君の背中の羽根について

 ふわり、ふわり。
 白い羽根が揺らめく。
 太陽の光を浴びて、輝くその羽根は、強烈に俺の目に焼きつく。
 天使みたいだ。
 何度目になるかわからない感想を、感動を、誰にも気づかれないようそっと心の中に隠した。



「俺、頭イカれたかも」
「和真はわりと元からおかしいけどね」

 ぽつりと俺がつぶやくと、返ってきたのはそんなすげない言葉。
 なんだよ、友だち甲斐のない奴だな。わざわざA組まで遊びに来てやってるのに。まあ隣だけど。
 高校で一番仲がいい誠一は、穏やかで頭も良くて、いい奴なんだけど、俺に対しては若干冷たいというか、扱いが雑なところがある。
 俺の突飛な発言にも即座に反応できるあたりは、さすが、入学初日に意気投合しただけはあると言えるかもしれない。
 まだ友だちになって半年とは思えないくらいに俺のペースをつかんでる。

「で? いきなりどうしたの」

 仕切り直しとばかりに、誠一は問い返してきた。
 話を聞いてくれるつもりはあるらしい。

「いやさぁ……羽根が、見えるんだよな」
「羽根?」
「うん、羽根」
「それだけ言われてもわからないんだけど」

 眉をひそめる誠一に、さもありなんと俺はうなずく。
 だよなぁ。俺にもわけわからん。
 いや俺の説明が足りないのもあるけどな。

「ある人の背中に、羽根が見えるんだよ」
「あー……白鳥さん?」

 ぼかした部分を見事に言い当てられて、俺は危うくイスから転がり落ちるとこだった。
 ガタガタガタッとイスが音を立てて、昼休みに教室に残ってた奴らが一斉にこっちを向く。
 その中に、彼女もいた。
 その背に純白の羽根を背負った、可憐な――いやいやいや。
 俺はあわてて彼女から視線を引き剥がす。

「な、なんでわかったんだ!?」

 小声で誠一を問いつめると、呆れたような視線を返された。なんだよその顔は。

「君が最近頻繁にこの教室に来るようになって、不自然なくらいにちらちら様子をうかがってるのが白鳥さんだから」
「お、俺が来てるのは、お前がいるからだろ」
「前はこんなに来てなかったよね?」
「そんなことは……ある、かもしれないけど……」

 最近はほぼ毎日、昼休みにA組に来てる。
 たいていは購買でパンを買って、弁当を持ってきてる誠一と一緒に食べて。
 たまに学食で食べるときも、何かしら理由をつけてA組に顔を出した。
 それまでは学食と購買が半々くらいだったし、こんなにしょっちゅうA組に来ることはなかった。
 言われなくてもそんなことはわかってる。
 ただ、その理由が彼女だって認めるのは、恥ずかしすぎる。

「橋渡ししてあげようか?」
「へ!?」

 俺は目を丸くする。
 橋渡しってなんだ、橋渡しって! 誰がいつそんな話をした!?

「白鳥さんのことがそんなに気になるんなら」

 にっこり、誠一は楽しそうに笑っている。
 これはもしや、おもしろがってるのか?

「い、いや、俺が気になってるのは、羽根が見えるからで……」
「本当にそれだけ? 僕を口実に使ってまで見に来てるのに」
「ち、ちが……っ!」

 否定したいのに、うまく言葉にならない。
 というか、否定できるのか? 最近A組にちょくちょく来てるのはまぎれもない事実だ。
 それは本当に誠一と昼飯を食べるためだけか? 違うのは、俺が一番よくわかってる。
 口実、なんて言い方は悪いけど、誠一の言うとおりだ。

「顔真っ赤。説得力ないなぁ」
「からかうなよ!」

 くすくす笑う誠一に、俺はそう言うことしかできなかった。
 もう、認めるしかない。俺は白鳥さんのことが気になってるんだ。
 その理由は、背中の羽根だけだと思ってたけど。それだけじゃないかもしれない。

「何もするなって言うなら、放っておくけど。白鳥さんとは知らない仲じゃないからね。友だち思いの僕としては、よければ力になりたいなって思って」

 笑顔なのは相変わらず。
 でも、からかってるわけじゃないってわかる、真摯な声音だった。
 誠一はちゃんと俺のことを考えてくれているんだろう。
 なんだかんだでこいつは優しくて、友だち甲斐がある奴だって俺は知ってる。

 そういえば誠一が毎日食べてる弁当は、カノジョさんが作ったもので。
 誠一のカノジョは、白鳥さんと仲がよかったはずだ、ということを思い出した。
 そういうつながりがあれば、たしかに俺を紹介するくらい難しくないだろう。

 けど、う〜ん……。
 そもそも俺はまだ、この気持ちに名前すらつけていないんだ。

「俺、白鳥さんのこと、好きなのかな……」
「僕に聞かれてもなぁ」

 誠一以外には聞こえない声でこぼすと、誠一は苦笑を返してきた。
 そうだよな、これは俺の問題だもんな。
 人に聞いてどうにかなることじゃないって、わかってるけど。

 ちらり、と白鳥さんを盗み見る。
 彼女は誠一のカノジョ含む友だち数人と談笑しながら弁当を食べていた。
 いつも持ってきてるけど、手作り、かな。
 俺はそんなことすら知らない。

「……ちょっと、考えさせて」

 悶々と悩んでから、とりあえずそう答えを出した。ザ・先送り。
 今、白鳥さんに紹介されても、気の利いたこと一つ言えそうにない。
 だって俺と白鳥さんは顔見知りとしか言えない間柄で。白鳥さんは俺の名前を知ってるかどうかすら怪しいレベルだ。
 ああ、でも。
 文化祭のときは、ちょっとだったけど二人っきりで話せて、楽しかったなぁ。


  * * * *


 自習時間、俺は外の空気を吸いに屋上に来ていた。
 配られたプリントはもう終わらせたし、監視の目がないのをいいことにクラスの連中もけっこう好きにしてる。次が昼休みだからって早めに学食に行った奴もいた。
 ガチガチの進学校でもないし、こんなもんだよな。
 誠一に話を聞いてもらってからも、相変わらず俺はA組に遊びに行って、誠一と昼を食べながら白鳥さんを盗み見ていた。
 白い羽根は今も健在で、白鳥さんの呼吸に合わせるようにゆらゆら揺れている。

 あの羽根は、いったいなんなんだろう。
 どうして見えるようになったんだろう。

 実は、白い羽根に関しては、心当たりがないわけじゃない。
 いやもちろん、理由はわからないけども。
 なぜ、白い羽根なのか、は。

 だいたい一ヶ月前、十月の頭にあった文化祭を思い出す。
 あの日も、白鳥さんは白い羽根を背負っていた。
 ただし、今見えているのとは違う、見るからに手作りだとわかる羽根を。
 文化祭で、A組はハロウィン喫茶というものを企画した。
 ようは普通の喫茶店じゃおもしろくないから、みんな仮装しちゃおうってだけのことだ。
 お客さんにも、店内にいる間だけだけど仮装の貸し出しをしてたりして、記念撮影もオッケーだったからかかなり盛り上がっていた記憶がある。

 B組はお化け屋敷で、交代制のお化け役が終わったあとは何もすることがなかった。
 だから、誠一のクラスに冷やかし半分で顔を出した。
 あのときは海軍だかの仮装をした誠一に丸め込まれて、海賊の仮装させられたんだよな。
 似合うって言われたけど、一般的に悪者扱いの海賊姿を褒められたって複雑すぎる。
 趣味の悪いド派手な羽根飾りのついた、でっかい帽子を取って席について。
 注文を聞きに来たのが、白鳥さんだった。
 白いふわふわしたワンピースを着て、白いパンプスを履いて、色素の薄い髪も白いリボンで編み込まれていた。トドメに、背中の羽根。なんの仮装かは聞かなくても一発でわかった。

『天使の仮装、すごく似合ってるよ。羽根が本物みたいに見える』

 もちろんそれは、手作りの羽根の出来がよかったっていう意味じゃない。
 段ボールにフェルトを貼って作ったんだろう平べったい羽根は、デフォルメされていてかわいいけど、どう見ても本物の羽根には見えない。
 ただ、そんな羽根が本物みたいに見えるくらい、白鳥さんが天使らしかったってことだ。
 場をもたせるための感想ではあったけど、その言葉は心からのものだった。
 ちょっと見惚れちゃうくらい、本当に似合っていた。

『……ありがとう』

 今日さんざん言われた褒め言葉だろうに、白鳥さんは見てわかるくらいに頬を染めて恥じらって、笑顔でお礼を言ってくれた。
 かわいいなぁ、って思った。
 今まであんまり意識したことなかったけど、男女共に人気がある理由がわかった。
 かわいい、だけじゃない。
 白鳥さんは、素直にありがとうって言える子なんだ。
 喜びとか、そういう感情を、素直に表に出せる子なんだ。
 ほんの数分話しただけだったけど、いい子なんだなってすごく伝わってきた。
 来てよかったって思うくらい、楽しかった。

 そして、その日を境にして、俺には彼女の背中に羽根が見えるようになった。
 段ボールとフェルト製のじゃなくて、本物の。
 まるで……天使みたいな。

 もしかしたら、と思う。
 もしかしたら、彼女は本当に天使なんじゃないかって。
 いや、もしかしたらも何もない。普通に考えて幻覚だ。マンガやアニメの見すぎだ。
 人間の背中には羽根なんてない。そんなの常識以前の問題だ。
 でも、あまりに、そこにあるのが当然みたいに、見えるから。そしてそれが本当によく似合っているから。
 もしかしたら、彼女には最初から羽根が生えていたんじゃないかって。
 それがどんな偶然か、見えるようになっただけなんじゃないのかって。
 そんな馬鹿げたことを考えてしまうくらい、俺の頭はイカれてしまっている。


「あれ……?」

 ギギギ、とドアを開く音と一緒に人の声がして、俺は振り返る。

――え。

「ししししししし、白鳥さんっ!?」

 盛大にどもってしまった。いや、だって、それくらい動揺した。
 まさか、今までずっと考えてた人が現れるなんて、夢にも思わないじゃないか。
 噂をすれば影、なんてことわざがあるけど、声に出してないし。いや問題はそこじゃなくて。
 ……駄目だ、めっちゃ混乱してる。

「青井くん、なんでここに?」

 白鳥さんはきょとんと目を丸くして、まっすぐ俺を見ていた。
 俺の名前、知っててくれたんだ。
 っていや、だから問題はそこじゃないよな!?

「え、あ、自習でさ。ってもしかしてもう昼休み?」
「うん、ついさっき授業終わったよ」
「そ、そっか……」

 何を話したらいいのかわからず、それきり、気まずい空気が流れる。
 白鳥さんは相変わらずにこにこしているから、それを感じているのは俺だけなんだろうけど。
 友だちの恋人の友だちなんて、赤の他人って言ってもいい。
 部活も委員会も違って、一年のときのクラスだって違ったから、俺と白鳥さんに同学年ってこと以外つながりはない。
 屋上に二人っきりだからって、別に話しかけなくたって角は立たなかった。
 無視できなかったのは、白鳥さんの優しさだろうな。

「白鳥さんは、どうしてここに? いつも教室で弁当食べてるよな」
「あ、うん。よく知ってるね」

 やっべぇ、めちゃくちゃ失言した。
 俺は内心ダラダラと冷や汗を流す。

「その、A組に遊びに行くとよく見かけたからさ!」
「青井くん、コンくんと仲良しさんだもんねぇ」

 笑みを崩さない白鳥さんは、どうやら特に不審に思ってはいないらしい。よかった。
 しかも、誠一のオマケとはいえ、ちゃんと個別認識されてたなんてうれしすぎる。
 紺野だからコンくんとか、そのあだ名のつけ方もなんだかかわいい。
 だが、テメェ誠一、あだ名で呼ばれやがって! うらやましいんだよこんちくしょう!

「今日は、オトちゃんに、屋上行くといいことあるよって言われて来てみたの」
「へ、へえ……」

 オトちゃんって、たぶん誠一のカノジョの黒崎音子のことだよな。
 紹介されたときに、女なのにオトコ、なんちゅーオヤジギャグを口走りそうになったから覚えてる。
 いいこと、ねぇ。もしかしなくてもそれって、俺が屋上にいるから、だったんじゃ……。
 誠一に、気分転換に屋上行くから先にメシ食ってていいってRINEしといたんだよな。
 ヤロウ、いらん気を回しやがったな!

「でも、本当にいいことあったね。青井くんに会えたし、空がきれいで気持ちいいし」

 俺は悲鳴を飲み込んだ。
 ちょ、ちょちょちょちょちょっと待った、待ったーー!!
 一つ目のは何!? 俺に会えたのがいいことってどういうこと!?
 そんなこと言われたら俺じゃなくたって勘違いする。俺みたいな調子いい奴はもちろん勘違いする。
 実は白鳥さんは俺のこと……なんて図に乗る。
 しかもそれが、最近気になってる子からだったりしたら、もう。頭の中がお花畑だ。
 危険、危険だ白鳥さん!

「今日は天気がいいし、あったかいから、風が気持ちいいねぇ」

 衣替えの移行期間も終わって、もうみんな冬服を着ている。
 今日は秋にしては気温が高かったから、暑いって文句言ってた奴もいたなぁ。
 白鳥さんは空を見上げて、んーって大きく伸びをした。
 白い羽根が、バサッと広がる。
 羽根の一枚一枚が光を帯びて、キラキラしている。
 きれい、なんて言葉じゃ言い表せない。神々しさすら感じた。

「青井くん……?」

 気づいたら、俺は、白鳥さんの手をつかんでいた。

「ご、ごめん! なんか、そのまま飛んでっちゃいそうに見えて……!」

 わー! 何言ってんだよ俺! こんなの完全に変人発言だ!
 同級生が飛んできそうなんて思わないだろ普通!
 背中に羽根が見えてるから。羽根が広がって、風を切るみたいにはためいていたから。
 白鳥さんは本当に飛べるんじゃないかって、飛んでっちゃうんじゃないかって、そう思ったけど。
 それをそのまま口に出すなんて、どうかしてる!
 言い訳も思いつかない俺を、白鳥さんは目を真ん丸にさせて凝視してきた。
 絶対、今度こそ絶対に不審がられてる。サイアクだ。

「……もしかして」

 小さな声が、かわいらしい唇からこぼれた。
 何を言われるだろうか、と俺の身体は緊張でガチガチにこわばった。

「見える、の……?」
「な、何が?」

 それだけじゃ何がなんだかわからない。
 俺の頭が回っていないから、というだけではないと思う。
 俺が問い返すと、白鳥さんはちょっと涙目になった。あ、かわいい。

「その……わたしの、羽根……」

 彼女の口から告げられた言葉に、今度は俺が目を丸くする番だった。
 私の、羽根。
 俺が勝手に見ているだけだと思っていたものは、実在していた……?
 あのとき、本物を見てほしいって、そう思っちゃったから。とかなんとか白鳥さんはもごもごつぶやいている。
 思ってることがそのまま口に出ちゃってるんだろうか。白鳥さんは素直というよりも、ちょっと天然が入ってるのかもしれない。

「本物、なのか?」

 それは問いかけだったけれど、確認でもあって。
 同時に、白鳥さんの問いへの答えでもあった。
 白鳥さんは俺の言葉に、顔を真っ赤に染め上げて。
 それから、こくん、とうなずいた。



 どうやら俺の気になる女の子は、まるでじゃなく、本物の天使だったようで。
 重大な秘密を知ってしまったのに、これで近づく口実になるかなぁなんて現金なことを考えてしまう俺は、やっぱりだいぶイカれているらしい。



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