俗世と切り離された聖女でも、年は取る。
十五の年を数えた今日、私は大人になった。
王族である以上、成人するためには面倒な儀式をしなければいけない。
成人の儀のために仕立てられた、裾を引きずる白い衣装を身にまとい、神殿で長々とした聖句を唱えられ、それを復唱し、すべて終えたら民への顔見せをする。
聖女だからと儀式が多少簡略化されたのは、よかったと思うべきだろうか。
「成人、おめでとうございます」
儀式を終えて、気晴らしに神殿の中庭を散歩していたところ、そう声をかけられた。
振り返らなくてもすぐにわかった。
これは、キーシの声。
かすかに肩が震えたことに、気づかれなかっただろうか。
私は笑顔を作って、振り返った。
王宮騎士団長の正装に身を包んだキーシに、ドキリと胸が高鳴る。
彼はきちんと私との約束を守って、あれから三年で騎士団長へと登り詰めた。
そんな彼に負けないよう、私も聖女として日々精進してきたつもりだ。
「ありがとう。これで私も大人の仲間入りよ」
「そうですね。セーシエ様も大きくなりましたね」
ふわり、とキーシは笑みを浮かべた。
過去を思い返すような、優しい微笑み。
けれどそれは、私を甘やかすような、私を子ども扱いするようなもので。
十以上もの年の差を、こういうときに感じてしまう。
「キーシももう子ども扱いしないでね」
そう、気づけば口にしていた。
もっと、近づきたい。
もっと、距離を詰めたい。
私のことを、ただのセーシエとして、一人の女性として見てほしい。
そんな願いがこめられていることには、色事に関しては鈍感なキーシはきっと気づいてくれない。
「子ども扱いなど、した覚えはありませんが」
「……嘘ばっかり」
私は小さな声でそうつぶやいた。キーシは聞こえなかったのか首をかしげたけれど、笑ってごまかした。
キーシはいつも、私を子ども扱いしている。
三歳のころからの付き合いなのだから、当然なのかもしれないけれど。
今だって、大きくなった、という言葉自体が子ども扱いだ。
恋をしている相手に、子どもとしか思われていないのは、悲しい。
「これを」
キーシはそう言って、白い封筒を取り出した。
それを受け取り、差出人を確認する。
いつもどおり、父王と王妃の連名の手紙だ。
さっきまで儀式で顔を合わせていたんだから、手紙に書くような用があるなら言えたはずなのに。
内容はだいたい予想がつく。成人祝いの言葉だろう。
キーシが持ってくる手紙の内容は、いつもとりとめのないことばかり。急を要するものの場合は魔具で直接やりとりする。
なら、キーシに手紙を託す理由はなんなのか。
家族として必要な触れ合い、だけではないということは、わかっていた。
キーシと私が会う機会を、少しでも増やすためだ。
そもそも最初から、キーシが私付きの騎士になったことから変だったのだ。
あの時、キーシはまだ十五歳。一人前の騎士になった直後だった。
普通、王族の護衛ともなればもっと経験を積んだ騎士がなるものだ。キーシ以外の私付きの騎士がそうであったように。
いくらキーシが優秀だからといって、例外はない。
キーシは、私の最適の結婚相手として、送り込まれてきたのだ。
本人がそれを理解しているのかは、わからないけれど。
いや、きっと生真面目なキーシのことだから、気づいていないのだろう。
王族ともなれば、自由に恋愛できるわけではない。
王族か貴族と結婚するのが最低限の義務だ。
ただ、年頃になったところで急に、この人と結婚しなさい、と頭ごなしに命じるのでは、反感も生まれる。
だから巧妙に計画をする。早いうちから何人もの候補と顔を合わせさせて、その中の誰かに恋をすれば万々歳。そうでなくてもまったく知らない他人よりは、円満な家庭を築くことはできるだろうと。
そうやって、周りを固めてしまえば、下手な人間と恋に落ちることなんてあるわけもない。
事実、普通の王族なら、平民との関わりはほとんどないと言ってもいい。私の場合は、聖女としての活動があるから別だけれど。
私も、キーシに恋をしたことに、まったく打算がなかったと言ったら嘘になるだろう。
この人になら恋をしても問題はない。そう思った自分がいたことは事実だ。
だから、たとえキーシとの出会いが仕組まれていたものだったとしても、かまわなかった。
むしろ彼と出会わせてくれたことに感謝したいくらいだ。
キーシが貴族でよかった。許される恋でよかった。
この恋を失ったら、私は立ち直れるとは思えなかったから。
「返事は明日でもいい?」
「ええ」
そう確認すると、キーシは快くうなずいてくれた。きっと明日、手紙を取りに来てくれるのだろう。
こうすれば、明日もまたキーシに会える。
私は打算だらけだ。『心優しい聖女』が聞いて呆れる。
でも、好きな人には毎日でも会いたいと願うのは、普通の心理ではないだろうか。
「ねえ、キーシ」
私はキーシに微笑みかける。できるだけ、優美に見えるように。
打算だらけの私は、今日、彼に告げようと決めていたことがある。
言葉でキーシを縛るために。
「なんでしょうか」
「私、もう大人なの」
「はい」
要領を得ない言葉にも、キーシはきちんと返事をしてくれる。
そんな真面目なところが、どうしようもなく好きだ。
「自分のことは自分で決められる年なのよ」
「そうですね」
返事をしながらも、キーシは不思議そうな顔をする。
私が何を言いたいのかわからないのだろう。
笑みがゆがまないように、私は気を引きしめる。
「私、私ね……」
口の中がカラカラに乾いて、舌がうまく動いてくれない。
どんどん体温が上がってきているようだ。
言わなければ。言わなければ。
ずっと前から決めていた。
大人になったら、すぐに伝えなければと。
いつまでもこのままでいることはできないのだから。
「私ね、キーシのことが、好きなの」
やっと口から放たれた告白の文言は、ひどく陳腐なものだった。
それでもいい。気持ちを伝えることさえできれば。
きれいに飾られた言葉が必要なわけじゃない。
思ったまま、感じたまま。私の気持ちをそのまま、言葉にすればいい。
「……セーシエ様?」
キーシは戸惑いの表情を浮かべ、問うように私の名前を呼ぶ。
彼のためを思うなら、冗談だ、と笑い飛ばしてあげるべきだろう。
そんなこと、するつもりはまったくなかったけれど。
《おいおい、お前一応聖女だろ。聖女が告白なんてしていいのかよー》
脳に直接、言葉が注ぎ込まれる。
これは聖剣の思念だ。私はどこにいても聖剣の声が聞こえる。
対する聖剣は、この世のすべての生物の声を聞くことも可能らしく、特に大きな声が、聖女である私の声なのだと言う。
聖女として力を磨いていくうちに、聖剣と思念で会話することもできるようになった。
普通に過ごしていても、こうしてよく話しかけられる。ずいぶんとフレンドリーな聖剣だ。
――あら、光の神さまは自由恋愛を罰したりはしないでしょう?
《ま、聖女が結婚できないってのは、神殿側が勝手に作った決まりだからなー。お役目がどーの神秘性がどーのって。過去には既婚者だって聖女やってんのになぁ》
そう、聖女であるうちは、私は結婚できない。
魔王を倒し、役目を終え解任されて、ようやく婚姻を結べるのだ。
その決まりに不満がないとは言えないけれど、そんな決まりがある理由もわからなくもない。
聖女は神聖な存在、冒しがたい存在なのだ、と印象づけることは必要だろう。
魔王が現れた際、聖女が聖女としての役目を果たすためにも。
そうすることで勇者一行の旅が楽になるのだということくらいは、容易に想像がつく。
「冗談なんかではないし、ただのあこがれなどでもないわ。一人の男性として、キーシのことが好きなの。キーシに、恋をしているの」
キーシをまっすぐ見上げ、目と目を合わせて想いを語った。
晴れ渡った空のように青々とした瞳。
一目見たときから、惹きつけられていた。
「セーシエ様、それは……」
「お願い、今は何も言わないで」
私はゆるゆると首を横に振る。
キーシが何を言おうとしたのか、聞かなくてもわかる。
どうせ、幼いころからの刷り込みだとか、気のせいだとか。
そんなふうに解釈されるだろうとは思っていた。
だから私は、今はまだ、彼の答えを聞かない。
「私はまだ、聖女だから。まだ、役目を果たしていないから」
前回の魔王が現れた年より、今年でちょうど二百年となった。
いつ、魔王がやってきてもおかしくはない。
そんな不安定な状況で、恋に浮かれてばかりはいられない。
少しでも自分の力を磨いて、来たる日に備えなければならない。
それは、騎士団長であるキーシも同じこと。
「私の気持ちを知っていてほしいの。……考えておいてほしいの」
魔王がやってくるのが、明日なのか、十年後なのかはわからない。
もしかしたら、それまでにキーシが他の女性と結婚してしまうこともあるかもしれない。
だから私はその前に告白をすることに決めた。
私の気持ちを知っていれば、キーシは思いとどまってくれるかもしれないと思ったから。
……私はずるい。聖女失格と言われても仕方がない。
でも、ずるくてもいいから、可能性を少しでも増やしたかった。
「私が役目を終えて、ただのセーシエに戻るそのときに、キーシの気持ちを教えて」
祈るような気持ちで、私は言い終えた。
私の話を聞いたキーシは、困りきった顔をしている。
最初から、わかっていたことだ。
生真面目なキーシは、私の気持ちを喜んではくれないだろうと。
今、答えを聞いたところで、そんなものは決まりきっている。
だから、これからの時間で。
キーシの気持ちをひっくり返してみせる。
役目を終えるためには、魔王討伐の旅に出なければならない。
その旅には、騎士団長であるキーシも同行するはずだ。
きっと、一緒に旅をしていれば、仲間としての一体感が生まれるだろう。
王宮では、神殿では見せられなかった、ただのセーシエを知ってもらえる機会も少なくはないだろう。
それが、私の最初で最後のチャンスだと思った。
キーシに、私という一人の人間のすべてを見せて、好きになってもらうための。
私の幼いころからの恋を、叶えるための。
「……わかり、ました」
ため息と共に、キーシはそう答えた。
困らせてしまっているのはわかるけれど、とてもうれしかった。
まだ、キーシに恋をしていられる。
まだ、好きになってもらえる可能性はある。
「ありがとう、キーシ」
私は笑顔でお礼を告げた。
まだ、この恋の行方は決まっていない。