それからのわたしは、よく兄さまにひっつくようになった。
この国では子どもはみんな学校に通う。学校は八歳から二年間が最低限度、それにさらに四年が一般的だ。専門的なことを学ぶ場合は親に教わったり家庭教師をつけたりで、また別に習う。
兄さまは現在十三歳。当然学校に通っているので、いつでも暇なわけじゃない。
それでもなんだかんだで話を聞いてくれるから、もっとたくさん話したいと思うようになった。
でも、ちゃんと話すようになって気づいたことがある。
「兄さま、兄さま」
「なんだ?」
「名前を呼んでください!」
そう、兄さまはわたしの名前を呼ぼうとしない。
いつも『おまえ』とかですませてしまう。
元々そんなに話す人じゃないから、今まで気づかなかった。
「……エシィ?」
迷うような沈黙のあと、兄さまはわたしの愛称を呼んだ。
それもうれしいけど、違う。
「エステルです」
「だが」
「兄妹なんですから、仲良く名前で! ね、アレクシス兄さま?」
反論を許さず、わたしはたたみかける。
兄さまは困ったように眉をしかめた。
そんな顔をしてもダメだ。わたしはあきらめない。
名前で呼んでもらうと決めたんだから、兄さまが折れるまで言い続けるつもりだ。
「だいたいですね、ジルだって名前で呼ぶのに、兄さまが愛称だなんて変じゃないですか。わたしたち家族は仲の良さが売りなのに」
「どこに売っているんだ」
呆れたような言い方でつっこまれる。兄さま細かい。
「えーっと、領民に? でも、本当にちょっとした自慢になってるって、リゼに聞きましたよ」
リゼは商家の一人娘で、わたしのちゃんとしたお友だち。
エシィ、エシィ、ってわたしのあとをついてくる、おっとりほわわんとした子。
ふわっふわの金髪に、宝石みたいな水色の瞳がお人形さんみたいですごくかわいい。
この片田舎の領地ラニアは、公家や卿家の人が親しみやすいことで有名なんだってこの間言っていた。どこもお手本みたいな家族だって。
もちろん、ラニアは卿家が六家あるから、全部ってわけじゃないと思うけど。家族が仲良しなのはいいことだよね。
「わたしは、兄さまとこうしてお話できるようになってうれしいです。もっと仲良くなりたいと思っています。兄さまは?」
必殺、うるうるお目々。
子どもだからできる技だ。精神年齢は、とか言っちゃいけない。
何より本当のことしか言っていないからね。手段なんて選ばないよ。
「……そうだな、エステル。こういうのも悪くない」
名前を呼んでもらえた!
「えへへ……って、わぁっ!」
わたしが相好をくずしていると、急に視界がひょいと高くなる。
……すごい、兄さまに抱き上げられちゃった。
十三歳ってまだ成長途中なはずなのに、子ども一人簡単に抱えられちゃうんだ。
兄さまが鍛えてるから? それともこれが普通なの?
腕に座らせられているけど、別に不安定な感じはしない。
この視界の高さ、ちょうど前世の光里の身長くらいかもしれない。懐かしい。
「妙な気分だ。前世でも子どもに懐かれた記憶なんてない。面倒見は悪いと思うぞ」
「そんなことありません! ちゃんとこんなふうにお相手してくれるじゃないですか」
「それは、おまえは子どもらしくないから……」
「どんな理由でもいいです。ありがとうございます、兄さま」
わたしは目の前の兄さまの髪に指を通しながら、お礼を言う。
別にさわる必要はないんだけど、つい。さわり心地がいいのがいけないんです。
でも、むしろ兄さまは面倒見がいいんじゃないかな。
あのジルと仲良くできているのも、ひとえに兄さまの人格のおかげだと思う。
自分勝手で、なんでも自分のペースに持ち込もうとするジルも、兄さまのことを尊重しているのはわかる。わたしの話は聞かないけどね!
思い出したらムカムカしてきたので、兄さまの栗色に近い金髪を三つ編みにして遊ぶ。
むう、やっぱり短いとうまくできない。
「何をやっているんだ」
「ごめんなさい。兄さまの髪がキラキラしていてきれいだから、つい」
「……そうか」
兄さまは笑って許してくれた。
ぽんぽんとわたしの頭をなでながら、一言。
「エステルのミルクティーみたいな髪もきれいだと思うぞ」
……それは、反則です。