そのことに気づいたのは、帰り道を歩いている最中だった。
「……もしや、さっきのってイベント?」
機械的に足を動かしながら、私は小さくつぶやく。
季人に一通り聞いていた、一学期中に起こりうるイベントに、さっきのやりとりに似たものがあった気がする。
初めて盗み聞いてしまった告白が印象的すぎて、その可能性に思い至らなかった。
イベントを起こしたくないのは攻略対象で、花園さんとのイベントは警戒対象外だったということもある。
どんなイベントだったのか、詳細は覚えていない。
攻略対象は出てこなかったし、気にすることはないかもしれないけれど、帰ったら一応季人に聞いてみよう。
そう決めて、私は家へと急いだ。
『ライバルの本命チェックイベント』
発生条件:十月までに自然発生。
登場キャラ:花園彩子。男子生徒A。
イベント内容:花園彩子がモブに告白されて、断るところに、偶然居合わせる。
花園彩子の狙っている攻略対象を知ることのできるイベント。
さらに、花園彩子に好きな人を聞かれ、すでに出会っている攻略対象の中から一人を選ぶか、いないと答えるか、秘密と答える。いないと答えると花園彩子の好感度が上がり、秘密と答えると好感度が下がる。
選んだ攻略対象が花園彩子とかぶった場合、ライバルモードに突入する。
これが、今回発生したイベントの詳細らしい。
季人がノートを見ながら読み上げてくれた。
まどろっこしいから見せてと言ったのだけれど、書いてあった文字が汚いそうで、私には読めないだろうと季人が解読してくれたのだ。
いつもきれいな字を書く季人にしてはめずらしい。思い出しながら書いていると字も乱れるものなんだろうか。
「ライバルモードって、なんだっけ」
前に聞いたことがあったはずなのに、記憶があやふやだった。
攻略対象を避けるために、花園さんに関しての情報は後回しになっていたんだろう。
「一種の制限だね。花園彩子との友情イベントが発生しなくなる。好感度も上げづらくなる。育成時に『花園彩子と一緒に』が選択できなくなる」
「……とりあえず、ギスギスするのはわかった」
「現実には関係ないんだし、気にしなくてもいいんじゃないかな。咲姫は攻略対象を狙ってないんだから」
「そうだね」
ゲームはゲームだけれど、ゲームが元になっているこの世界でも、条件がそろえばライバルモードとやらになってしまうんだろう。
もし現実で再現されるとしたら、一緒に勉強をしたり遊びに行ったりしていた友だちと、急に行動を共にしなくなる感じだと思われる。
そんなの、絶対に嫌だ。鬱になりそうだ。
元々友だちを作るのがあまり得意じゃない私としては、少しでも仲良くなれそうな人とは良好な関係を維持していたい。
弥生ちゃんとか、花園さんは特に。
一緒にいて楽しいと思える人は、貴重な存在なんだから。
「このイベントが発生したの?」
「たぶん……だけど」
つい三十分ほど前のことを思い返す。
花園さんが男子生徒に告白されていたことも、そのあと気になる男性の話になったことも、イベントと共通している。
詳しい会話まで同じかはわからないけれど、あれが『ライバルの本命チェックイベント』だったと考えて間違いないはずだ。
「咲姫はなんて答えた?」
「え? そんなの決まってるじゃん。いないって答えたよ」
他にどう答えようがあるというんだろう。
季人だって、私が恋だとか愛だとかに興味がないことはよく知っているはずなのに。
いちいち確認する季人が、なんだからしくないような気がした。
「まあ、そうだろうね。花園さんは?」
「それが、よくわからないんだよね……」
あの、謎かけのような発言を、どう解釈すればいいのか。
帰ってくるまでの時間、ずっと考えていたけれど、答えは出なかった。
さすがの季人でもきっとわからないだろう。
とはいえ、聞いたそのままを伝えるしかないか、と私はため息をついてから口を開いた。
「自分のいないところでしあわせになってほしい幼なじみがいる、って言ったの。これって、好きな人ってことなの?」
イベントどおりなら、花園さんが話に出した幼なじみは、好きな人ということになる。
でも、私にはそんなふうには聞こえなかった。
「自分のいないところ……? 幼なじみ……」
季人はあごに手を持っていって、考え込んでしまった。
こうなると私は暇だ。
座っていたベッドに、仰向けに身体を倒す。
ごろごろしながら布団のさわり心地を確かめ、しばらくして、もういいかなと体勢はそのままに季人に視線だけ向ける。
苦笑した季人と目が合い、一部始終を見られていたのだと気づいた。
バツが悪い思いをしながらも、私は身体を起こした。
「たしかに、よくわからないね。その幼なじみと複雑な関係なんだってことくらいしか」
何事もなかったかのように季人は話を元に戻した。
スルーしてくれたのはありがたい。
「でしょ? 好きなのか嫌いなのかもわからないよね」
「……嫌いではないんだろうね」
「そうなのかな」
私には、花園さんが幼なじみのことを好きなのか嫌いなのか、まったくわからなかった。
人づてで聞いただけなのに、季人は私よりは花園さんの気持ちを理解しているようだ。
私が鈍いのか、季人が敏いのか。
……どっちもかもしれない。
「しあわせを願うのは、好意を持っている人だけだと思うよ、普通は」
やわらかな笑みを浮かべながら、季人はそう言った。
緑混じりの茶色の瞳に、しっかりと私を映して。
その微笑みとまなざしは、まるで、私のしあわせを願っている、と言っているようで。
そして事実、季人は私のしあわせを誰よりも考えてくれていて。
むずがゆさに思わず眉をひそめてしまう。
そんな私に、季人はクスリと笑って、私の頭をぽんぽんとなでた。
何も言わないのは季人の優しさだろう。
「もう一つわからないのは、肝心の幼なじみが誰かってことだね。攻略対象に、花園さんの幼なじみなんていたかな」
軌道修正された話に、私は一瞬ついていけなかった。
さっきまでの空気はいったいどこに消えたのか、季人はすっかりいつもの調子だ。
余裕綽々な様子が、年の差を見せつけられるみたいで腹立たしい。
むっとした顔のまま、私もその話に乗っかる。
「攻略対象とは限らないんじゃない?」
「どうだろうね。ゲームに関わりのない人なら、別にいいんだけど」
季人は急に真剣な表情になった。
めずらしく、眉間にはわずかにしわすらも寄せて。
考え事をするときのように、手をあごに持っていき、もやもやとした気持ちを表すように顔を引っかいた。
「……なんか、嫌な予感がするんだよなぁ」
ぽつり、と季人はそうこぼした。
季人の勘は、直感とは少し違って、深謀遠慮に基づくものだ。
言葉ではうまく説明できないけれど、何かがおかしいと理解している。
きっとそんなところなんだろう。
嫌な予感、と季人が言うのなら、それは不吉な前兆。
どうか、今回ばかりは勘が外れてほしい、と願うしかなかった。