あなたを信じて

 春風が気持ちよく庭を駆ける。
 草木をさざめかせ、ティーカップの中の水面をわずかに揺らし、人々の声をも運んでくる。
 髪をくずさない程度のわずかな風を見るように、わたしは視線をめぐらせていた。
 よし、今のところはこっちを気にしている人はいないようだ。
 ジルとの噂のことを知ってから、わたしは前以上に人の視線を気をつけるようにしている。 
 もっとも、噂の相手であるジルが気にしてくれない以上、あまり意味のないことかもしれなかったけど。

 そのジルは、今日もわたしと同じ席についている。
 テーブルの上に飾られた紫色の花を、彼はぼんやりと眺めていた。
 長くてきれいな指が、その花びらに伸ばされる。
 優しく、慈しむように触れるジルに、わたしは少し驚いた。

「ジルはアネモネが好きなんですか?」

 わたしの問いかけに、ジルは花から視線を上げる。
 そういえば、めずらしくこっちを見ていなかったんだな、と目があってから気づく。
 ……別に見られたかったわけでもないけれど。

「どちらかと言えば好きかな。きれいな花だよね」
「そうですね、わたしもアネモネは嫌いじゃないです」

 紫もきれいだけど、わたしは赤いアネモネが好きだ。
 大人っぽくて、でも少しのかわいらしさも持っているから。
 花言葉が情熱的でいいというのもある。

「それに、これは僕の好きな色だ」

 目の前の花に目を落として、ジルは微笑む。
 紫色のアネモネ。
 その色を好きだという理由は、ひょっとしなくても、そういうことなんだろうか。
 わたしの瞳の色だから?
 星の輝く夜の始まりの色だと、ジルが称した色だから?

「……そうですか」

 そんなことを面と向かって聞けるわけもなく。
 結局、たいして意味もないような言葉を返して、紅茶に口をつけることでその場をにごした。

「花言葉も、僕にピッタリだと思ってね」

 そう言って、くすっとジルは笑みをこぼす。
 風がジルの髪をさらって、キラキラと光を反射する。

「知っているんですか?」
「うん。教養の一つだしね」

 たしかに、花とお菓子の国と呼ばれるプリルアラートでは、植物に関しての知識はけっこう重要視される。
 あまり生活に必要な知識とは言えないから、そういうところは貴族らしいかもしれない。
 といっても一般人でも知っている人は多かったりするけれど。
 紫のアネモネの花言葉はなんだったかな、とわたしは思考をめぐらせる。
 答えはすぐ出て、わたしは思わず眉をひそめてしまった。

 アネモネの花言葉は、『恋の苦しみ』や『可能性』など、いくつもある。
 赤は『君を愛す』、白は『真実』など、花の色によっても違う花言葉があったりする。
 そして、紫色のアネモネの花言葉は……『あなたを信じて待つ』。
 ジルが待っているのは、たぶん、わたし。
 わたしが答えを出す日を、わたしがジルの想いに応える日を、待っている。
 きっと、そう言いたいんだろう。

 わたしには、ジルの気持ちはわからない。
 前世では、気になっていた人から告白されて、そこから恋が始まった。
 現世では、実るはずのない恋をした。
 わたしは相手に振り向いてほしい片思いをしたことがない。
 ジルの苦しみは、わたしには想像することしかできない。
 本当の意味で理解することは、きっとできない。

「安心して。急かすつもりはないよ」

 わたしがジルの思いを読み取ったことに気づいたんだろう。ジルはそう微笑みかけてきた。
 ジルにそのつもりがなくたって、勝手にわたしは焦ってしまう。
 早く答えを出してジルを開放したいような、もう少しこのままでいたいような。
 出ない答えに苛立ちが募りながらも、まだ猶予はあるからと安心してしまっている自分もいる。
 矛盾している自分の心に気づいて、わたしは何も言えなくなってしまう。
 沈黙がそれほど重く感じないのは、ジルのまなざしが優しいからか、風の音が優しいからか。

 ジルに対して、ドキドキはする。でもそれは、自分を好いてくれている人と一緒にいるから、というだけかもしれない。
 前世での恋や、兄さまに恋をしていたときのドキドキには、まだ足りない気がする。
 何が足りないのか、それが足りれば恋になるのか、わたしにはわからない。
 わかるのは、今はまだ待っていてもらうしかない、ということだけ。


 恋に苦しみながらも、わたしを信じて待つという、花からのメッセージを受け取って。
 いつか出さなきゃいけない答えに、わたしは今日も頭を悩ませる。






診断メーカー『CP向け花言葉ったー』
ジルベルトとエステルにぴったりの花はアネモネ/紫(恋の苦しみ・あなたを信じて待つ)です。

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