夜中、何度か目が覚めた。
眠りが浅いのか、夢のようなものも見たような気がする。
まだ窓の外は暗いな、と確認してからお布団を顔まで引き上げて、目をつぶる。
唐突にまぶたの裏を染め上げるのは、鮮やかな赤。
それをまばたきすることでごまかしながら、また浅い眠りに落ちる。
そのくり返し。
四度目か五度目くらいに目が覚めたとき、窓の外は白み始めてきていた。
もう、朝が近いんだ。
まったくもって寝た気がしないんだけどな。
私は思わずため息をついた。
「……起きたのか」
と、隣から声が聞こえた。
目を向けてみると、隊長さんが横になったままこちらを見ていた。
そのいつもどおりの強面に、なんだかほっとしてしまった。
「おはようございます」
朝一番に挨拶するのももう習慣になっている。
隊長さんは「ああ」としか返してくれないけど、それでも充分だった。
一日の始まりに、そこに隊長さんがいるだけで、安心できる自分がいる。
そういえば隊長さんも横になっている状態で挨拶するのは初めてだ。
隊長さん、いつも私より早くに起きているから。
たいてい隊長さんが朝食食べ終わったくらいの時間に私が起きるんだよね。
わぁ、そう考えると新鮮。
二人ともベッドで寝ながらの朝の挨拶は、ちょっぴりドキドキした。
「まだ寝ていてもいいんだぞ」
「そうですね、起きるにはちょっとばかし早いかも」
時計を見てみればまだ五時過ぎ。
いつも起きる時間より二時間以上早い。
「隊長さんはもう起きるんですか?」
「そろそろな」
「早起きなんですねぇ」
「隊の人間はみんなこんなものだ」
マジですか。
いつも寝てるの、日付が変わるか変わらないかくらいだよね?
ってことは、五時間睡眠?
うへぇ、私には真似できない。というかしたくない。
「私、絶対に軍人にはなれなさそうです」
私がそうこぼすと、隊長さんはしかめっ面になった。
いつもながら、ツボが謎だ。
「なる必要はない」
「ですね」
隊長さんの言葉に私も同意する。
そうすると眉間のしわが少し減った。
あれかな、女が何を言っている、とでも思っているのかな。
女の軍人さんっていないのかな。
あ、女性がいるなら、そもそも私がこうして隊長さんの部屋に閉じこもっている必要もないか。
狼だらけだから、危険なんだもんね。
まさか女性まで狼ってことはないだろう。
「寝ないのか?」
ちらりとこちらを見ながら、隊長さんは聞いてきた。
「なんだか妙に目が冴えちゃってて。身体は寝たがっている感じがするんですけど」
何度も目が覚めたし、ちゃんと寝れていないのはわかっている。
いつも起きる時間まで寝たほうがいい。
でも、妙に神経がざわついていて、寝れそうにない。
理由は……覚えがないわけじゃない。
「横になっているだけでも身体は楽になる」
隊長さんはそう言ってから、身体を起こした。
もう起きるつもりなんだろう。
「あの、隊長さん」
「なんだ」
ベッドから下りた隊長さんに、私は声をかけた。
何を言いたいのか、自分でもわからなかったけど。
このままじゃきっと私は寝れないだろうし、気持ちもすっきりしない。
「今日は、魔物と戦いますか?」
口をついて出たのは、そんな問いかけだった。
「可能性がないとは言えない。おそってくれば、戦うしかない」
隊長さんは難しい顔をして、ありのままを話してくれた。
気休めを言わないのは、隊長さんらしいなと思う。
それが隊長さんなりの誠意なんだろう。
「おそってこないといいですね」
私は希望を告げることしかできない。
もしおそってきたら、隊長さんはまた戦う。
その手を、あの赤い色に染め上げて。
ううん、もしかしたら、次に流れる血は……。
「……怖いか?」
気づけば、隊長さんは枕元にいて、私を覗きこんでいた。
ダークブルーの瞳が、静かに私を映している。
その落ち着いた色を見て、私は鮮やかな赤い幻影を振り払うことができた。
「魔物が、っていうより。隊長さんが怪我をしちゃったりするのは嫌だなぁって」
何度洗っても、水を赤く染めていた血。
次は隊長さんの血だったらどうしようって、思ってしまった。
「あの赤が、隊長さんの血じゃなくてよかったって、本当にほっとしたんです。だから、怪我をしないでください」
怪我をしてほしくない。
ほんの少しでも、痛い思いをしてほしくない。
軍人をしている以上、怪我をしないわけにはいかないのは、隊長さんの肌を見たことがあるから知っている。
それでも……そう言わずにはいられなかった。
戦いっていうものが私にとっては非現実的なものだったから。
近しい人が傷つくことに免疫がないんだ。
今もまだ目に焼きついている。
真っ赤なシャツを着て立っている隊長さんが。
あの血が隊長さん自身のものだったら、私はどうなってたかわからない。
取り乱して大泣きするくらいはしたかもしれない。
今ですら役立たずなのに、そんなことしたら邪魔でしかないね。
「気をつける」
隊長さんは力強くうなずいてくれた。
口先だけの言葉じゃないんだって、その目を見ればわかった。
ちゃんと隊長さんは怪我をしないように気をつけてくれる。
私の思いを汲み取って、答えてくれた。
「もう五年も隊長をしている。小さな魔物ごときに遅れは取らない」
「強そうですもんね、隊長さん」
私はふふっと笑った。
そうか、五年も隊長さんは隊長さんをやっているんだ。
じゃあ、大丈夫なのかもしれないね。
根拠なんてどこにもないけど。
そう楽観的に考えていたほうが、気が楽だ。
「強い。だから心配するな」
そう言って、隊長さんは私の前髪をくしゃりと乱しながら頭をなでた。
その触れ方がとても優しくて、少しだけ目に涙がにじんだ。
隊長さんにさわられたのは、最初の夜と小突かれたときを抜かしたら、これで二度目。前回もこんな優しい触れ方だった。
たぶん、いつもは意図的に触れないようにしているんだと思う。
隊長さんは真面目だから。
けじめとして、あるいは万が一にもまた同じことにならないようにと、距離を取っていたんだろう。
そして今、決めていたことをくつがえしてまで、私のことを慰めようとしてくれているんだ。
「へへ、隊長さん優しいなぁ」
人のぬくもりって、安心するね。
その人がそこにいるってことを実感できるから、かもしれない。
隊長さんは間違いなく今ここにいて、怪我も何もなく健康体でいる。
隊長さんは強いから、そんな簡単には傷つかない。
そう、信じることができた。
見上げれば、隊長さんが穏やかなまなざしで私を見ている。
大丈夫だ、と言うように。
不安も恐怖も包み込んでくれる、どっしりとした人。
惚れちゃいそうです、隊長さん。
なんて、ひっそりと思った。