「ストーカー!?」
思わずズザザッと身体を離して、身構えてしまった。
わざわざ長距離を魔法で移動してまで、こっそり影から見ていたとか、普通に考えたらストーカーだ。
いやヴィーにならストーカーされてもいいけどさ。まったく覚悟のない状態でそれはキツイ。
だって、遅刻寸前で適当に着替えただらしない格好とか、仕事終わったあとの疲れきった姿とか、見られていた可能性があるってことでしょ!?
つまり、時折感じていたあの視線の主はヴィーだったってことよね。まさかまさかすぎる。
ていうか、なんでヴィーが私のストーカーをしなきゃいけないわけ!?
「しんと静まり返った家なんて、君が来る前までは当たり前のことだったのに。耐えられなくなるたびに気づいたら君のいる町に飛んでいた。特に深夜が多かったかな」
「しん……や……?」
待て、待つんだヴィー、待たれよ。
深夜ってちょっとタンマ。ワタシヨアソビシナイ。
昔からそうだし、今の仕事だって朝早いから、夜はちゃんと寝てる、よ……?
「ごめん。盗み目的とかじゃないからいいかなって」
それは私の予想を裏づける言葉だった。
ヴィー、私の家にこっそり忍び込んでたのね……!?
しかもどうやら常習犯。片付けをサボっていた部屋も、セールで買った変な柄物パジャマも、気の抜けた寝顔も全部見られていたってことで。
「え、だって、え、ちょ、ちょっと待って、わけがわからない」
「ごめん」
「いや、いいんだけど。いやよくはないんだけど怒ってはなくて。でも振ったのヴィーのほうなのに」
「ごめん」
「謝られても困るんだけど」
ヴィーが本気でしょんぼりした顔をしているから、だんだん冷静になってきた。
なんというか、今日のヴィーはよく表情が動くなぁ。
十年一緒にいて、こんなの初めてで、うれしいよりも先に戸惑ってしまう。
「そんなに心配しなくても、私、これでも二十六のれっきとした大人よ。今はおかげさまで体年齢十六歳だけど。十年ぶりではあったけど、もともと要領はいいほうだから仕事も人間関係も順調。わざわざ定期的に見に来なくっても平気よ」
とりあえず、私のプライド的にも最低限の主張はしておきたい。
外見が十六歳だからって、中身が二十六歳なことには変わりない。私を若返らせた張本人なんだから、一番よくわかっていることだろうに。
まあもちろん、ゆうに百歳超えのヴィーからすれば、二十六歳だってまだまだガキンチョなんだろうけど。
「そうじゃなくて……いや、それはそうなんだけど、でも……」
「ヴィーらしくない。いつも、聞きたくないようなことだって気にせず言うのがヴィーなのに」
汚れた綿毛、とかね。油をあげたのは本当にパンが惜しかっただけ、とかね。
今までヴィーの歯に衣着せぬ物言いに、どれだけ泣かされてきたことか。
そんなところも好きなんだから、世話がない。
「湯飲みを、割ったんだ」
「……そうね?」
半年前のことを、今さら持ちだしてどうしたんだろうか。
もう十年近く前に贈った、お茶が好きなヴィーへの初めてのプレゼント。
我ながらうまく描けたと思っていた赤い花は、ちょうどまっ二つになっていて。泣く泣く布でくるんで仕舞ったっけ。
ゴミとして処分する覚悟は決められなかった。ヴィーが動かしていないなら、今もまだキッチン戸棚の奥に隠れているんだろう。
「君にもらった、湯飲みだった。君が描いた赤い花は、僕にとって魔法薬の材料でしかなかったけど、君が、僕の瞳の色だって、言ったから。好きだって、言ったから。だから、いつのまにか、他の材料とはちょっと違っていて。特別、で」
いきなり、なにを。
私は目をぱちくりとさせる。
特別。
ヴィーの口から聞く日が来るとは思ってもいなかった言葉だ。
「湯飲みも、花も、……君も。大事にしていたつもりはなかった。特別だなんて思ってなかった。でも目の前で壊れてしまって、やっと気づいた。僕は、もうずっと、」
手が、伸ばされる。
ヴィーの手が、私の手をすくい取って。
「ずっと、ずっと前から……君のことが、特別だった」
ぎゅっと、痛いくらいの力で、握られる。
心臓ごと掴まれたような気がして、息が苦しくなった。
赤い瞳は真剣で、迂闊に触れれば切れてしまいそうなほど鋭い色をしていた。
「そう、自覚してしまったら……一気に怖くなった」
へにゃりと、眉が垂れ下がった。
情けない、としか表現のしようがない表情。
ヴィーのこんな顔、始めて見る。
今日は今まで見たことのない顔ばかりで、もう、混乱の境地だ。
「君もこの湯飲みと一緒だ。気をつけていたって、いつか壊れる。いつか、僕は君を永遠に失う。これ以上はダメだって、無理だって思った。これ以上一緒にいたら、もっとつらくなる。今だって想像したくもないくらいなのに……。もう、一緒にはいられないって思った」
何を言っているんだろう、この人は。
発想が飛躍しすぎているし、極論すぎるし、何より、何より。
それだと、まるで、本当に私のことが。
失うことを恐れるほどに、大切だって、好きだって、そう言っているように聞こえる。
「この手を放さなきゃって、思ったんだ」
じゃあ、今、絶対に放さないとばかりに握っているのは、どうして?
尋ねたら、ヴィーはちゃんと答えてくれるんだろうか。
私の望む答えを、くれるんだろうか。
「でも、君を泣かせるつもりはなかった。……ごめん」
それは何度も夢にまで出てきた、最後の言葉。
ごめんって、そういうこと?
泣かせてごめん、って。
何それ、馬鹿みたい。
十年もずーっと想い続けた人に振られて、泣かない女がいるとでも思ってたんだろうか。
ヴィーは本当、なんでも知っているようでいて、何もわかってないんだから。
「……勝手ばっかり」
私の口が紡いだのは、そんな恨み言だった。
これまで散々振り回されてきたんだ。少しくらい文句を言ってもバチは当たらないはず。
もちろん、私だってたくさん勝手をしてきたわけだから、お互いさまなんだけどね。
「これからどうするか考えながら花を摘んでたら、気づいたら畑が丸裸になってたし。いつもはおいしいパンの味もわからなかったし。紹介状やら何やらの準備で徹夜したせいで頭がぼんやりして、君に触れたいなぁなんて思い浮かんでは打ち消すのが大変だった」
あれも、これも。
全部、そんな事情があったなんて。
何も知らずに不吉だなんて思っていた私の頭は、ずいぶんとお気楽にできていたようだ。
「さわれば、よかったのに」
「そしたら、手放せなかった」
「手放さなきゃよかったのよ」
「それは、でも」
「ヴィーの臆病者」
「……うん」
ヴィーの手から、力が抜けていく。
私の手を放そうとするその手を、今度は逆に、私から力強く握った。
ぎゅうっと、死んでも放すもんかと、私の気持ちが伝わるように。
「ほんと、どうしようもない人なんだから」
怒り顔を作る。
でも、もしかしたらちょっと笑ってしまっているかもしれない。
こんなに感情を露わにするヴィーも、こんなに情けないヴィーも、初めて見る。
それでも私は変わらずヴィーが好きで、むしろもっともっと好きになってしまった。
十六の春に恋に落ちて、二十六の秋に恋が終わって。終わったように見えて、どうしても、終わらせられなくて。
十年分の時間が返された。でも想いは巻き戻らなかった。また、十六の春に、こうして彼への想いを再確認する。
咲き疲れて枯れた花は、好きな人の言葉ひとつで息を吹き返す。
やっぱり私は、一生ものの恋をしている。
その相手が、こうして私に気持ちを傾けてくれているっていうなら、もう、言うべきことは決まっている。
「ヴィーがヴィーである以上、どうやら私はあなたのことが好きみたい。だから、あきらめて私にヴィーをちょうだい」
手を、広げた。
彼の全部を受け止められるように。
ヴィーはくしゃりと顔を歪めて、震える唇を、開いた。
「……どうしようもないやつなのに、いいの?」
「どうしようもないあなただから、いいの」
私が、言うが早いか。
ヴィーは、彼らしくもない素早さで、私を抱きすくめた。
加減を知らない力がいとおしくて、隙間がぴったり埋まったかのような幸福感に胸がいっぱいになってしまう。
涙混じりのかすれた声が、私の耳をくすぐる。
ずっと、傍にいて、なんて。
ヴィーのずっとって、何百年だろう。
がんばって長生きしなきゃなぁ。と、私はしあわせを噛みしめながら思った。