私がそれを目撃することになったのは、本当に偶然だった。
お昼の休憩時間、隊長さんのところにでも行こうかな、と私は廊下を歩いていて。
今日も天気がいいなぁ、と窓の外を眺めながら歩いていたら、曲がるところを間違えちゃって。
元の道に戻ろうとしたら、男女が言い争う……というよりも、女性側が嫌がっているような声が聞こえてきて。
助けなきゃ、という正義感と、野次馬根性も手伝って、声の聞こえたほうに言ってみたら。
ハニーナちゃんを壁ドンしている小隊長さんを発見しちゃったわけでして。
「あっ」
驚いて、うっかり声を上げてしまったために、当然二人は私を振り返る。
泣きそうな顔をしているハニーナちゃん。あらあら、とでも言いそうな表情の小隊長。
小隊長が私に気を取られている今がチャンスと思ったのか、ハニーナちゃんは拘束から逃れ、その場から走り去っていった。
美少女は逃げ方すら様になりますね。すごいすごい。
「よ、色男。とでも言えばいいですか?」
取り残された小隊長さんに、私はそう声をかけた。
まあ、小隊長さんも私に見られた以上、続けるつもりはなかったんだろうけどね。じゃなきゃハニーナちゃんを逃がすはずがない。
「邪魔してくれたね、愛人ちゃん。しょうがないから君にお相手してもらっちゃおうかな」
小隊長さんは私にニッコリと笑いかける。
その笑顔は無邪気に見えて、肉食獣のような雰囲気を持っている。
薄々気づいてはいたけど、怖いな、小隊長さん。
敵には回したくないタイプだ。
「しょうがなくないですから。場所選んでくださいよ、小隊長さんも」
「ここはほとんど人が通らないんだよ。口説くには好都合なの」
「へー、またいらん情報を知ってますね」
慎重に小隊長さんとの距離を測りながら、私は会話を続ける。
そういえばたしかに、この廊下は初めて通った。
人が通らないっていうのは本当なんだろう。
「それで? 責任取ってくれる気はあるの?」
「あると思いますか?」
首をかしげる小隊長さんに、私も首をかしげて質問で返した。
「ないだろうねぇ。そんなに隊長がいい?」
「いいに決まってますが、この場合は隊長さんは関係ないと思います」
なんでここでいきなり隊長さんが出てくるんだ。
私が小隊長さんといかがわしいことをしないのは、そもそも小隊長さんがタイプじゃないからってだけだ。
これでも付き合う男性は選ぶよ、ちゃんと。
小隊長さん相手だとただの身体の関係にしかならないだろうしね。
私は我が身がかわいいので、そんな自分を安売りするようなことはしない。
隊長さんとのことはどうなのかって? あれは事故だし、隊長さんは好みだったしね。
「そうかな。特定の相手がいないんだったら楽しんだもの勝ちじゃない?」
へらり、と小隊長さんはしまりのない顔をする。
見るからに遊び人、といった感じだ。
「そういう考え方を否定するつもりはありませんが、相手は選んだほうがいいですよ」
私の言葉に、小隊長さんはスッ……と目を細めた。
怖い、怖いって。その顔めっちゃ怖い!!
笑っているのに、下手に睨まれるよりも怖い!
「それは愛人ちゃんのこと? それともあの子のこと?」
「どっちもです」
内心冷や汗をたらしながら、私は答える。
やっぱり小隊長さんは頭がいい。私の言葉のもう一つの意味にすぐに気づいたんだから。
私は、特定の相手がいないからって異性と淫らな関係を結べるような人間じゃない。
そしてそれは、ハニーナちゃんにも言えること。むしろ彼女は私とは比べちゃいけないくらい潔癖そうだ。
そういうことも含め、私は小隊長さんに注意をしたわけだ。
小隊長さんにとっては大きなお世話なんだろうね。
だからってその表情は怖いよ。か弱い女子に向けていいものじゃないよ。
「まあ別に、君とどうこうってのはさすがに冗談だよ。隊長に殺されそうだし。誘われれば断る理由もないけど」
そう言って小隊長さんは怖い顔をやめてくれた。
ハニーナちゃんを押さえつけていた壁に寄りかかって、私に蠱惑的な笑みを向けてくる。
「誘いませんからね! それくらいなら隊長さん誘います!」
「それはご自由にどうぞ」
思わずこぼれた言葉に、小隊長さんはどうでもいいとばかりの反応をくれた。
自分で言っておきながら、冗談なのか本音なのか、よくわからない。
いやまあ別にそれはいいんだ。今は私のことは関係ない。
ハニーナちゃんのこと優先!
「でも、あの子に関しては、ちゃんと選んでいるつもりだよ」
静かな声で、小隊長さんはそう言った。
感情を読み取らせない笑顔。
選んでいるというなら、小隊長さんなりに本気でハニーナちゃんを狙っているということだ。
小隊長さんの本気って、空恐ろしいものがあるんですが。
問題なのは、どこまで本気なのか、ってこと。
「遊び半分なら、やめてあげましょうよ。ハニーナちゃん、見るからにウブなんですから」
男性のあしらい方に慣れているとは思えなかった。
聞いたところによると、男の人のことがあまり得意ではないらしいし。
それでよくこの仕事を選んだなと思ったけど、父が第五師団に所属している縁なんだそうだ。
「かっわいいよね~。オレと目を合わせようともしないし、近寄るだけでビクビク震えるし」
小隊長さんは楽しそうな……というより、舌なめずりでもしそうな笑みを浮かべる。
わかっていたけど性格悪いね、小隊長さん。
ハニーナちゃんもやばい男に目をつけられたものだ。
「加虐趣味でもあるんですか?」
「男なら誰しも少しは持っているものだと思うよ」
「一緒にしないでください。隊長さんは違いますよ」
隊長さんは優しい。小隊長さんとは比べることすら失礼になるくらい。
男って単位で一くくりにしたら、隊長さんがかわいそうだ。
「どうだろうねぇ。隊長だって男だからね」
言ってから、小隊長さんはケラケラと笑う。
最初は笑い上戸なのかな、と思ったりもしたけれど、たぶん違う。
小隊長さんは笑顔がデフォルトなんだ。
だからきっと、怒るときも悲しむときも、小隊長さんは笑うんだろう。
小隊長さんの笑顔は、隊長さんのしかめっ面よりもよっぽど怖いな、と私は思った。
「愛人ちゃんにいいことを教えてあげよう。愛の形は一つじゃないよ?」
小隊長さんは人差し指を立てて、できの悪い生徒に教え聞かせるように言った。
愛の形、とはまた大きく出たもんだ。
それが誰の、誰に対する愛を指しているのか。
二パターンあるけれど、今は自分に関係ないほうとして解釈した。
「……本気なんですか?」
ハニーナちゃんのこと、とまでは言わなくても伝わったはず。
私の問いかけに、小隊長さんはニンマリと笑った。
「本気じゃないなんて、オレは一言も言ってないよね」
そりゃあ、言ってないけれどもね。
小隊長さんの本心は、とてもわかりにくい。
でも、その言葉が真実の一欠片だとするなら。
……ハニーナちゃん、ご愁傷さまです。