9.自らに流れる血のえにし

「まったく。しばらく前からアケヒの様子がおかしいとは思っていたが、こういうことか」

 アケヒの留守中に訪ねてきた黒髪の美男子は、ルミを上から下まで舐めるように見てから、そうため息と共にこぼした。
 いきなり何を言っているんだろうか、この人は。
 そもそもルミはアケヒに、人が訪ねてきても無視しろ、と言われていた。
 だから扉も、鍵すらも開けていない。
 夕食の支度のために台所にいたルミは、扉を叩く音を無視した。いつものことだ。
 いつもどおりではなかったのは、しばらくののちに扉が自然と開き、見たことのない青年が勝手に侵入してきたことだ。
 彼はどうやって鍵のかかった扉を開けたんだろうか。

「……あの、あなたは?」

 まずは彼が誰なのかを尋ねることにした。
 アケヒの名前を知っている以上、泥棒という線は薄い。私念を買っていなければ、だけれど。
 目の前の青年は刃物などの危険物を持っているわけではない。隠し持っている可能性はないとは言えないが。
 服装もモノトーンではあるものの、怪しい人には見えない。
 何よりも、彼からはこちらを害そうとする意思をまったく感じなかった。

「アケヒの友人だ。
 ここで待たせてもらってもかまわないか」
「あ、はい。たぶん大丈夫だと」

 扉が開かれてしまっている以上、すでに無視はできない。
 友人と言っているのだからかまわないだろう。
 嘘である可能性がないわけではないが、ただアケヒが帰ってくるのを待つだけなら、そんな嘘をついて得があるとは思えない。
 万一があったとしても、ルミが見張っていれば、物を盗ることもできないのだし。
 そう考えて、ルミは青年を家に招き入れた。

 黒髪の美男子がダイニングのテーブルにつくのを見て、場違いだなという感想を持った。
 目の前の彼は、アケヒとは種類の違う美形だ。
 少年から青年になったばかりといった顔立ち。身長はアケヒよりいくらか低いだろう。
 肌はルミよりも白く、真っ赤な瞳は知的な光が宿っている。黒髪は艶があって、短いのがもったいないくらいだ。
 線が細く、はかなげな容貌なのに、不思議と弱々しくは見えない。まとう空気が洗練されているからかもしれない。
 外見だけで判断してはいけないのかもしれないが、アケヒもすごい友人がいたものだ。

「アケヒ、すぐに帰ってくるでしょうか?」

 なんとなく気まずくて、ルミは青年に話を振った。
 今は夕暮れ時。いつもアケヒが帰ってくる時間よりもだいぶ早い。
 そういえば今さらだけれど、お茶でも出したほうがよかっただろうか。

「心配ない。先ほど使いを出した」

 青年がそう言い終わるか終わらないか。
 バンッと大きな音を立てて、家の扉が開かれた。

「ルミ、無事かっ!?」
「アケヒ?」

 そこにいたのは血相を変えたアケヒだった。
 急いで帰ってきたのか息を乱しているし、とても険しい顔をしている。
 ルミはアケヒの様子がいつもと違うことに驚きを隠せない。
 こんなに余裕のなさそうなアケヒは初めて見た。

「ずいぶん早かったな」

 場の空気を壊すように、青年がのんびりとアケヒに向かって言う。
 とたんに緊迫した空気がゆるみ、アケヒは気が抜けたような顔になって、ずるずるとその場にしゃがみ込んだ。

「はー……ダンナ、冗談はもっとわかりやすくしてくれ」
「それほど手間をかけたくはなかった」

 二人のやりとりを聞いていて、ルミにもアケヒのあわてっぷりの理由がわかってきた。
 青年の出した“使い”とやらが、あまり心臓にいいものではなかったんだろう。
 アケヒは真っ先にルミの無事を確認していたから、きっとルミの身に何かがあったと思わせるようなもの。
 嘘をついてまで早く帰ってきてほしかったということか。
 こんなときに不謹慎かもしれないが、アケヒがルミを心配して、急いで帰ってきてくれたことがうれしかった。

「それで、アケヒ。説明してもらおうか」

 ゆるんだ空気が、一気に引きしまったように感じた。
 青年の声は冷たく、小さな罪すら許さないというような響きがあった。
 ルミはなんのことを言っているのかわからない。
 けれど、アケヒにはそれだけで伝わったようで、彼は軽く顔をしかめた。

「……人界で死にかけてたのを保護した。それだけだ」

 青年の正面の席につきながら、アケヒは答える。
 自分のことを言っているのだとわかり、ルミは驚きに目を丸くした。
 では、青年が説明を求めていたのはルミのことだったのか。

「それだけなら、なぜ俺に知らせなかった。同じ吸血鬼である俺に。
 身元がわかったかもしれないだろう」

 なるほど、青年はルミと同じ吸血鬼らしい。
 黒髪に赤い瞳。テンプレどおりといった感じだ。

「アケヒ、お前は知っていたのか?
 彼女が俺の血縁者だと」
「え……!?」

 青年の言葉に、ルミは声を上げる。
 血縁? 自分とこの人が?
 寝耳に水すぎて、どう反応すればいいのかわからない。

「そうだろうなとは思ってた。
 こいつが施設にあずけられたのが十二年前。時期はピッタリだろ。
 しかもその前の記憶は一切ないらしい。明らかに封じられてるとしか思えない」

 なんの時期がピッタリなのかルミにはわからないが、二人にはそれだけで通じているらしい。
 記憶が封じられている、というのも初耳だ。
 施設に来る前の記憶がないのは、精神的なショックか何かだと思っていた。

「あの、どういうことですか?
 血縁って、あたしとあなたは親戚なんですか?」
「貴女は俺の従姉の子どもだ」

 ルミの疑問に、青年はこちらを向いて答えてくれる。
 魔族でも同じ表現をするのかはわからないが、五親等というのはルミの感覚では遠くはない親戚だ。
 目の前の美男子が、自分と血のつながりがあるだなんて。
 ずっと施設で、赤の他人を家族として育ってきたルミには、あまりにも現実味のない話だった。

「あたしの両親は、まだ生きているんですか?」

 言いたいことはたくさんあった。
 けれど、混乱した思考によってはじき出された言葉は、そんなものだった。
 両親なんて、いないのが当たり前だった。
 どこかで生きているかもしれないし、すでに亡くなっているかもしれない。どちらにしろルミには関係ないと、そう思っていた。
 けれど、血というたしかなつながりを持つ青年を前にして、一番に浮かんできたのが、両親に会えるかもしれないという可能性だった。
 会ってどうするのかなんてわからない。
 ただ、もし会えるのなら、ルミは会いたいと願う。

「それは……」
「ダンナ」

 言いづらそうな表情をしながらも答えようとした青年を、アケヒが止める。
 青年とアケヒが、無言で視線を交わす。
 その少しの時間が、ルミにはもどかしかった。

「アケヒ、知らぬままでいたほうがいいとは俺は思えない。
 彼女は知っておくべきだ」

 静かな声で青年はそう言い、ルミに向き直る。
 これからされるのはあまりいい話ではないのだろうと、今の言葉と表情から察せられた。

「貴女の両親はすでにこの世にいない。
 吸血鬼同士の権力争いの被害をこうむり、殺された」
「殺され……そんな……」

 落ち着いた声で語られた内容に、思わずもらした声は震えていた。
 自分の親がすでに生きてはいない可能性は、考えていた。
 けれどそれは漠然な想像でしかなく、当然ながら死因まで考えたことは一度もなかった。
 ルミは五歳以前の記憶がない。両親のことはまるで覚えていない。
 それでも、自分を生んでくれた彼らの最期が、他人によってもたらされたものだと知って、ショックを受けないわけがない。

「貴女はきっと、巻き込まれないように逃がされたのだと思う。
 誰も考えもしない場所、人界に」

 青年の言葉がうまく飲み込めない。
 まるで知らない言語を聞いているかのように、理解するのに時間がかかった。
 だとしたら、自分は。
 捨てられたのではなかった、ということなのか。

「彼らを死に追いやった者も、今は生きてはいない。だが、貴女が生きていると知れれば、また諍いの元になるかもしれない」

 権力争いだなんだと言われても、ルミにはいまいちピンと来ない。
 それでも、自分が争い事の種になってしまうのは嫌だと思った。
 青年はそこまで話してから、アケヒに目を向けた。

「だから、俺にすら黙っていたんだろう、アケヒ」
「そういうこったな」

 アケヒももう、はぐらかすつもりはないらしい。
 正直にそう答えて、それから一つため息をついた。
 どこか様子のおかしいアケヒも少し気になるけれど、それよりもルミには青年に聞きたいことがあった。

「あの、どうしてあたしが血縁だってすぐにわかったんですか?」

 アケヒが帰ってくる前、青年はルミを見てすぐにそのことに気づいたようだった。
 こういうことか、というつぶやきは、明らかにルミを指していたのだから。
 どうして血縁だと知ったのか、ルミは気になった。
 彼が同じ吸血鬼だからかもしれない。

「血の匂いでわかる。
 俺は過去の貴女に会ったこともあったからな」
「血って、今、怪我とかしてませんけど」

 料理で怪我をするほど手先は不器用ではない。
 月のものだってまだ先のはずだ。
 過去に会ったことがあるといっても、それは十年以上前の自分だろうから、見てすぐに気づくというのは難しいように思える。

「オマエとはできが違うんだよ、ダンナは」
「アケヒは黙ってて!」
「へいへい」

 茶々を入れるアケヒにルミは怒鳴る。
 青年に向き直ると、彼は自分たちのやりとりを面白そうに見ていた。
 親戚らしいとはいえ、初対面の人の前で素に戻ってしまったことが気まずく、ルミは愛想笑いをするしかできない。

「感覚的なもので説明はできないのだが、貴女の身の内に流れる血を感じるんだ。
 近しい者の血だと、本能が訴えてくる」

 話を聞きながら、ルミは青年の瞳を眺めていた。
 血のように赤々とした、ルビーみたいなきれいな瞳。
 ルミの灰色がかった鈍い青色の瞳とは大違いだ。
 それが、彼が間違いなく吸血鬼なのだと、人間ではないのだということを表しているようで。
 同じ吸血鬼でもこうも違うものなのか、とルミは自嘲的な気持ちになった。

「できが違うっていうの、認めるしかないかも。
 あたしにはわかんないや」
「十年以上も人界で暮らしていたのなら仕方がないだろう。
 生きていられただけすごい」

 感心したように言う青年の表情に、嘘は見当たらなかった。
 すごい、と言われても、ルミにとっては当たり前のことだった。
 自分が人間だということを疑いもしなかったから。疑う要素が何もなかったから。
 日本人らしくない目の色も、人よりも大食らいだったことも、そのくせたまに貧血を起こすことも、ただの個性や体質ですまされていた。

「これからあたし、どうすればいいんでしょう?」

 親戚だというのなら、赤の他人のアケヒではなく、彼を頼るべきなんだろうか。
 半年ほどで住み慣れたここを出て行くのは、正直嫌だ。
 アケヒの、好きな人の傍にいたい、という気持ちももちろんある。

「今までと同じように、ここで暮らしてもらったほうが安全だろう。
 だが、たまにアケヒと共に俺の屋敷に来い。
 吸血鬼としての力の使い方は、アケヒからは習えないだろう」

 青年の家にアケヒと共に。その言葉にルミは思わずアケヒを見た。
 ルミは一人では外出を許されていない。初めのころにアケヒの忠告を無視して外に出て、危ない目にあったからだ。
 いまだに吸血鬼として半人前のルミでは、何かが起きれば一人で対処できない。
 日本と比べれば治安が悪い魔界で、力を満足に使えないルミはひどく危なっかしいのだ。
 青年に言われるまでもなく、出かけるのならアケヒがついてきてくれなければならないだろう。
 だから、決定権を持っているのはルミではなく、アケヒだ。

「危険はねぇのか?」

 黙っていたアケヒが青年に確認する。反対をするつもりはないらしいとわかる。
 アケヒが心配するということは、やっぱり何かしらあるのだろう。
 過去の権力争いがどんなものだったのかはわからない。
 もしかしたらそれは、今でも火種がくすぶっているものなのかもしれない。

「今はもう、誰も寄りつかないのはお前も知っているだろう。
 訪ねてくるくらいならごまかせる」

 青年はどこか寂しげに微笑む。
 寄りつかない、という表現は気になったが、少なくとも危険はないらしい。
 それなら、吸血鬼として必要なことを教えてもらうというのは、願ってもないことだろう。
 今までアケヒにしてもらっていたことは、対症療法のようなものだった。
 ルミがきちんとした吸血鬼になれれば、アケヒの負担も減るはずだ。

「じゃあ、よろしくお願いします。えっと……」
「ハルウだ。こちらこそよろしく」

 頭を下げてから、今さらながら、名前を知らないことに気づいた。
 ハルウはやわらかな笑みを浮かべ、名乗ってくれた。

「ハルウさん、あたしはルミです。
 お世話になります」
「世話してんのはオレだろ」
「アケヒうっさい」

 ルミも笑顔で挨拶をすると、横にいたアケヒがすかさず突っ込んできた。
 この男は真面目な話を混ぜっ返さずにはいられないらしい。
 そんな子どものようなところも嫌いになれないのだから、恋とは恐ろしいものだ。

「仲がいいようでよかった。
 これなら安心して任せられるな」

 くすくすとハルウは笑みをこぼす。
 うれしいような、うれしくないような。
 複雑な気持ちでアケヒに目をやると、なぜか髪をぐしゃりとなで回された。
 訳はわからないけれど、そのぬくもりにルミは励まされたような気になった。

 血縁の存在。両親の話。面倒な血筋。
 一気に知らされた事実は、いまだに消化しきれていないのだけれど。
 アケヒとの日々が、ルミの日常が変わることがないのなら。

 どうにかやっていけるだろうと、そんな気がした。



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