家に帰ってきて、リビングにいた伯母に「ただいまー」と言い、その足で季人の部屋へと向かう。
玄関に靴があったから、先に帰ってきているのはわかっている。
バンッと乱暴にドアを開けると、季人は足音で私が来るのを予想していたのか、顔をこちらに向けていた。
私は無言で部屋に入り、のそのそとした足取りでベッドに近づき、端に腰を下ろした。
そしてそのまま身体を倒し、仰向きに寝転がる。
「……やられた」
ため息混じりに、私はそうこぼした。
独り言なのか、季人に向けた言葉なのか、自分でもよくわからなかった。
「どうしたの、咲姫?」
椅子から立ち上がった季人が、隣に座って私の顔を覗き込んでくる。
心配そうな表情で問いかけられれば、黙っていることはできない。
そもそも、最初から季人に話すつもりでこの部屋に来たのだ。
ゲームのこと、攻略対象のことは、すべて季人に話すべきだとわかっていたから。
私は寝っ転がったまま、季人を見上げる。
そうして、口を開いた。
「出会っちゃった。生徒会長に」
簡潔に告げると、季人は驚いた様子も見せずに微笑んだ。
いたわるようなその表情に、ささくれ立っていた気持ちが少し落ち着いてくる。
「そっか。まあ、想定の範囲内だね」
「わかってたけど、わかってたけど! 会いたくなかったなぁ……」
布団に顔をうずめて、行儀悪く足をバタバタとさせる。
私の推定ステータス的に、生徒会長との出会いイベントを避けられないだろうことはわかっていた。
それでも、これは現実なのだから、ステータス条件を満たしていてもイベントが発生しないこともあるんじゃないかと、期待もしていたのだ。
結果的にその期待は、見事に裏切られてしまったわけだけれど。
「ちなみに、どんな感じだった? 俺の言っていたイベントどおりだったのかな」
「……だいたいそんな感じだったと思う」
季人の問いかけに、私は顔を上げて答える。
口元に手をやって考える体勢になっている季人に、詳しく話したほうがよさそうだ、と気づいた。
生徒会長と出会ってしまったときのことを脳裏に思い浮かべながら、私は上体を起こす。
さて、どこから話したものかな。
* * * *
「くそー、あの国語教師、か弱い女生徒にこんな重いもんを運ばせやがって……」
ぐちぐちと文句を言いながら、私は廊下をのろのろ歩いていた。
放課後、帰ろうとしたところで椿邦雪に呼び止められた。
何かと思えば、授業で使った教材を国語準備室に戻しておいてほしいということだった。
当然、私は渋った。生徒に人気な先生のことだから、他にいくらでも買って出てくれる人がいるはずだ。というようなことを遠回しに伝えた。
けれどそれは聞き入れられなかった。
部活に入っていなくて、塾にも行っていなくて、他に習い事もしていない。一番暇そうだから、という理由で押しつけられた。
否定できなかった私は、結局頼みを断ることができなかった。
……くそう、こっちはフラグを折るのに忙しいんだぞ。放課後なんて、いかにもイベントが起こりそうじゃないか。
そんなことを考えていたからいけないんだろうか。
「わっ!」
廊下側の窓から突風が入ってきて、教材の入った段ボール箱の上に乗せていた資料の紙束が飛ばされてバラバラになる。
誰だ! 窓を開けっ放しにした奴は!
段ボール箱を床に置いて、散らばった資料を拾っていく。
「大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。すみません」
親切な男子が声をかけてくれ、資料拾いを手伝ってくれた。
そんなに枚数はなかったから、すぐに拾い終えることができた。
「これで最後だ」
そう言って、男子は私の目の前に資料を差し出してきた。
「ありがとうございま……せ、生徒会長……」
受け取りながら顔を上げた私は、思わず固まってしまった。
まさか、親切な男子が、天下の生徒会長だったとは!
もうそろそろ生徒会選挙があるから、生徒会長は引退するんだけれど。
現生徒会長ともなれば有名人だ。入学式や朝礼などで、顔は知っていた。
「ああ、そうだが」
「わ、わざわざすみません!」
私は勢いよく頭を下げた。
それは、不自然に硬直したことをごまかすためでもあった。
先輩であり生徒会長である人の手をわずらわせてしまったことに、恐縮している女生徒。
そういうことにしておこうと思った。
「いや、気にする必要はない」
生徒会長は特に不審に思ってはいないようだ。
でも、内心テンパりまくっていることもあり、顔を上げられない。
出会ってしまった。出会ってしまった。出会ってしまった……!
季人から聞いていた生徒会長の出会いイベントが思い起こされる。ヒロインが落とした資料を拾ってくれる生徒会長。そのままだ。
そういえば生徒会室は国語準備室と同じ校舎の、一階上だ。この近さならばったり出くわしても不思議はない。
いつもなら避けていた場所なのに、近づかざるをえない状況になってしまったのは、もしかしたらイベントのためだったのかもしれない。
こんなことになるなら何がなんでも引き受けなかったのに、と今さら思ったところで遅い。
これ以上何も会話をせずに立ち去ってくれればそれが一番いいんだけれど、その様子もない。
もう手伝うことは何もない。お礼は言ったし、謝罪もした。
それとももう一度お礼を言えと言うことなんだろうか。
「君はたしか、立花咲姫、だったな」
「なぜ私の名前を……?」
驚いて、私は顔を上げてしまった。
そのせいで、生徒会長の鋭い視線を真っ正面から受けることとなった。
「仮にも生徒会長なのだから、生徒の名前くらい知っていて当然だろう。特に君は、転入生だ。覚えていないほうがおかしい」
「そ、そうですか」
いや、それはどうだろうか……と突っ込むことはできない。
生徒会長がそう言うのなら、彼の中ではそういうものなんだろう。
無意味な問答をするつもりはないし、むしろ会話は最小限ですませたい。
早く切り上げてくれないだろうか、なんて思いながら生徒会長を観察する。
青みがかった短髪。眼鏡の奥の、青緑の瞳。釣り目がちで、視線の鋭さはまるで鷹のよう。
生徒会長をこんなに近距離で見るのは初めてのことだ。
攻略対象だけあって、端正な顔立ちをしている。桜木ハルの人懐っこそうな容姿とも、椿邦雪のダウナーな容姿とも種類が違う、怜悧な美貌。
その上頭脳明晰で、生徒会長として人の上に立つ才能もある。
私とは生きる世界が違う人だな。と、まとう空気だけでそう感じる。
「中間テストでは優秀な成績を残したそうだな。今後もその調子で励むように」
「はい」
短く返事をする。
別にそんなこと、生徒会長に言われるまでもない。
私は私のために勉強をしているのだから、誰に何を言われても関係ない。
「君は、生徒会に興味はないか?」
げ、来た、生徒会勧誘イベント。
一学期の中間テストの結果がいいと起きると季人が言っていたけれど、まさか時間差でやってくるとは。
出会いイベントと一緒に発生するという話は聞いていなかったが、ゲームと差異があるということだろうか。
ともあれ、私の意志ははっきりしている。
「ありません」
「そうか、残念だ。他の学校を知っている者の目線で、この学校をよりよきほうへ導いてくれればと思ったんだが」
「私には務まりそうにありません」
この学校をよくしていこうなんて向上心は私にはない。
成績がいいのは、自分の将来のために勉強しているからというだけ。
学校のために自分の時間を使うなんて、我慢ならない。
だいたい、立候補したところで選ばれるわけもないしね。
「立候補の締め切りは来週だ。気が変わったら表明してくれ」
だから、やらないってば! 人の話を聞け!
なんて叫ぶわけにもいかず、言いたいことだけ言って去っていく生徒会長を見送った。
まったく、イケメンはこれだから……!