこれからしばらくの間、この砦で生活することになる。
 自分一人で用意できるものも限られている。ミルトにも事情を説明するべきだろうか。

「まったくもー、ちゃんと仕事してくださいよ、隊長。書類、できたらまた呼んでください」

 迷っているうちに、ひらひらと手を振って、ミルトは執務室を出て行ってしまった。
 呆れを隠さない言葉が耳に痛かった。
 仕事しろと言うのは、いつもなら俺のほうだ。それを、言われる側だったミルトに言われるとは。


 今は彼女のことは忘れよう、と俺は書類に向かった。



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