7.わたしの主は、愛しい契約者

「ハルウさま、赤バラがきれいに咲いています。
 一緒に庭に行きましょう」

 ペンダントを贈られた日以来、どこか暗い空気をまとっていたハルウを、ミンメイは庭に誘った。
 心は、静やかに凪いでいた。
 自分はただ、言いたいことを言えばいい。
 本当は、もうずっと前から、ハルウに伝えたいことがあった。
 覚悟はすでに、決まっている。

「ねえ、ハルウさま。気づいたことがあるんです。
 わたし、赤バラが一番好きみたいです」

 庭に出て、赤バラの目の前で、ミンメイはハルウにそう告げた。
 ハルウは困ったような顔をする。いきなりなんの話をしだしたのか、不思議に思っているんだろう。
 ミンメイはそんな彼に、にっこりと笑いかけた。

「青いバラも白いバラも、バラ以外のお花も好きですけど。
 赤いバラが一番好きなんです。
 魔界に来てから、一番好きになりました」

 きれいだとか、めずらしいだとか、おもしろいだとか。
 そう思うことはあるけれど、好きな花はただ一つ。

「……どうして?」

 ハルウは軽く首をかしげて、じっとミンメイを見てくる。
 答えを求めているのは、予想してくれているからだろうか。それならいいと思った。

「わかりませんか?」

 ミンメイは手を伸ばす。
 ハルウの頬を包み込むように触れ、目尻をすっと親指でなぞった。
 くすぐったそうに、ハルウが赤バラのような色の瞳を細める。
 ミンメイの気持ちは、ハルウに伝わっただろうか。
 赤らむ頬は、触れているからなのか、ミンメイの言葉の意味に気づいたからなのか。
 そのどちらでもあるのなら、うれしいけれど。

「ハルウさま、契約を結びましょう」

 ミンメイの言葉に、ハルウは目をまたたかせた。
 ハルウがミンメイを欲してくれているのなら。
 ハルウのミンメイへの想いが、一時だけのものでないのなら。
 必要なのは約束ではなく、契約。
 そう、ミンメイは思ったのだ。

「ずっと、わたしをハルウさまのお傍にいさせてください。
 そうすれば、わたしの身も心も、この身に流れる血も、すべてハルウさまのものです」

 頬から手を離して、ハルウの手を両手で握る。
 全身をめぐる血の流れを、ハルウに伝えるように。
 元から、ミンメイのすべては、ハルウのものだ。
 魔界に来てしまって、この城で働かせてもらうことになって、ミンメイは勝手にそう決めていた。
 それはハルウのあずかり知らないこと。
 なら、それをはっきりと契約という形にしてしまえばいい。
 ハルウが、気に病まないように。
 ミンメイが、ずっとハルウの傍にいられるように。

「そんな契約、貴女にはなんの得もないじゃないか」
「どうしてそう思うんですか?
 わたしは、ハルウさまとずっと一緒にいられたら、この上なくしあわせです」
「ミンメイ……」

 ハルウは泣きそうな顔をしている。
 どう見ても、うれしそうには見えなかった。
 また、一人でうじうじと悩んでいるのかもしれない。
 ハルウは悲観的で、自分の中だけで完結させてしまうから。

「駄目だ、ミンメイ。
 俺は貴女を傷つけることしかできない。
 俺に、貴女をしあわせにすることなど……できない」

 ゆるゆると、弱く首を横に振る。
 落とされた視線は、ミンメイに向けられることはない。
 まったく、この人は仕方のない人だ。
 ミンメイの言葉を、欠片も理解してくれていない。

「違いますよ、ハルウさま。
 しあわせにしてもらうんじゃないんです。
 あなたと一緒にいることで、わたしはしあわせになれるんです」

 握っていた手を、自分の胸に持っていく。
 伝わるだろうか、この鼓動が。
 ハルウを愛おしく思っている、ミンメイの心が。

「俺に、優しくしないでくれ。
 このままでは、俺はミンメイからすべて奪い尽くしてしまう」
「奪ってもいいんですよ。
 奪った分、与えてくださるんでしたら」

 ハルウに奪われることすら、ミンメイにとっては喜びだ。
 奪ってしまうことを気にしているのなら、その分与えてくれればいい。
 ハルウからの愛を与えられたなら、ミンメイはもう、怖いものなんて何もない。

 そうだ、自分はハルウの愛が欲しいのだ。
 やっとそのことに気づいた。
 優しい関係を壊したくないと、そう思っていたけれど。
 優しいだけの関係では、もう足りなくなっていた。
 ミンメイは、ハルウに奪われたい。
 奪われて、与えられたい。

「手を伸ばすことを怖がらないでください。
 わたしはハルウさまのお傍にいます。傍に、いさせてほしいんです。
 それが、わたしの一番の願いなんです」

 ハルウの手を握る手に、力を込めた。
 どうか、伝わってほしい。
 ミンメイの想いを、すべて余すことなく、ハルウに届けてほしい。
 他の誰でもない、ハルウの傍にいたいのだと。
 この先の未来も、ずっと、ハルウの傍にありたいのだと。

「お願いします、ハルウさま。
 この先もずっと、わたしをお傍においてください」

 真紅の瞳を覗き込みながら、ミンメイは頼み込んだ。
 瞳の奥で、感情が揺れ動いているのが見えた。
 後押しするように、ミンメイはハルウに微笑みかけた。

「……望んでも、いいのか?」

 ぽつり、と彼は小さく小さくつぶやいた。
 それはともすれば風にかき消されてしまいそうなかすかな声だった。
 けれど、きちんとミンメイの耳へと届いた。

「貴女と共にありたいと願っても……許されるのか?」

 迷い子のように、不安そうな表情でハルウは問う。
 大丈夫だと、わたしがいるからと、抱きしめてあげたくなった。

「はい。わたしも同じ気持ちですから」

 はっきりと、ミンメイはうなずいた。
 今、ミンメイはこの上なくしあわせそうな笑顔を浮かべているだろう。
 触れたら消えてしまうとでも思っているように、そっと、ハルウはミンメイに触れた。
 初めは、輪郭を確かめるように、頬からあごへ指をすべらせて。
 肩にかかる程度の髪を梳いて、肩から背中をなで。
 錯覚かと思えるほどの小さな力によって、ミンメイはハルウに抱き寄せられる。
 ハルウはミンメイの肩口で、ふう、とため息をついた。
 ミンメイが拒絶しなかったことを、安堵しているかのような吐息だった。

「……好き、なんだ。愛しているんだ。
 貴女でなければ、駄目なんだ、ミンメイ……っ」

 少しずつ、少しずつ、ハルウの腕に力がこもっていく。
 ミンメイもハルウの背中に腕を回して、抱きしめ返した。
 鼓動が重なり、ぬくもりが溶け合うような感覚に、全身でしあわせを感じた。
 求めてもらえることが、こんなにもうれしい。

「わたしも、ハルウさまのことが大好きです」

 愛してる、と言葉にするのは気恥ずかしくて。
 ミンメイの精いっぱいの気持ちを、音にして伝えた。

「ずっと、この生を終えるその時まで、傍にいてくれ」

 しぼり出すような声は、涙が混じっている。
 ミンメイの二倍は生きているはずなのに、どこか子どものように純粋な人。
 放っておけなくて、誰よりも大切にしたい人。
 わたしの、ただ一人の主。
 そして、わたしの愛しい人。

「喜んで」

 万感の思いを込めて、答えを返した。
 夜よりも暗く、安心する色の髪を、優しくなでる。
 聞こえた嗚咽は、知らないふりをしてあげた。

――ほら、わたしは今、世界で一番しあわせだ。



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