心優しい聖女と生真面目な騎士団長(4)

 それから三年後。
 私が十八歳、キーシが三十歳になった年に、異界から魔王がやってきて、大陸中に魔物が現れた。
 魔物は野生の動物と同じで、進んで人間を襲うわけではなかった。
 けれど、刺激すれば凶暴化することも、動物と変わらない。
 魔物を恐れるあまりにいたずらに刺激してしまい、怪我を負う人間はあとを絶たなかった。
 魔物を見かけたら、大きな音を立てずに速やかにその場を去ること。私は聖女として神殿を動かし、対処法の周知を徹底させた。
 魔物の被害を少しでも抑えられるよう、できるだけのことをしながら、勇者の訪れを待った。

 魔王が現れたことを最初に察知したのは、当然ながら聖剣だった。
 聖剣は、魔王がどこに姿を現したのか、そして、此度の勇者の名と出身地を告げた。
 すべての王家の血を引く者に聞こえるような大声で。
 聖剣と一番つながりの深い私は、しばらく頭痛に悩まされたものだ。
 すぐさま父王は使者を出し、勇者を迎えに行かせた。
 今ごろは、勇者のいる町へとたどり着いているだろう。



《よーやく俺様の出番だな!》

 神殿の祈りの間で祈りを捧げているとき、聖剣の声が頭に響いた。
 王宮からの使者が勇者の説得に成功したのだろうか。
 聖剣は、遠く離れた町の会話だって聞くことができる。聖剣のおかげで、使者が今どのあたりにいるのかを私たちは知ることができた。
 聖剣がやる気を出したということは、何かしら進展があったに違いない。

――がんばりましょうね。
《俺様はがんばんなくたって浄化くらいお茶の子さいさいなんだぜ。お前はがんばれよー》
――はいはい、がんばらせていただきます、聖剣さま。

 思わずくすくすと笑ってしまって、祈りを中断する羽目になった。
 元から、真剣に祈ろうとしていたわけではなかった。
 毎日決められている祈りの時間は、聖剣が話しかけてこようと答えを返すことはない。
 今はただ、落ち着かない心をどうにか静めるために、祈りの間へとやってきていただけだ。
 

――ねえ、聖剣さま。勇者さまはどんな方?

 この世のすべての声を聞くことができる聖剣には、勇者の声ももちろん届いているんだろう。
 勇者というものは、聖女の選定基準と似ていて、聖剣との同調率の高さで選ぶものらしい。聖剣の好みも、含まれるそうなのだけれど。
 王家は聖剣の保護と管理を受け持っているが、王族に連なる者には聖剣を扱えない。それは、王族の独裁を防ぐための光の神の采配なのだろうと私は考えていた。
 勇者の名を聞いてから今まで、勇者について、聖剣は多くを語ろうとはしなかった。
 この気分屋な聖剣のお眼鏡に適った勇者とは、いったいどのような人間なのか。
 気にならないはずがなかった。

《どんな、ねぇ。きれいな魂の色をしたヤツだよ。お前とおんなじくらいにな。でもって、ツッコミ属性で不憫属性》
――ツッコミ……? 不憫……?
《会えばわかるさ》
――そうね。会って……一緒に旅をすれば、人となりもわかるわよね。

 魔王討伐の旅は、長い旅になるだろう。
 少なくとも、一月や二月で終わるものではない。
 旅の期間は、もちろん私たちの手腕にかかっているけれど、魔物の数や分布にもよる。
 過去の記録では、最大で八年という記録が残っていた。
 どれだけの時を一緒に過ごすことになるか、わからない。
 多くは望まないから、仲良くできそうな人ならいいと思った。

《不安なのか?》

 聖剣の声には、わずかないたわりの念が感じられた。
 六歳のときから十二年間、私は聖剣の一番の話し相手となっていた。
 天下の聖剣と言えども、多少は情を抱いてくれているのかもしれない。

――不安がないと言えば嘘になるけれど、大丈夫。私にはキーシがいるもの。

 私は心からの微笑みを浮かべた。
 不安は、どうしたってなくなるものではない。
 未知への恐怖というものは、いつだって心に根深く巣食っている。
 けれど、私は一人ではない。
 私を守ろうとしてくれる人がいる。
 たとえそれが、私が守るべき王家の人間だから、だったとしても。
 キーシがいれば、自分はなんでもできると、私は本気で思っていた。

《まったく、一途だねぇ。聖女ってもんはこれだから……》

 ぶつくさと聖剣はぼやく。
 聖剣から、歴代の聖女の話を詳しく聞いたことはない。聖剣はいつも、語りたいことを語りたいように言葉にするだけだから。
 しかし、たまに思い出したように、過去の聖女のどうでもいいような日常の話がこぼされることはあった。
 それはどれも、偉大な聖女という外面からはほど遠い、ただの少女やただの女性の話で。
 いつか私の片思いの顛末も、聖剣の口からのちの聖女へと伝わることがあるのかもしれない、と。
 そう思うと、なぜだか少し、勇気をもらうことができた。



「……勇者が決まったと、聞いたのですが」

 いつものように、両親からの手紙を持ってきてくれたキーシは、言いづらそうにしながらもそれだけ口にした。
 勇者が役目を受け入れてくれたことにより、彼の名が正式に発表された。
 旅に同行する者はいまだに決まっていないから、気になっているんだろう。
 地位と能力から言って、騎士団長であるキーシと魔術師長が指名されるのは、ほぼ確実と言ってもいい。
 もっとも、私を含む聖剣の声を聞くことのできる人たちは、魔術師長以上の魔法の腕前を持つ者が勇者と共に現れることを、知っていたけれど。
 どちらの事実も、今はまだキーシに話すわけにはいかない。
 今言えるのは、勇者がどこの誰か、ということだけ。

「ええ。イーナカ町の十五歳の少年、ユースさま」
「若い、ですね」
「そうね。聖剣は若い子が好きなのかしら?」

 私は場を明るくしようと、すっとぼけたことを言う。
 固い表情をしていたキーシは、その冗談に少しだけ笑みをこぼした。

《ちげーよ。好き勝手言ってんじゃねぇ》
――ふふっ、ごめんなさい。

 すかさず聖剣に突っ込まれ、心の中で謝る。
 もちろん、歴代の聖女や勇者の中には、それほど若くない者も幾人もいたのだから、聖剣が若い人間ばかりを選んでいるわけじゃないのはわかっていた。
 キーシの笑みを見ることができたのだから、許してほしい。
 聖剣の機嫌よりも、キーシの気持ちのほうが私には大事だった。

「いよいよ、ね」

 気合いを入れるように、私は声に出した。
 勇者がやってきたら、即座に旅の支度が調えられる。
 実のところ、私の旅支度はすでにほとんど終わっていた。
 神殿での、何不自由ない暮らしとは比べものにならない、過酷な旅が待っているだろう。
 すでに、心は決まっていた。

「セーシエ様は俺がお守りいたします」

 よく通る声で、キーシは宣誓のようにはっきりとそう言った。
 ああ、本当に、壁画の光の神さまのように男らしく、格好よく、キラキラとしている。
 キーシはいつも生真面目で、いつでもまっすぐだ。
 私へと向けられる敬愛の情は、痛いくらいに伝わってくる。
 王女らしく、聖女らしくと努めてきたのだから、キーシの気持ちは純粋にうれしい。
 それだけでは足りない、と思っていることも、事実なのだけれど。

「ありがとう。けれど、私も守られてばかりではいないわ。自分の身は自分で守れるくらいの力はあるつもりよ」
「寂しいことを言ってくださいますね」

 キーシは苦笑を浮かべて、そんなことを言う。
 役目に忠実なキーシにとって、王族は守るべき存在なんだろう。
 わかっていても、守られているだけは嫌だった。
 私も、キーシを守れるくらいに、強くなりたかった。

「ただ守られているだけの私では、キーシにはふさわしくないもの」

 私の言葉に、キーシは再度、表情を固くした。
 今度は、さっきまでとはまた別の意味だと、私はちゃんとわかっていた。
 あの、私が成人した日の告白以来、時折こうしてキーシに気持ちを伝えてきた。
 押しつけがましくならないよう、言葉に気をつけながら。
 それでも、キーシは困ったような、どこか苦しげな表情を見せる。
 まだ、キーシの心は私にはないのだと、そのたびに思い知らされていた。

「私の気持ちは変わっていないわ」
「セーシエ様……」

 キーシはなんとも言いがたい、複雑そうな顔をする。
 飲み下しにくい毒でも口にしているかのような、苦々しげな表情だ。
 そんな顔をしなくてもいいのに、と思うが、キーシにとっては私の想いは迷惑なものでしかないのだろうから、仕方ないのかもしれない。

「大丈夫よ、役目を終えて王女に戻っても、無理強いはしないから。私はあなたに好きになってもらいたいんだもの」

 安心させるように、私はにっこりと笑いかける。
 今はまだ、ただの聖女とただの騎士団長でも。
 これから一緒に魔王討伐の旅に出れば、かけがえのない仲間になることができる。
 仲間に対して、それ以上の情がわくことがないとは言えないはずだ。
 キーシの心が私に向いてくれるように、できることはなんでもしようと思っている。
 わずかな可能性しかないとしても、あきらめられないのだから。

「セーシエ様はすばらしい方です。俺には、もったいないお方です」

 決定打とは言えない。けれど、限りなくそれに近い言葉。
 ギシギシと胸がきしむような感覚がした。
 わかっている。ちゃんとわかっていた。
 キーシにとっては私はまだ子どもで、守るべき幼い王女で。
 恋の対象ではない、ということくらい。
 わかっていても、望みを捨てきれずにいる。
 魔王討伐の旅に、すべてをかけたくなるほどに。

「そんな言葉で片づけられては困るの。私は本気なんだから」

 私は口元に笑みをたたえ、精いっぱいの虚勢を張った。
 キーシなら、その笑みがゆがんでいることくらい、気づいてしまうだろう。
 それでも、負けたくはなかった。
 キーシの気持ちが欲しくて、キーシの心が欲しくて。
 私がキーシを見つめているような目で、私のことを見てほしくて。
 もう、キーシ以外の人とだなんて、私には考えられないから。

「……俺は」

 長い沈黙のあと、キーシはおもむろに口を開いた。
 また拒絶の言葉が吐かれるのだろうか、と私は身構える。

「俺は、セーシエ様を守ることさえできれば、それでいいんです。それだけで……」

 それは、心の底からの言葉なのだろうと感じ取れた。
 私を守れれば、それでいい?
 その言い方ではまるで、世界の平和や、魔物に救いをもたらすことなんて、キーシにとってはどうでもいいことだ、と言っているようにも聞こえる。
 私を守ることこそが、キーシにとって一番重要なことなのだ、と。
 勘ぐりすぎかもしれない。そんな意味で言ったわけではないのかもしれない。
 けれど、いつもの生真面目なキーシらしくない言葉に、私は驚いた。

「……っ、すみません、忘れてください」

 ハッと我に返ったキーシは、早口にそう言った。
 気まずそうに、私から視線をそらす。
 その頬がかすかに赤らんでいるように見えるのは、私の妄想なんだろうか。
 じわりじわりと、心に広がっていくのは、喜びと安堵と、期待。

 私が『心優しい聖女』ではないように。
 キーシも、ただの『生真面目な騎士団長』ではないのかもしれない。
 私が考えていたよりもずっと、キーシは私のことを、大切に思ってくれていて。
 私がそうであるように、キーシの優先順位も、普通とは少し違っているのかもしれない。

 もしかしたら、思っていたよりも望みはあるんじゃないだろうか、と。
 そんな、前向きな展望が、私の胸中に生まれた。



 もうすぐ勇者たちがやってくる。

 そうして、私の運命を変えるかもしれない旅が、始まる。



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