40:百合川陽良のハートの方向

「それで、どういったご用件でしょうか」

 彩ちゃんの救援が望めないなら、この危機的状況は自力で乗りきるしかない。
 さっさと話を終わらせるにかぎる、と私のほうから話を切り出した。

「立花さんは、どうしてそんなに僕に素っ気ないのかな?」

 百合川陽良は眉を垂らして、悲しげな表情を作って問いかけてきた。
 そんなの、わざわざ二度目ましての赤の他人に会いに来てまで聞くことだろうか?
 いや、相手は腹黒。自分の都合のいいように話を持っていくための布石なのかもしれない。
 作戦なのか単なる話の流れなのか判断がつかずに、私は答えを返せなかった。

「こう言うのもなんだけれど、僕はあまり人に嫌われることがないんだ」
「……そうですか」

 半眼になりそうになるのを、なんとかこらえた。
 そりゃあそうだろうさ。学園の王子サマを嫌いなんてやつがいたら、ファンにどんな目に遭わされるものか。考えるだに恐ろしい。
 誰からも好かれる人気者。そんなの気持ち悪いだけだけれど、表立って嫌いって言える人間がいなければ虚構は守られる。
 まあ、百合川陽良は外面だけはいいから、そもそも嫌う人自体そう多くはないだろうけどね。
 どこにでも他人をやっかむ人間ってのはいるもんだ、人気者の彼を疎んでる人だっていることだろう。表面化しないだけで。

「みんな僕によくしてくれてね。友人も多いほうだと思っている。内気な人だと、緊張させてしまうこともあるけれど。でも、立花さんはそういった人とはまた反応が違う。打ち上げのときの様子を見たところ、立花さんの元々の性格というわけでもなさそうだ」

 まったく、嫌になるくらいよく見ているなぁ。その観察眼にため息をつきたくなる。
 たしかに私は一人を好むところはありつつも、人付き合いが嫌いというわけではないし、初対面の相手でも物怖じするようなことも基本的にない。
 打ち上げには百合川陽良以外にも初対面の人はいくらでもいたから、比較対象には事欠かなかったことだろう。
 謎なのは、どうしてそこまで百合川陽良が私に注目しているのか、だ。

 彩ちゃんから私の話を、過剰なほどに盛って聞かされたというのは知っている。
 それに対して百合川陽良が何を思ったのか、がいまいちわからない。
 今日の彼の行動から察するに、あまり好意的には見られていないようだけれど。
 百合川陽良は、私のことをどう捉えているのか。
 その答えは、次の彼の問いかけによって、しごく簡単にそちらから転がり込んできた。

「彩子から、僕の性格について、何か聞いている?」

 ぶるり、と手が震える。
 なるほど……と私は納得した。
 百合川陽良は、彩ちゃんからの情報漏洩を危惧していたのか、と。

 私に百合川陽良の性格を教えてくれたのは、彩ちゃんではなく季人だ。彼の疑いは見当違い。
 けれどそれを言ってしまえば今度は、なぜ季人が知っていたのか、という当然の疑問を向けられるだろう。
 少なくとも私の目から見て、百合川陽良の外面は完璧だ。
 学園での人気を見るかぎり、彼の本来の性格に気づいている人はいない。いたとしてもごく少数。
 打ち上げのときまで話したこともなかったのに、自分で看破したというのは説得力に欠ける。
 じゃあ別に何も聞いてません知りません、が通じるかというと、またそれも難しいだろう。
 そのことはもう、今の会話から充分すぎるほどに理解してしまった。
 百合川陽良は、私の反応が普通とは違うと、確信を持ってしまっているんだから。

 今の私には、彩ちゃんに聞いたと嘘をつく以外に、納得させられるだけの方法が思いつかなかった。
 あとで事情を説明すれば、彩ちゃんなら許してくれるだろう。
 むしろ、こんな接触を許してしまったことに責任すら感じてくれるかもしれない。
 なんとか考えを整理しおわったところで、こくり、とうなずいた。

「気に入らない」
「――は?」

 聞き間違えかと思った。私は素で聞き返していた。
 思わず顔を上げて、百合川陽良と真っ正面から目を合わせてしまった。
 さっきまで浮かべていたはずの微笑みは真夏の見せた蜃気楼だったのか、というくらいに、彼は変貌していた。
 おもしろくなさそうな表情で、横髪をうっとうしそうに払う。
 その仕草はどこか乱雑で、普段の気品に満ちあふれた彼からは想像もつかないものだった。
 おい学園の王子サマどこ行った。いや知ってたけど、知ってたけどこれは違いすぎて温度差に風邪引く。ギャップ萌えなんて私はしないからな!
 百合川陽良はその面のまま、私を睨んだ。ヒッと声が出そうになった。

「君も知っているだろうけれど、彩子とは幼なじみでね。彩子は子どものころから、僕のこの二面性を知っている。僕も彩子の秘密を知っている。そして、お互いそれを誰にも話さないようにと、約束したんだ」

 へ、へ〜……初耳でやんした。
 まあちゃんと約束は守っているよね。私は元から季人に聞いて知っていたわけだから、彩ちゃんがバラしたわけじゃない。
 ……でも、そんなことは百合川陽良は知らない。
 他にごまかしようがなくてついた嘘では、彩ちゃんが約束を破ったということになってしまう。
 下手打った、と今さら気づいても遅い。

「君は、彩子の好物を知っている?」
「え、えーっと、アップルパイと、ローズティーと……お味噌汁?」
「……ますます気に入らない」
「そんなこと言われましても……」

 百合川陽良の睨みがさらに鋭いものになって、私は途方に暮れた。
 別に友だちに好物の話をするくらい、いいじゃん。普通じゃん。
 というか、彩ちゃん側の秘密って、豆腐のお味噌汁を好きなことだったのか……。
 お互いの秘密の比重が違いすぎませんかね。
 片や腹黒、片やお味噌汁、って……すごくバカバカしい気持ちになった私は間違ってないと思う。

「どうして彩子は君なんかに秘密を教えたりしたんだろう。しかも自分のだけではなく、僕のまで」
「そ、それに関しては、ちょっと理由がありまして……」
「理由なんてどうでもいい。彩子が約束を破ったことには変わりない」

 百合川陽良が、怒ってる……めちゃくちゃ怒ってる。
 すっかり私の前で本性を隠さなくなった百合川陽良は、柳眉をひそめて不機嫌丸出しな顔をしている。
 声も低く、断定的な口調は取りつく島がない。
 美人が怒ると怖いというのは本当なんだな、なんて思いたいけれど普通に怖い。逃げたい。
 でも……私のついた嘘のせいで、彩ちゃんに咎が向かうのは、駄目だ。

「あの、彩ちゃ、花園さんは別に悪くないんです」

 後先考えず、私の口はそう言葉を放っていた。
 百合川陽良はぴくりと眉を動かしただけで、何も言わずに私を睨んだまま。続きを促すように。
 さて、どうごまかせばいいのか。
 矛盾がないようにしないといけない。そして百合川陽良に信じさせないといけない。
 なら、本当のことを織り交ぜて、それっぽく事実を作り上げよう。
 落ち着け、私。いつもの私ならいけるはず。動揺するな。悟られるな。……怯えるな。
 手の中で震えるものが、私の命綱だ。

「私が元々、見目のいい人は性格が悪い、という持論がありまして。最初から百合川先輩に対して、というよりも学園で人気のある男子に対して苦手意識を持っていました。その話を花園さんにしたところ、確かに彼は猫を被っているけれど、悪いところばかりではない、というふうに言われました。……約束の内容は知りませんが、これでも破ったことになるでしょうか」

 声が震えないように、百合川陽良から目をそらさずに、最後まで言いきった。
 持論は本当。苦手意識も本当。あとは全部、嘘八百。
 特に矛盾はないはずだ。多少のよいしょも入れておいた。
 これを信じてもらえれば、彩ちゃんに対しての怒りは消えてくれるはず。たぶん。
 内心冷や汗をダラダラ流しながら、百合川陽良の反応を待った。
 彼は視線を横に流し、はぁ、とため息をついてから、口を開いた。

「……僕はね」

 そこで一度言葉を切って、彼は腕を組んだ。
 再度私に向けられた瞳には、怒りよりも、なんだか複雑な色が見えた。
 それが何か、私が思考をめぐらすより前に、彼は、

「彩子が、僕との約束よりも君との友情を優先したことが気に入らないんだ」

 そう、私にとって予想外な、アホみたいな理由を語った。
 その言葉からは、腹黒らしい深謀遠慮なんて少しも読みとれなかった。
 ただそこにあるのはシンプルな、わかりやすすぎるほどにわかりやすい一つの感情だけ。

「……拗ねてるんですか?」

 いや、まさか、そんなはずはと思ったんだけれども。
 彼の話を聞いているかぎり、そうとしか考えられなかった。
 百合川陽良が、私に対して抱いた、いたってシンプルな思い。
 人はそれを、嫉妬、あるいはヤキモチと呼ぶ。

「悪いかい?」
「子どもみたいですね……あ、いえ、すみません」

 思わずぽろっと本音がこぼれてしまった。
 まさか腹黒王子の本性がただのガキだったとは。驚けばいいのか呆れればいいのか。
 今までイケメンの考えることはわからないと思考を放棄していたけれど、実は百合川陽良は、だいぶ彩ちゃんのことが好きなんだろうか。もしかしてホの字なんだろうか。
 ずっと、ただ怖いだけだった学園一のイケメンは、実のところそこらへんにいる普通の男子高校生と大差ないんだろうか。
 この車内がまるで自分の城であるかのように君臨していた百合川陽良が、急に人間くさく見えてきた。呼吸を、体温を感じた。
 イケメン、攻略対象、と作っていた壁が、虚像が、壊れた。

「あっはははっ、もっと言ってやってくださいよお嬢さん。坊は彩子お嬢さんが関わってくると、とたんに駄々っ子になるんですよ」

 運転席から笑い声がしたと思ったら、いきなり話しかけられた。
 上島さんとやら、今まで存在感がまったくなかったから忘れていたけれど、どうやら話を聞いていたらしい。
 坊、って呼ばれてるんだ……似合う。
 本性を知った今だからこそ思う、めちゃくちゃ似合う。

「上島、耳をふさいでいてと言ったはずだけど?」
「坊は他言無用に、と言いましたよ。誰にも話さないと約束しただけで、口を挟まないと約束した覚えはないですねぇ」
「言外の意味を読みとるのが優れた人間というものじゃない?」
「いけませんねぇ坊、そんな人任せな考えじゃ。ちゃんと言葉にしないと伝わるものも伝わりませんて。だからいまだに彩子お嬢さんに意識すらしてもらえないんですよ?」
「今それは関係ないだろう!?」

 なんだこれおもしろいな。漫才か。
 ガラガラと音を立てて、今の今まで私を脅かしていた百合川陽良像が崩壊していく。
 腹黒だと思っていた。いやそれは間違いではないかもしれない。でも。
 自分が一番で、周りのことなんてどうでもよくて、平気で人を傷つけるような、そんな人間だと。
 そう思っていた。思い込んでいた。
 彼にも人間らしく、真剣に誰かを好きになる心があるなんて、思ってもいなかった。


 百合川陽良という一個人を、私は初めて、真っ正面から見たような気がした。



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