体育祭が終わって数日、私は頭を悩ませながら帰路についていた。
いったい何に悩んでいるのかというと、季人の誕生日プレゼントだ。
季人の誕生日まで、もうあと一週間ほどしかない。
都会まで出てプレゼントを買うなら、土日じゃないと行けない。
顔には出さないようにしているけれど、実はかなり焦っていたりする。
そんなことを考えながら歩いていると、前方に見知った後ろ姿を見つけた。
ひょろりと高めの背に、やわらかそうな茶色の髪。
そういえば、駅までの道のりと私が登下校時に通る道は、途中で一緒になるんだった。
「あ、季人」
思わず私は声を上げる。
そこまで距離はあいていないので、季人にも聞こえたはずだ。
けれど、季人は振り返らなかった。
「季人?」
さっきよりも少し大きめの声で、私は季人を呼ぶ。
それでもやっぱり、季人は歩みを止めない。周りを確認しようともしない。
ムカッとするのは当然のことだと思う。
そっちがその気なら、無視できないようにしてやろう。
私は駆け出して、季人との間の距離を一気につめた。
「季人!」
肩をベシッと叩きながら呼べば、今度は立ち止まって勢いよく振り返った。
「あれ……咲姫」
呆然としたような顔で、すぐに耳につけていたイヤホンを取った。
なんで季人が振り返らなかったのか、それを見て合点がいった。
「音楽聴いてたんだ。無視されてるのかと思った」
「ごめん、気づかなかった」
「別にいいけど」
心からすまなそうに謝る季人に、私はしかめっ面のままそう返して、止まっていた足を再び動かす。
音量にもよるけれど、イヤホンで音楽を聴いていたのなら私の声が聞こえなくても仕方がない。
そのことを怒ってなんていない。多少、不機嫌にはなっているものの。
「ほんとにごめんね」
私の機嫌が悪いことに、季人も気づいたんだろう。
当然のように私の横に並んだかと思うと、ぽんぽんと、なだめるように軽く頭をなでてきた。
そうされてしまえば、これ以上不機嫌を維持していることができなくなる。
しょうがない、と私はため息をついた。
「もういいって。それより、季人って外ではイヤホンで音楽聴くんだね。初めて見た」
「普通、人と一緒にいるときに音楽かけたりはしないでしょ」
「それはそうだけど。家ではスピーカーで聞いてるよね」
季人の部屋には、それなりに値が張りそうなスピーカーが鎮座している。
パソコンの両脇に置いてあるそれで、季人はいつも小さめのボリュームで音楽を聴いている。
無音が嫌いなのかなんなのか、私が知っているかぎりでは必ず何かしら流していた。
まるでゲームのBGMのようだ、と思ってしまうのは、ゲームの世界だという事実に毒されてきているのだろうか。
「ヘッドホンだと、周りの音をシャットアウトしちゃうからね。咲姫の声を聞き逃したくないから」
さらりと、季人はそんなことをのたまった。
不意打ちを食らって、私は変な顔にならないよう、ぎゅっと眉根を寄せる。
季人のシスコンっぷりはよく知っているつもりでいても、天然攻撃にまったく動揺しないかというとそうでもない。
季人は意地悪なところもあるから、あるいはわざとなのかもしれないけれど。
「……普通、逆じゃない? 外のほうが音聞こえないの危険じゃん。事故らないでよ?」
睨むような目つきの悪さで、私は言う。
動揺を悟られたくなくて、きつい物言いになってしまったけれど、危険だと思ったのは嘘じゃない。
「大丈夫だよ、その分周りに注意してるから」
「後ろから車が突っ込んできたりしたら、アウトなんじゃ」
「それは、普通の状態でも避けるのは難しいんじゃないかな」
「まあ、たしかに」
後ろから車が来るのはいつものことなのだし、それが自分に向かっているのかどうかなんて音だけじゃ判断できない。
そのときはそのとき、と言えるようなことではないけれど、どうにもならないものもあるのだから、考えすぎもよくないだろう。
もちろん、予防できそうなことはやっておいたほうがいいとは思うが。
「でも、心配してくれてありがとう」
季人は瞳を細めて微笑んだ。
たしかに季人を心配しての言葉ではあったんだけれども、そう言われてしまうとなんだかむずがゆくなってくる。
親戚に事故にあってほしくないと思うのは、普通のことのはず。
そう自分を納得させつつも、なんだか季人の顔が見れない。
「……何、聴いてたの?」
目をそらしたまま、話を変えてみた。
隣でくすりと笑った気配がしたけれど、無視することにした。
「今聴いてたのはヴァイオリンの曲。日本の奏者の。聴いてみる?」
「うん」
季人の差し出してきたイヤホンの片方を受け取って、耳に当ててみる。
そのまましばらく待ってみても、何も音がしない。
まだだろうか、と季人が手に持っているウォークマンの画面を覗き込んでみると、再生中になっていた。
「……聞こえないんだけど」
「あれ? じゃあこっちは?」
季人は目を丸くして、もう片方を渡してきた。
そちらを逆の耳に持っていくと、今度はちゃんとヴァイオリンの音が聞こえてきた。
「あ、聞こえる。きれいな演奏だね」
どうやら日本の懐かしのJ-POPソングを編曲して演奏しているようだ。
私が生まれる前の曲だけれど、聞き覚えのある曲に思わず歌詞を口ずさみたくなる。
ヴァイオリンというと格調高い印象があったけれど、こういう親しみやすい曲を演奏していると、いい意味でイメージが崩れる。
片方だけだから聴きながらでも会話できるし、しばらく借りていてもいいだろうか。
そう問いかけようと季人を見上げると、「そのまま聴いていていいよ」とのお言葉。……ばれてる。さすが我が従兄。
「やっぱり、左だけ断線しかけてるのかな。たまに聞こえなくなるんだよね」
はぁ、と季人は困ったようなため息をつく。
それはイヤホンとしては致命的なんじゃないだろうか。
片方でも音楽を聴けないわけではないし、たまに、がどれほどの頻度かにもよるけれど。
季人は性格的に物持ちがよさそうだが、それにしたって限度はある。
今使っているものが役割を果たしてくれないのなら、おとなしく新調するべきだ。
「気になるんなら買い換えたら?」
「そうしようかな」
私の勧めに、季人は大して悩んだ様子もなく賛同した。
元々そのつもりだったのかもしれない。
けど、イヤホンか。
まだ耳元で音楽を流しているイヤホンに目を落とす。
数百円で買えるようなイヤホンとは見た目からして違うのがわかる。あまり音楽を聴かない私でもわかるくらい、音質もいい。いったいいくらしたんだろうか。
「……あ、ちょっと待って」
「ん?」
季人は首をかしげて、立ち止まった。
待ってって、そういう意味じゃなかったんだけどな。
仕方なく私も足を止めて、季人を見上げる。
「買い換えるの、ちょっと待って」
ちょうど買い換え時の、季人にとって必要なもの。
誕生日プレゼントにちょうどいいんじゃないだろうか、と思ったわけだ。
プレゼントするよ、と素直に言えない私は、待って、と告げることしかできない。
他にいくらでも言いようはあっただろうに。
こんな言い方では、時期も相まって早々に季人に勘づかれてしまう。
「うん、わかった」
季人は何度か目をまたたかせたあと、ほわりとうれしそうな笑みをこぼした。
ああ、絶対に気づかれた。
敏い季人に隠しておこうというのが無理な話なのかもしれないけれど。
「……わからなくてもいいのに」
ぶすっとした顔でつぶやき、私は前を向いて歩き出した。
一を聞いて十を理解してくれるのは、楽だと思うことも多いが、こういうときは少々おもしろくない。
プレゼントする前に買い換えられたら困るから、言わないわけにはいかなかったとはいえ。
やっぱり、もう少し言い方を考えればよかった。
「ありがとね、咲姫」
隣からやわらかな声が降ってくる。
きっと笑顔を浮かべているんだろうと、見なくてもわかるくらい喜色のにじんだ声。
まだプレゼントしたわけではないのに。買ってもいないのに。
気が早すぎる、と思うのは照れ隠しでもある。
「今言うのはおかしいでしょ」
「そうだけど、気持ちがうれしいから」
ツッコミを入れても、季人に気にした様子はない。
本当に、季人には敵う気がしない。
どんなに私がツンケンしても、そのトゲも全部丸ごと包み込まれてしまうんだから。
「……なるべく奮発します」
「ありがとう」
観念した私がそう言えば、もう一度、お礼の言葉が返ってきた。
そこまで期待されたら、生半可なものは贈れないじゃないか。まったく、難易度上げやがって。
そんなふうに思うのも、やっぱり照れ隠しだったりする。
いつも私のことを誰よりも考えてくれて、私のためになんだってしてくれる季人。
誕生日くらいは、私のほうが季人を喜ばせてあげたい。
今よりも、もっともっと。
そのために、予算はもう少し上乗せしよう、と私は心に決めた。