33:隊長さんをとっ捕まえました

 それからさらに数日が過ぎた。
 隊長さんは私を徹底的に避けているようで、まず見かけることすら稀。
 遠くからだったものの、姿を見たのは二回。そのどちらもすぐにその場から去られてしまった。
 本格的に、避けられている。
 そう気づいて、最初はすごくショックだった。悲しかった。
 でも、数日もすると、だんだんと怒りが込み上げてきた。

 ねえ隊長さん。
 私、この世界にトリップしてきちゃってから、もう一ヶ月過ぎちゃったんですよ。
 一ヶ月記念、なんて祝うつもりはなかったけど。
 世間話の一つとして話題にして、時間が経つのは早いですね、とか言いたかったのに。
 お話どころか、顔を合わせることすらできないなんて。
 そんなの、私は嫌だよ。我慢できないよ。

 ということで、温厚な私もいい加減、堪忍袋の緒が切れそうなので。
 確実に隊長さんとお話するために、夜の休憩時間が始まってすぐ、待ち伏せすることにしました。
 場所は、隊長さんの私室がある階の、いつも隊長さんが使うほうの階段の横。
 階段を上ってくるときには見えないよう、死角になる場所で息をひそめる。
 ここの階には隊長さん以外の部屋もあるから、何人かと顔を合わせることになった。
 だけど、なぜかみなさん「がんばれー」とか「負けるな」とか言い残していく。
 ……隊長さんが私を避けてることに、みんな気づいているわけですね。
 でもって、私がそれをとっ捕まえようとしているのを、応援してくれているわけなのですね。
 なんというか、和気あいあいとしているんだね、第五師団のみなさん。

 カツ、カツ、カツ。

 しばらくして、階段を上ってくる、男の人にしては静かな足音。
 隊長さんだ、と直感が告げる。
 私はなんだか泣きそうになった。
 足音でわかっちゃうくらい、私はやっぱり隊長さんのことが好きらしい。
 ずっとずっと、隊長さんの存在を求めていたらしい。

 目が人の影を捉えた瞬間、私はバッと手を伸ばした。
 両手でその人の袖をつかむ。
 彼は勢いよく振り返って、反射的にか私の手を振り払い距離を取った。

「……っ」
「こんばんは」

 私を認めると、隊長さんは気まずそうな顔をした。
 それを気にしないようにして、私は声をかける。
 隊長さんは返事をすることなく、私から顔を背ける。
 そして、私のことなんて知らないとばかりに歩き出してしまう。
 ……ちょ、ちょ、ちょっとタンマ!

「なんで避けるんですかっ!」

 私は早足の隊長さんに遅れないよう、駆け足でついていく。
 隊長さんの足はまっすぐに私室を目指している。
 この野郎、籠城するつもりだな?
 そっちがそのつもりなら、部屋までついていってやりますから!

 隊長さんが私室の扉を開いたタイミングで、私は再度、彼の袖をつかんだ。
 どうだ、これで籠城はできまい。
 隊長さんは逃げることをあきらめたのか、一つため息をついてから部屋に入った。
 もちろん、袖をつかんだままの私も一緒に。
 まあ、ゆっくり話すなら部屋でのほうがいいよね。

「……避けてなどいない」

 さっきの言葉への答えのつもりなのか、隊長さんはそう言った。
 私はムッと顔をしかめた。

「バレバレな嘘はやめてください。ほとんど姿を見なくなったし、休憩時間に部屋に行ってもいないし、夜は鍵が開いてません。ごくたまに姿を見てもすぐに逃げるじゃないですか。私、すっごく寂しいです!」

 心のおもむくままに言い募る。
 まず最初に謝るつもりだったのに、隊長さんが逃げるものだから、つい文句を言ってしまった。

「それは……悪かったとは思うが」
「謝るくらいなら理由を話してください」
「……勘弁してくれ」

 隊長さんは私と目を合わせようとしない。
 腕を引こうとするけど、私はさらに強く袖を握って離さない。
 逃げないでください、隊長さん。

「ちゃんと話してください。私のこと、嫌いになりましたか?」

 隊長さんと話せないなんて、隊長さんの顔が見られないなんて、私は我慢できないんだよ。
 あの夜のことが嫌だったっていうなら、いくらでも謝る。
 だから、前と同じでいいから、相手をしてほしい。
 いつかは好きになってほしいって思っているのも、事実なんだけども。

「違う。俺が……俺が、今までどおりではいられないから」
「今までどおり?」

 私はその言葉に首をかしげる。
 隊長さんの視線が、私の首筋から肩のあたりに向けられる。
 一週間ほど前……私が酔ってキスをした夜に、隊長さんがキスマークをつけたところだ。
 もう、痕はきれいに消えてしまっている。
 それなのに、隊長さんは私に傷でもつけたかのような、罪悪感でいっぱいといった顔をする。

「一緒にいると、触れたくなる」

 それはどういう意味だろう、と私はゆうに十秒くらい、理解できずにいた。
 触れたくなる。さわりたくなる。私に? どうして?
 お酒を飲んだ夜のことを思い出して、もしかして性的な意味でってことなのかな、と遅ればせながら思い至る。

 そっか、私、隊長さんの好みの範疇だったんだ。
 こんなときになんだけれど、私はほっとしてしまった。
 実はけっこう脈ありだったりする?
 隊長さんに私のことを好きになってもらえる可能性、ないわけじゃないのかな。
 身体に興味があるだけ、っていうこともありえるけど。
 それだって、まったく興味がないよりは望みを持てるはず。

「触れればいいじゃないですか」

 私がそう言うと、隊長さんは思いきり眉をひそめた。
 相変わらず、視線で人を殺せそうな強面だ。
 そんな顔すら一週間近くぶりに見たものだから、怖さよりも懐かしさで胸がいっぱいになる。

「ただ触れるだけじゃない。それ以上のことをしたくなる」
「すればいいじゃないですか」

 私としてはオールオッケーだ。
 身体から始まる恋というのもあると思うよ。
 実際に私たち、お互いの名前を知る前に身体を知っちゃっているしね。
 私の身体が気になるんなら、きっとそのうち中身も好きになってくれるかも。

「抱かないと言った」

 言ったね、トリップしてきた次の日の夜に。
 でも、あのときはあのとき、でいいじゃないか。

「前言撤回してもいいですよ」
「しない」
「してください」

 どっちも一歩も引かない。
 というよりも、隊長さんが引いてるのを私が押せ押せゴーゴー状態というか。
 まったくもう、隊長さんは強情だ。
 私がいいって言ってるんだから、据え膳をいただいちゃえばいいのに。
 真面目だから、身体だけの関係とか嫌なのかもしれないけど。
 だったら心ごと私にくれれば無問題ですよ、なんちゃって。

「お前は……」

 隊長さんの仏頂面が、崩れる。
 なんて表現したらいいのか、よくわからない顔。
 悔しそうな、悲しそうな……なんだか泣き出しちゃいそうな。
 どうして、隊長さんはそんな顔をするんだろう。

「お前はどうせ、俺のことが好きなわけではないんだろう?」

 その声は、一息では飲み込めないほどの苦々しさを含んでいた。
 お前はどうせ、俺のことが、好きなわけでは、ない?
 理解が追いつかない。何が言いたいんですか隊長さん。

「なんですかそれ。関係あるんですか?」
「あるから言っている」

 わかるように説明しようとしない隊長さんに、私は焦れる。
 本当のことなんて言ったら、困るくせに。
 もういい。そっちがその気なら、好きなだけ困ればいいんだ!

「好きですよ。すっごく好きです!」

 つかんでいた袖をいったん離し、今度はその手を両手で取って。
 まっすぐ隊長さんの灰色の目を見ながら、言い放った。
 散々な言い方になっちゃったけど、今の私の偽らざる本音だ。
 あ〜あ、こんなタイミングで告白をするつもりなんてなかったのにな。
 でも、行き当たりばったりのほうが私らしくていいかもしれない。

「意味が違う」
「そんなの知りません。好きったら好きです!」
「……あおるな」
「あおられてください!」

 私の言葉を信じようとしない隊長さん。
 悲しいというよりもやるせなくて、私は必死に言葉を重ねる。
 私は今すぐ隊長さんにいただかれちゃってもいいくらい、隊長さんのことが好きになっている。
 それは私の貞操観念が薄いからじゃなくて、相手が隊長さんだから。
 隊長さんが私の身体に興味があるっていうなら、好きにすればいいのに。
 本っ当に、お堅いんだから隊長さんは。

「……大切に、したいんだ」

 両手で握っていた手に力が込められて、握り返される。
 たしかに握られているのに、突き放されているような気になった。

「今でも充分、大切にしてもらってますよ」

 ずっと、隊長さんに優しくしてもらってきた。
 赤の他人の私を心配してくれて、何もわからない私に必要なものを用意してくれて、一人ぼっちの私の支えになってくれた。
 隊長さんがいなかったら、私はこの世界で暮らしていくことができたんだろうか?
 そう考えると怖いくらいに、私は隊長さんに大切に守られてきた。

「だから、そのままでありたい」

 隊長さんの言う“そのまま”が、私にはよくわからない。
 保護者と被保護者みたいな関係で、ってこと?
 そもそも隊長さんが私の面倒を色々と見てくれているのだって、私に負い目があるからじゃないか。
 一番最初にいろんなものを飛び越えて男女の関係になっちゃったんだから、今さらそれをなかったことにするなんて無理だ。
 こういう考え、うざいのかな。一度寝たくらいで彼女気取りかよ、ケッ、ってことですか?

「隊長さんが好きです」
「……そうか」

 くり返し言ったところで意味はない、とわかっていても、私はそう言葉にして伝えた。
 隊長さんはどこか苦しそうな顔で、小さくうなずいただけ。
 ああ、私の言葉は今の隊長さんには届かないんだ。
 そう理解できてしまった。

 隊長さんがどうして信じてくれないのか、わからないほど子どもじゃない。何しろ二十歳だもの。
 私の『好き』は、軽いんじゃないかって。親愛とか友愛とか、そういうものなんじゃないかって思っているんだ。
 たしかに私はノリが軽いし尻も軽いかもしれない。信じられないのもしょうがないのかもしれない。
 でも、隊長さんのことが好きだって気持ちは本当なんだよ。
 私にとっては、これはまぎれもなく恋なんだよ。
 この気持ちが恋じゃないっていうなら、何が恋だっていうのさ。
 隊長さんは私の何を見て、何を知っているっていうのさ。


 『好き』の意味なんて、どうやって伝えればいいの?



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