31:お酒の力を借りてしまいました

 嵐の夜に一緒に寝てもらってから、夜にも隊長さんの部屋に遊びに行くようになっていた。
 もちろんあのときみたく、寝る寸前っていう時間にではないよ。もっと健康的な時間にだよ。
 なんというかね、隊長さんって精神安定剤みたいなんだよね。
 特に何をするってわけでもなく、たいてい私が一方的に話しているだけなんだけど。
 一緒にいると、なんだか落ち着くんだよね。
 余計に噂を助長することになるんじゃないか、ということに関しては、目をつぶったまま。

「隊長さん、それ、お酒ですか?」
「ああ」

 いつものように部屋に来た私は、お酒を飲んでいる隊長さんに目を丸くした。
 お酒を飲む隊長さんとか、見るの初めてだ。
 隊長さん、晩酌の習慣とかないみたいなのに。
 何か飲みたいようなことでもあったのかな。ストレスがたまるようなこととか。
 不機嫌そうには見えないから、単に飲みたい気分だっただけかもしれない。

「わー、私も飲みたい!」

 お酒は一人で飲むより誰かと一緒に飲んだほうがおいしいもんね。
 私がそう言って近づくと、隊長さんは眉をひそめた。

「未成年が飲んでいいものじゃない」
「え、ひどい! 私、今年で二十歳になりましたよ! 成人してますよ!」
「……冗談だろう?」

 未成年じゃなくなったばっかりなのに! と反射的に抗議すると、隊長さんはぽかんとマヌケ顔になった。
 どうやら隊長さんは本気で驚いているようだった。
 薄々そうかもとは気づいていたけど、やっぱり実年齢より下に見られていたんだね。

「隊長さん、私のこと何歳くらいだと思ってたんですか?」
「十五、六だと……」

 五歳も下!? 隊長さんの目は節穴すぎるよ!
 この国では十八歳で成人らしいから、本当に未成年だと思われていたんだね。
 若く見られるのはうれしいことだってよく言うけど、幼く見られるのは全然うれしくない!

「そんな子どもに手を出したんですか隊長さん! ロリコンですか!」
「す、すまない……」
「悪いと思ってるならお酒飲ませてください!」

 関係ないような気がするけど、ノリでそう言ってみた。
 隊長さんは勢いに流されやすいというか、情に訴えかけると弱いというか、そういうところがあるからね。

「……強いぞ?」
「私けっこうイケる口です。苦手なお酒もあるけど」

 家族がみんなお酒好きなもんだから、二十歳になってからの一ヶ月くらいで、いろんなお酒を試させられた。
 日本酒も焼酎も平気だったけど、ウイスキーはあんまり好きになれなかったなぁ。
 一番好きなのは甘いリキュール系。特にミルク割りとオレンジジュース割りがお気に入りだ。

「舐める程度にしておけ」
「わーい、いただきます!」

 グラスを手渡されて、私ははしゃぎながら受け取る。
 濃い琥珀色の液体は見るからにアルコールといった感じ。色はウイスキーにもブランデーにも似ていた。
 味はどうだろう、と試しに一口二口飲んでみる。
 舐める程度? なんのことかなぁ。

「あれ、意外と甘い。隊長さんって辛口派だと思ってました」

 のどをカッと焼く感じはたしかに強いお酒だってわかるけど、甘くて飲みやすい。
 どっちかというと私好みの味だ。

「口に入れるもので選り好みをしたことはない」
「好き嫌いがないんでしたっけ。えらいです」

 お酒ですら好き嫌いないんだ。徹底してるね隊長さん。

「とろーってしてておいしいですね〜。果実酒か何かかな?」

 実際にとろみがあるわけじゃないけど、濃ゆいからそんな感じがする。
 隊長さんは水割りでもソーダ割りでもオンザロックでもなく、ストレート派なんだね。
 私は割ったほうが飲みやすいけど、梅酒とかはストレートでも飲めるよ。
 さすがにリキュールをストレートでっていうのは試したことないけど。
 昔、お姉ちゃんがそれをやっていた記憶がある。ぶっちゃけ家族で一番お酒強かったのはお姉ちゃんだったし。
 お姉ちゃんの旦那さんはそんなにお酒強くなくて、よく家族につぶされていたっけ。

「ああ、蒸留酒に数種類の果物を漬け込んである。これには入ってないが、実も食えるぞ」
「なるほど、梅酒みたいなものでしょうか」

 隊長さんがそう言って持ち上げた酒瓶には、たしかに実らしきものは入っていない。残念。
 梅酒の梅、けっこう好きだったな。
 このお酒も好みの味だし、実も食べてみたい気がする。

「おいしいです〜」

 ごくごく、と私は景気よくお酒を飲む。
 隊長さんのなのに、いいのかなぁ。っていう遠慮は三口目くらいからなくなっていた。
 遠慮のなさは通常運転だものね!

「おい、飲みすぎだ」

 隊長さんにグラスを取り上げられたけど、そのときにはもうほとんどグラスの中にお酒は残っていなかった。
 飲みやすかったから、ついたくさん飲んじゃった。

「そんなことないですよ〜。えへへ、甘い〜」
「……酔っているのか?」
「またまた〜、酔ってませんったら〜」

 口の中に残る甘さに、いい気分になってくふふと笑う。
 これくらいで酔えるくらいお酒に弱くないよ、私。
 酔ってないったら酔ってないんだからね。

「……顔に出にくいのか」

 隊長さんは私の反応に、しかめつらしい顔になった。
 あれれ、機嫌急降下? 私のせい?

「たいちょーさん?」
「自分の部屋に戻れるか?」

 隊長さんの問いかけに、私はムスッとする。

「え〜、まだ戻りませ〜ん。もっと隊長さんとお話する!」

 いつもだったらもう少し相手してくれるのに、そんなことを言うなんてひどい。
 私は隊長さんともっと一緒にいたいって思っているんだけどな。
 隊長さんは、そう思ってくれたりしないのかな?
 なんだか寂しいなぁ、それ。

「……仕方がない」

 隊長さんは一つ息をついて、私の傍に寄ってきた。
 なんだろう? と不思議に思っていると、軽々と抱き上げられた。
 わぁ、すっごーい!

「隊長さん力持ち〜!」

 楽しくなってきて、隊長さんの腕の中で大はしゃぎした。
 今なら精霊と同じくらいテンションの高い笑い声が出せそうな気がするよ。

 隊長さんはそのまま寝室まで移動して、私をベッドの上に下ろす。
 わ〜、横になるとなんだか気持ちいい。
 身体がぽかぽかで、ふわふわってしている。

「もう寝ろ」

 隊長さんは私にお布団をかけて、そう言った。
 頭をなでる手が優しくて、このまま寝るのはもったいないなぁって思った。

「眠くなーい、ですよ〜」
「それでも寝ろ」
「隊長さん冷たい〜」
「……どうしろというんだ」

 困っているのか、隊長さんは顔をしかめて頭を抱えてしまった。
 だって、まだ寝るにはだいぶ早い時間だよ。
 もう少しお相手してくれたっていいじゃないか。
 そう思うのは、ただの私のわがままなんだろうけど。
 隊長さんはいつもわがままを聞いてくれるから、もっとわがままになっちゃう。

「ちゅーしてください、ちゅー」

 なんにも考えずに、思ったことをそのまま口にした。
 そのときの隊長さんの顔は見ものだった。
 まるで般若。この上なく困惑していることがわかる、般若。
 怒っているように見えるのに困っているのが伝わってくる表情なんて、器用だね隊長さん。

「お前は……まったく」

 はあぁぁ、と深〜いため息をつかれる。
 呆れているんだろうなぁ。
 でも、ちゅーしたいって思っちゃったんだもん。
 正直なのはいいことなんだよ。

「……これで我慢しろ」

 そう言うものだから、何かと思ったら、隊長さんは私の額に軽くキスを落とした。
 本当に軽い、羽が触れたかのような感触。
 それでもうれしくはあったんだけど、うん、やっぱり足りない。

「うふふ、違いますよ〜。ちゅーは……」

 私は隊長さんの両頬に手を添えて、顔を近づける。
 隊長さんは驚愕に目を見開いていたけど、逃がしません。
 ちゅ、とまずはバードキス。

「口と口じゃなきゃ、ダメなんですよ〜」

 クスクスと笑いながら、もう一度キスをする。
 隊長さんの唇って、思っていたよりやわらかい。
 実のところ隊長さんとキスをするのはこれが初めて。それ以上のことはしちゃっていたのにね。
 気持ちいいなぁ、隊長さんとのキス。
 もうちょっと、いいかな? と私は舌で唇を割って、隊長さんの舌にそっと触れる。
 隊長さんの舌は、逃げなかった。
 それどころかだんだん、私のほうが追い詰められていく。
 あれ? 主導権、いつのまに奪われたんだろう。

「んっ……ふ……」

 深いキスに息が苦しくなってくる。
 でも、不思議とやめたいって気にはならない。
 むしろ、もっともっとキスしたい。ずっとキスしていたい。
 隊長さんの舌が私のそれを絡め取る。
 私はたわむれるように軽く歯を立てた。
 飲み込みきれなかった唾液が口の端からこぼれていく。
 隊長さんはキスをやめて、それを舐めとっていった。

「はっ……や、あぁ……」

 隊長さんの唇が首筋をなぞる。
 ゾワゾワとして、思わず声がもれた。
 首にまではこぼれていないと思うんだけどな。
 でもそんな野暮なことはもちろん言わない。

「たいちょ、さ……あっ!」

 肩に吸いつかれて、チリッとした痛みと快感に私は少し大きな声を上げた。
 その声にはっとしたように、隊長さんは身体を離す。
 唐突に失われた熱に、私はぼんやりとした頭で、寂しいな、と思った。

「もう終わり、ですか?」

 続き、しないんですか?
 そんな期待を込めて隊長さんを見上げてみる。
 隊長さんは気まずげに目をそらして、小さく「すまない」と口にした。
 謝るようなこと、隊長さんしましたっけ?
 そもそもキスをしたのは私からだったんだけど。

「……寝ろ」

 そう言って隊長さんは私をベッドに横たえる。
 肩まで布団をかけてから、隊長さんは身をひるがえして寝室から出て行ってしまった。
 こちらを一度も振り返ることなく。

「さびし〜よ〜」

 ごろごろとベッドの上で転がりながら、私はつぶやく。
 その声は思っていたよりも切なく響いた。
 与えられた熱が忘れられない。
 それは、ともすればあの最初の夜よりも、熱くて激しくて、私の心を揺さぶるものだった。
 キスしたい、っていうのは単なる思いつきだった。
 でも、キスしたらわかった。納得してしまった。
 きっと私はずっと、隊長さんからそれを与えられることを、望んでいたんだって。

 寝れるのかな、こんなんで。
 最初はそう思っていたんだけど、お酒の力っていうのはすごい。
 その夜は翌朝寝坊しちゃいそうになったくらい、ぐっすりと眠ってしまった。


 だけど悲しいことに、お酒の力は、恥ずかしい記憶まで消してくれることはなかった。



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