お兄ちゃんがやさしくない

「おかえり。君が戻ってくる事はわかっていたよ」

 玄関のドアを開くと、そこにはにっこりと人のよさそうな笑みを浮かべたお兄ちゃんがいた。
 思わず、私はビクッと身体を揺らしてしまう。
 いつも笑顔で優しそうに見えるけれど、実際優しいんだけれど、本当は食えないヤツだということを私は知っている。

「なんで……」

 なんで、私の行動が読まれていたんだろう。今日のことはお兄ちゃんには話していないはずなのに。
 いつもだったらこの時間には家にいないはずなのに。
 大急ぎで戻ってきたせいで、息が上がっている私は、よく動かない頭で考える。
 でも、考えるまでもなかったかもしれない。
 今日という特別な日を、お兄ちゃんが知らないわけがない。
 そして、お兄ちゃんの手の中にある、包み。
 それは今の私にとって、自分の命よりも大切なものだった。

「なんで、って。答えが必要? 自分でもわかっているんじゃない?」
「そう、だけど……」

 そりゃあ、バレバレだったかもしれない。
 ここ数日の私の様子がおかしかったことは、お兄ちゃんなら当然気づいていただろうし。
 手に持っているものがなんなのか、中身を見なくてもわかっているんだろう。
 それがここにある以上、私がここに戻ってこなければいけなくなったということも。
 なんで、どうして、なんて、考えるまでもなかった。

「まったく、バカだよねぇ。こんな初歩的ミスをするなんて。本当に、僕の妹は頭が足りていないんだから」
「そこまで言わなくてもいいじゃない!」

 人を小バカにした態度と言葉に、私はむっとして言い返してしまった。
 後先考えない行動で後悔するのはいつものことなのに。
 それでもこの性格は直せない。

「――僕に口答えするの? この、僕に?」

 ヒヤリ、と冷たい声がその場に落ちた。
 反射的にビクッと肩が跳ねる。
 普段、まったく怒らないお兄ちゃん。
 でもそれは、絶対に怒らないというわけじゃない。
 温厚なお兄ちゃんがひとたび怒ると、誰よりも恐ろしいことを私は身を持って知っている。
 何度、お兄ちゃんのブリザードを食らったことか……。
 凍った空気が怖くて、お兄ちゃんの顔を見られない。

「君は自分の立場をわかっているのかなぁ」
「……わ、わかってるよ」

 お兄ちゃんから目をそらし、視線を下に向けながらそう返す。
 普通に聞くと優しい声なのに、私には薄ら寒く感じる。
 今日のお兄ちゃんは、意地悪だ。
 いつもならこんなふうに私を追い詰めたりしないで、むしろベタベタに甘やかしてくれるのに。
 今日のお兄ちゃんは、怖い。
 それはきっと、私がバカだからなんだろうけど……。
 致命的なミスをしてしまったことでテンパッて、泣きたい気持ちだっていうのに、さらに追い打ちをかけてくるなんて。

「本当に? 僕がどれだけのことを君のためにしてあげたのか、わかってる? 君はもっと僕に感謝してもいいと思うんだけどな」

 お兄ちゃんの言葉は正しい。
 私は何度も何度もお兄ちゃんに助けられてきた。
 お兄ちゃんがいなかったら、今日だって。
 きっと、去年と変わらない今日を過ごしたはずだった。
 今日が特別な日になるのは、ううん、特別な日にできそうなのは。
 ほとんど、お兄ちゃんのおかげだって、私だってちゃんとわかってる。
 でも、だからって……。
 もう私には、時間はあまり残されてないんだ。

「感謝してる、すっごく感謝してるよ! 本当にわかってるから、……それ」
「これ?」

 私の言葉に、お兄ちゃんは手に持っていた包みを、私に見せつけるように掲げた。
 そう、それだ。
 今日のために用意した、大切な大切な、必要不可欠なもの。

「お願い、お兄ちゃん。それ、返して」

 私は少し涙目になりながらも、お兄ちゃんを見上げてお願いした。
 しばしの間、にらめっこになった。
 何を考えているのかわからない表情は、次に言われる言葉が予想できないから怖いけれど。
 ここで、お兄ちゃんに負けるわけにはいかないんだ。
 今さらあきらめられない。
 何年もあたためてきた私の想いは、もう、止められない。

「……まったく、しょうがないな」

 ふう、とお兄ちゃんはため息をついてそうこぼした。
 手に持っていた包みを、私に差し出す。
 苦笑しているお兄ちゃんは、いつもの優しい私のお兄ちゃんだった。
 私が包みを受け取ると、そうそう、とお兄ちゃんは口を開いた。

「遼平には、僕から連絡しておいたよ。『菜月は肝心のチョコと、ついでにスマホも忘れていったから、しばらくその場で待っててあげて』って。『了解』って返信もあったよ」
「ありがとおおおおおお兄ちゃーん!!」

 私は感極まってお兄ちゃんに飛びついた。
 ほんと僕っていいお兄ちゃんだよね、と言うお兄ちゃんに、今は全力で同意できる。
 お兄ちゃんの友だちで、私の長年の片思い相手の遼平。
 私の片思いをお兄ちゃんは知っていて、ずっと応援と協力をしてくれていた。
 バレンタインデーである今日という日に、彼と会う約束を取りつけられたのも、元をたどるとお兄ちゃんのおかげだった。
 そんな大切な日なのに、あろうことか一番忘れちゃいけないチョコを家に忘れたもんだから、お兄ちゃんが怒るのだって当然だ。

 お兄ちゃんのフォローのおかげで、いつもみたいにケンカになっちゃう可能性は減った気がする。ないとは言えないのが悲しいところなんだけど。
 でも、今日は本当に大事な日だから、大事なデートだから。
 絶対に絶対に、失敗なんてしたくない。ケンカ別れになんてなりたくない。
 きっと遼平だって、同じ気持ちでいてくれてると思うし。
 私からもケンカを売らないようにがんばれば、もしかしたら。
 今年こそは、告白、とかできちゃったりするかもしれない。


 ……うん、がんばろう!






「書き出し.me」にて書いたお話を大幅に加筆修正しました。元文はこちら。
書き出し:「おかえり。君が戻ってくる事はわかっていたよ」

「ホットケーキは涙の味がしました」の一年後のお話だったり。



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