ゴールデンウィークが始まった。
今年は金土日月の四日間がお休みだ。
とはいえ伯父さんは丸々お休みは取れなかったらしく、泊まりで出かけたりはしない。
日曜日にみんなでちょっとお高いご飯を食べに行く、という予定があるくらい。
まあ、ゴールデンウィーク中はどこも人が多くて大変だから、そのくらいでちょうどいいのかもしれない。
ゴールデンウィーク二日目。まだお昼前。
コンコン、という音に読んでいた本から顔を上げると、ドアの向こうから季人が顔を出した。
いつもにこやかな季人は、いつもよりも機嫌がよさそうに見えた。
「咲姫、買い物に行こうか」
彼の口から飛び出した誘い文句に、私は隠すことなく嫌そうな顔をした。
たしかに今日は快晴でぽかぽかと暖かく、お出かけ日和だろう。
でも私は基本的にインドア派だ。
それに、今はもっと外出をひかえるべき理由がある。
「外に出たらイベント起きそうで嫌だ」
本に目を戻しながら、私は淡々と答える。
休みの日に外出先でばったりとか、お約束なんじゃないだろうか。少なくとも少女小説ではお約束だ。
ゴールデンウィークとか名前がついちゃってるくらいだから、いかにも何か起きそうな休日ではないか。
面倒事は、避けるに越したことはない。
「大丈夫、その心配はないよ」
「本当に?」
季人を一瞥して確認する。誘いを断ったというのに、彼はいまだにこにこと笑っている。
イベントが起きるかどうかは、季人の記憶だけが頼りだ。
もちろんランダム要素もあるだろうし、それだけじゃなく、ゲームにはなかった接触をする可能性もあるわけなのだけれど。
大丈夫という確証があるなら、一緒に出かけるのもやぶさかではない。
百パーセントというのが無理なのはわかっているから、八十パーセントくらいでいい。
「少なくとも、ゲームではゴールデンウィークのイベントはなかった。ゴールデンウィークにデートに誘うことはできるけど、限定のデートコースなんかもなかったし」
部屋に入ってきながら、季人はゲーム情報を語る。いつもながらよどみない。
ゴールデンウィーク限定のイベントはない、ということは。
なら、お出かけ時にランダムで発生する遭遇イベントなんかは、起きる可能性があるんだろう。
まあでもそれは、普段だって条件は変わらないわけで。
この一年、まったく外に出ないというのは無理なんだから、あきらめも肝心ということかな。
それにしても、ゴールデンウィーク限定のイベントがないことが驚きだ。
「なんで? せっかくの黄金週間なのに」
「まだ序盤だからじゃないかな。ゲームが始まってから一ヶ月もないんじゃ、好感度はそんなに上がらないよ」
ふむ、そういうものなのか。
積み始めてすぐに大連鎖はできないのと同じことかな。
なんだか違う気もするけれど、パズルゲームに置き換えて無理やり自分を納得させた。
「ゴールデンウィークにデートできるキャラは、デートに誘えば即OKな桜木ハルか、好感度が低いうちでも断られにくい女好きの蓮見蛍くらいだからね。あとは努力と運次第で他のキャラも不可能じゃないけど、王子サマと先生はまず無理」
桜木ハル、君はそんなに言われるほどチョロいのか。悪い人にはついていったらあかんよ、と老婆心で注意してあげたくなる。
あと蓮見蛍はいつか女の子に刺されると思う。割と本気で。
学園の王子サマたる百合川陽良は、とにかくパラメーターの要求値の高いラスボス的攻略対象なんだそうだ。
パラメーターが低いと好感度も上がらないし、好感度が上がらないとイベントが起きない。
だから一学期はパラメーター上げに専念したほうが攻略しやすいんだとか。
先生は王子サマとは違い、好感度自体はちゃんとやれば上がるらしい。
ただ、イベントを起こすのに必要な好感度がすごく高くて、やっぱり一学期中にはほとんどイベントを起こせない攻略対象なんだとか。
ゲームバランスとかはよくわからないけど、現実で考えればさもありなん、と思ったりする。
「そりゃあ王子サマは別として、先生が生徒の誘いにほいほい乗ってちゃいかんでしょうよ」
「唯一お泊まりイベントがあるのも先生だけどね」
「……大人って汚い」
ぼそり、と私はつぶやく。
いつのまにかすぐ近くまで来ていた季人にも聞こえたらしく、小さく笑う気配がした。
「大丈夫、CEROはBだから、大人向けの展開はないよ」
CERO……ゲームソフトのレーティングだっただろうか。
エログロがあるとCやDになったりするんだっけか。
Bはたしか12才以上対象だったような気がする。
モンスターと戦う有名なゲームが15才以上対象なことを考えれば、一般的なほうではあるんだろう。
が、全年齢じゃない理由はなんだ。二股三股プレイが可能だからという倫理的なあれか。
「そんなんあったら迷わず転校してるよ」
「転校したばかりなのに?」
「自分の身の安全が一番重要です」
私はきっぱりと言った。
乙女ゲームというものを、人に聞いた話でしか知らないからどうとも言えないけど。
CだかDだか、年齢制限があるということは、一歩間違えたらいかがわしいことが現実に起きてしまうといういうことだ。
それは、何がなんでも阻止しなくてはならない。
貞操とか、別に大切に取っておいているわけでもないけれど、いたずらになくしてしまうこともない。
とはいえ現実はそう簡単にはいかないのはわかっている。どうがんばっても転校は無理だろう。
でも、もし本当に身の危険があったとしたら、少なくとも私は今みたいにのほほんとはしていなかった。
好感度を上げないように、イベントだけは起こさないように、今以上に自衛したはずだ。
クラスの雰囲気だとか、そんなものを気にすることもなく。
きっと花園さんを盾にして攻略対象から逃げ回ったことだろう。
……つくづく、年齢制限がなくてよかったと思う。
「咲姫の言うとおりだね」
視界の端で季人は微笑んだ。
ご理解いただけたようで何より。
イケメンを避けられるようにと前世のことを打ち明けてくれたくらいに、季人は私のイケメン嫌いを誰よりも知っている。
全部を言わなくてもわかってくれるのは、気が楽だ。
「だから、念のためゴールデンウィークは家で過ごしたいんだけど」
本から顔を上げずに、私は言う。
ページはさっきからほとんど進んでいない。人と話しながら読めるような特技はあいにくと持っていない。
別に今くらい本を閉じてもいいんだけれど、そうすると出かける気があると思われそうで、なんとなく文字を目で追うのをやめられない。見ていても頭には入ってこないというのに。
「一日中、本を読んでいたい?」
「もう宿題も終わらせたし、別にいいでしょ」
嫌なことから先に、と日頃から宿題などは早めに終わらせることにしている。
花の黄金週間だというのに宿題を出してきた、空気を読まない数学と国語の先生を恨みたい生徒は山ほどいるだろうなと思う。私は関係ないけどね。
「うーん、どうしてもダメ?」
季人は眉を垂れさせ、首をかしげて聞いてくる。
そんなに出かけたいんだろうか、私と。
私はため息を一つ吐き、パタンと本を閉じた。