たまに、勉強会の終わったあと、ジルは我が家で夕食を共にすることがある。
というのも、母さまが「どうかしら?」と誘うからだ。
父さまも母さまもジルのことを気に入っているみたいだし、わたしがそれに否やを唱えるわけにもいかない。
別に、遊びに来た人がそのまま夕食も一緒に、っていうのはジルだけにかぎったことじゃないし。
問題にしたいのはそこじゃない。
夕食までの時間をつぶすのに、ジルがわたしを誘うのが問題なんです。
兄さまと一緒に過ごすこともあるし、たまに父さまと盤上遊戯をしていることもある。
わたしを誘いに来るのは頻度としては二回に一回ってとこだろう。
正直に言えば、ガーデンパーティーのときのように人目を気にしなくていいというのは楽だ。
でも、だからこそ気にしなくちゃいけないことというのもある。
たとえば、異性と密室で二人っきりになるのはあまりよろしくない、ということだとか。
まだ成人してもいないのに何を、と思われるかもしれないけれど、逆に言えばあと一年もしないで結婚できてしまう年齢なんだ。
わたしはジルの想いを知っているし、ジルもそれを隠そうとしない。
だからわたしは、ジルの前で気を抜くことだけはしちゃいけない。
まだ、答えは見つけられていないから。
そういった理由から、ジルに誘われたときはだいたいの場合、庭を見に行く。
兄さまと三人でお話するときもあれば、父さまに指南を受けながら盤上遊戯に興じることもあるけれど。
正直、家族の前でジルと一緒に過ごすっていうのは、少し落ち着かない。
どんな場所でも、誰の前でも、ジルがわたしを見る目は、好意を伝えてきているから。
父さまにも母さまにも知られていると思うんだけども、誰も何も言わない。
だから余計に、わたしは一人で気をもんじゃうわけなのです。
その点、人の目はないけど開放感のある庭はいい。いや、見ようと思えば見れる場所ではあるけどね。
「今の見頃は何?」
夕明りに照らされた庭を歩きながら、ジルが尋ねてくる。
わたしがどこに向かっているのか気になるんだろう。
春が近づいてきているとはいえ、まだまだ寒い。寒がりなジルはつらいんだろうけど、文句一つ言わない。
もっとも、文句を言おうもんなら話し相手になんてならないけどね。
「スイセンでしょうか。あとは、ナノハナが咲き始めましたね。イーツ家の庭には咲いていませんか?」
「ナノハナはなかった気がするな。あんまりきちんとは見ていないけど」
「もったいない。イーツ家の庭も素敵なのに」
花とお菓子の国と言われるプリルアラート。ガーデンパーティーが盛んに開かれるだけあって、庭というのは家の顔だ。
家によって個性が出るし、ちゃんと整えていないとすぐにわかる。
ラニアは田舎な分、庭がだだっ広い。バランスを考えながらも隅々まで気を配るっていうのは、簡単にできることじゃない。
我が家の庭はけっこう自慢です。いつの時期でも花が咲いていて、見ていて飽きることがない。
イーツ家の庭もすごくわたし好みなので、興味が薄いジルにもったいないなぁと思う。
アンジリーナさん、きっとがんばってるのに。息子なんだからちゃんと見てあげようよ。
「それならその庭をエステルにあげようか。好きなようにしていいよ」
微笑みと共に告げられた言葉に、わたしは思わず足を止めてしまった。
庭を整えるのは、家長の妻の役目だ。もちろん指示出しをするという意味であって、本人が直接庭仕事をするってことではない。
ああ、でも母さまはたまにやっているなぁ。水やりとかくらいだけど。
なんて、思わず現実逃避をしたくなるくらいに、ジルの問題発言にどう反応していいかわからなかった。
自分の継ぐ家の庭をあげるだなんて、遠回しなプロポーズだ。
遠回しでもなんでもないプロポーズをすでに何度もされているわけだけど、それは置いといて。
……冗談、ではないんだろう。冗談だったらまだ反応のしようもあったのに。
「ごめん、困らせたかな」
「……わかっているなら、そういうことを言わないでください」
苦笑するジルから顔を背けて、少し先に見えていたナノハナの咲いているところまで歩いていく。
半歩後ろをついてくるジルの気配に、緊張してしまう自分がいる。
花の前で立ち止まって、一つため息をつく。
きれいは花を見ても、心は安らがない。
ジルといるといつもそう。感情を波立たせられてしまう。
「ちゃんと待つつもりでいるんだけどね。たまに、焦ってしまう自分がいる」
低く、沈んだ声。
いつもの彼らしくなくて、わたしは表情を確かめるために後ろを振り向いた。
口元は笑っているのに、瞳は切なげに揺れている。
夕日を浴びて赤く染まっているのに、その顔はどこか青白く見えた。
「エステルの傍に、エステルの隣に、僕の居場所が欲しいんだ」
しぼり出すような声。わたしだけを映した瞳。
どう言葉を返せばいいのか、わたしにはわからなかった。
ただ、ジルの深い想いが伝わってきて。
胸にずんと、重く響いた。
「時々、考えてしまうんだ。僕はここにいていい存在なんだろうか、とね」
「いてはいけない人なんて、いません」
そう言いながらも、ジルがどうしてそんなことを考えるのか、わかってしまった。
彼が狭間の番人だったからだ。
どの世界にも属さない存在。世界と世界の狭間で、ただ在るだけの存在。
ジルとしてこの世界で生まれ育っても、狭間の番人としての自分を消すことができないんだろう。
エステルの中に、たしかに光里が存在しているように。
狭間の番人としての記憶の残っているジルが、どれほどの孤独を抱えているのか。わたしにはきっと一生をかけてもわからないことだ。
「行かないで、とエステルが一言言ってくれれば、それだけで僕がここにいていい理由になるよ」
真剣な顔で、ジルはそんなことを言う。
ジルから向けられる想いが、わたしにかたむけられた心が、重い。
「わたしを、理由にしようとしないでください」
「それは無理だよ。僕の感情は、ほとんどエステルが理由で動かされるんだから」
「……厄介です」
「うん、そうだね」
ため息をつくわたしに、ジルは自覚しているとばかりにうなずいた。
わたしはまだ、ジルの想いに応えられない。いつか応えることができるのかもわからない。
それを、ジルもきちんとわかっている。
それでもなお、ジルは心から望んでしまっているんだろう。
行かないで、と。ここにいてほしい、と。
わたしに望まれることを、望んでいる。
でも、その言葉は。
わたしの傍にと、ジルを望む言葉だ。
それは、言ってはいけない。
まだ答えを見つけていないわたしには、言う資格はない。
「わたしは、この世界に、父さまと母さまの子どもとして生まれ落ちたことに、感謝しています。争いのない国、のどかな領地、あたたかな家族。わたしはとても恵まれています。過不足のない日常が、とても愛おしい」
だからわたしは、違う言葉を贈ることにした。
急に語り出したわたしに、ジルはきょとんとした顔をする。
彼の手を両手で包み込むように取り、わたしはさらに言葉を重ねる。
「腹の立つことに、ジルの存在も、わたしの日常に含まれてしまってるんです。……わたしの日常を、壊そうとしないでください」
今のわたしに贈ることのできる、精いっぱいの言葉。
ここにいてもいいのだという、許容。
ジルの存在がなかったら、よくも悪くもわたしの日常は変わってしまうだろう。
それを寂しい、と思う自分も、たしかにいるから。
ジルにはここにいてもらわないと困るんだ。
「エステル……」
両手で持っていたジルの手が、ぎゅっとわたしの手を握る。
少し痛いくらいの力が込められても、わたしは何も言わずにジルと目を合わせる。
彼は何かを耐えているように見えた。それがなんなのかまでは、わたしにはわからないけれど。
少しでも、わたしの言葉が届いたならいいと思った。
「ねえ、エステル」
表情をゆるめたジルが、わたしの名前を呼ぶ。
呼ばないで、と言わなくなった時点で、とっくに彼のことを許容してしまっていたんだな、と今さらながらに思う。
「離したくないって言ったら、怒る?」
「怒ります!」
思わず見惚れてしまいそうなほどきれいな笑みを浮かべる彼に、わたしは怒鳴って手を振り払った。
いつもの調子に戻ったことは喜ばしいけど、だからって許容できないこともある。
もう、これからは落ち込んでいようがなんだろうが、無視しよう。
もしまた同じようなことがあれば、きっとそのときも何かしら言葉をかけてしまう自覚も、あったのだけれど。
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『ふたりへのお題ったー』
ジルベルトへのお題:きっといっしょうをかけても分からないこと/「いかないで。」/離したくないって言ったら、怒る?