1.椿は安堵する

 雪の積もった庭を、長谷部はなんの感慨もなく眺めていた。
 内番の終了を報告せねばと主の元へと赴いた長谷部を出迎えたのは、無人の部屋。
 近侍である己のいぬ間に、いったい彼女はどこへ行っているというのか。
 仕方なく、主の部屋の外の縁側にて待機している長谷部には、そこから見える庭を観賞することくらいしかすることがないのだ。
 とはいえ戦うことしか知らぬ長谷部には、景観の善し悪しなどわかるはずもなかった。

 どこからか雪で遊ぶ短刀たちの声が聞こえてくる。
 平和なものだ。今は戦の最中だというのに。
 こうしている間にも、どこで歴史修正主義者が暗躍しているかわかったものではない。
 こののどかなひとときがまるで罪悪のように思えてくる。
 白く染め上げられた庭に向けたまなざしは、自然と鋭くなっていた。

 その目に、不意に自然のものではない色彩が映った。
 枯れ木よりもなお深い黒と、雪に溶け込みそうな白と、どの花より明々とした赤。
 それは巫女装束を身にまとった審神者だった。
 彼女はうつむいたまま、とぼとぼと庭を歩いていた。
 こちらに向かってきているようだが、歩みは遅く、焦れた長谷部は自分から庭へ降り立った。

「主」

 長谷部の呼びかけに、審神者ははじかれたように顔を上げた。

「は、はせべ……」

 目尻に涙をためて己を見上げてくる審神者に、またか、と長谷部は内心ため息をついた。
 もちろんそれを顔に出すことなく、ひかえめな微笑みを浮かべて主の眼前で膝をつく。雪で濡れることなどかまいはしない。

「いかがなさいました、主」

 今度は、という言葉を長谷部は飲み込む。
 現在の我が主君たる審神者は、人よりも……少しばかり、抜けているところがある。
 彼女が問題を起こすのはすでに日常茶飯事となっていた。
 その問題を解決するのは、主に近侍を任されることの多い長谷部。他にも面倒見のいい燭台切光忠や堀川国広、一期一振などだ。
 早い段階で彼女の元へとやってきていた長谷部は、もう多少のことでは動じなくなっていた。

「あの、わざとじゃないの……ちょっときれいだなって見てただけなの……」
「主?」
「っ、その、ごめんなさい……」

 要領を得ない言葉を取りこぼさぬよう、長谷部は辛抱強く待つ。
 わざとじゃないことなど言われなくともわかる。
 彼女が悪気があって問題を起こしているとは、長谷部も、この本丸に集う誰一人として思っていない。

「主、この長谷部、主を責めることなどできようはずがありません。よければ何があったのか話してはいただけませんか」

 あくまで優しく、話しやすい雰囲気を心がけて問いかける。 
 まずは聞き出さないことには対処のしようもない。
 被害の規模によっては、他の者の手を借りる必要も出てくるだろう。早急に取りかからなければならない。

「これ……」

 おそるおそる、といった様子で袂から取り出されたのは、椿の花だった。
 まだ花弁がしおれてはおらず、小さな白い手におさまった鮮やかな赤が目にまぶしく感じられる。
 本丸の庭の椿は、今が盛りと咲き誇っている。花が落ちるにはまだ早い。
 そこまでわかればあとは簡単だ。
 きれいだと、思わず花に手を伸ばす審神者が目に浮かぶようだった。
 問題と呼ぶには些細な、ささやかすぎる事故。
 この程度のことで悄然とする審神者の感受性に、長谷部は苦笑をこぼす。

「花が落ちてしまったのですね」
「……私が、さわったら、落ちちゃって、その」

 審神者の黒々とした瞳がうるみを増す。
 その滴がこぼれ落ちる前にと、長谷部は小さな手ごと花をすくい上げた。

「硝子の器を用意しましょう。水を張った器に浮かべれば、花もいくらかは長持ちするでしょう。主の心の慰めとなれれば、きっと花も本望ですよ」

 椿一花だけでは寂しいなら、石や草、小さな陶器の置物なども共に飾ればいい。
 長谷部はそういった感性に疎いが、加洲清光や次郎太刀あたりにでも頼めば嬉々としてやってくれることだろう。
 すぐに何を用意させればいいか、誰に頼めばいいかを脳裏に描く。
 このあと自分がどう動けば効率的か。頭の中ではすでに予定が組まれていた。

「器に? それはきっときれいね!」
「ええ、きっと」

 今しがたまで泣きそうな顔をしていた審神者は、長谷部の提案に瞳を輝かせた。
 花の美しさなど、長谷部にはわからない。
 けれど主にとっては、花は美しいもの。目を楽しませてくれるもの。
 長谷部は主の望む答えを用意する。

「長谷部はすごいね。私、そんなこと思いつきもしなかった」

 感嘆の声と、素直な賛辞。
 こそばゆさを覚え、長谷部は軽く頭を下げるだけで応えた。
 手短に内番の終了を告げると、長谷部は立ち上がる。
 改めて審神者の手から椿の花を受け取り、傍を離れる許可を得る。
 硝子の器は燭台切光忠に頼めば用意してくれるだろう。草はちょうど内番で刈ったものがあったはず。あとは加州清光と次郎太刀に声をかけて。
 では、と言い残して去ろうとした長谷部の裾を、ちょんと引く弱い力。
 振り返ると、審神者がくしゃりと笑った。

「ありがとう、長谷部。やっぱり長谷部は頼りになるね」

 顔全面を使った、女性らしいというよりも幼子のような屈託のない笑み。
 赤らんだ頬にも色気は感じず、大きく開かれた口は少し間抜けだ。
 けれど、その笑顔は、とてもあたたかかった。
 彼女の瞳に絶対の信頼が灯っているからだろうか。
 彼女の言葉に、表情に、わずかにも嘘が混じる余地が存在しないからだろうか。
 冬の厚い雪雲を切って地上に降り立つ陽光のような。
 凍った地を割ってすくすくと育った若芽のような。
 それはとても、安心する輝き。それはとても、慈しみたくなる輝き。

「主のためとあらば、この長谷部、どんな難題も解決してみせる所存ですので」
「さすが長谷部! 頼りにしてるね」

 礼と共に告げれば、返ってくるのはやはり信頼の言葉。
 主に必要とされる喜びを、長谷部はかみしめる。
 長谷部には花の美醜はわからない。雪景色の風情も、雪遊びの楽しさも。
 けれど長谷部には主がいる。ただそれだけでいい。
 主がきれいだと笑う花を守る智と、主の笑顔を奪う敵を屠る力さえあればいい。
 それ以外は何も要らない。



 この主ならば、と思う。
 この主ならば大丈夫だろう、と。
 長谷部は安堵する。

 審神者は長谷部を信頼してくれている。
 審神者は長谷部を必要としてくれている。

 だから、大丈夫だ、と。
 ここに己の居場所はあるのだと。
 ここなら、この主なら、自分は――だと。

 長谷部は安堵している。



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