それから数年後、二人の両親が流行病で亡くなってしまった。
アーネリアと同じく余裕のないユースの分も、僕がアーネリアを傍で支えた。
十歳の子どもにできることなど少なかったが、アーネリアに開業を勧めたのは僕だった。
アーネリアの裁縫の才なら、必ず成功するとわかっていた。
そのときすでに転移魔法を覚えていた僕は、アーネリアの店の宣伝に、いくつもの町を回って歩いた。
他の店でも委託販売してもらうために、品物を運ぶのも手伝った。
少しでも僕にできることをしたかった。
僕にアーネリアが必要であるように、アーネリアにも僕を必要としてほしかった。
彼女を支えられるのは、僕だけなのだと、思いたかった。
アーネリアは昼も夜もなく部屋にこもって服を作り、それを売った。
たしかな縫製技術と、新しいけれど奇抜すぎないデザインで、少しずつ仕事は増えていった。
一日二時間ほどしか寝ない日があることも、気づいていた。
けれど僕にできることは少なかった。
せめてもと、ユースと家事を分担し、アーネリアが仕事に集中できるようにした。
夜食を作って持って行くと、彼女はとても喜んでくれた。
「マージユは料理上手ね」
「そうかな?」
「そうよ。私、マージユの作った料理が一番好き」
笑顔でそう言ってもらえるだけで、うれしかった。
もっと力になりたかった。
アーネリアの稼ぎはだんだんと安定していき、ユースは飢えを知ることなく育った。
もしアーネリアが稼ぐことができなくても、町の誰かが二人の面倒を見てくれただろうけれど、そうしたら両親の遺した家を手放さなければならなかっただろう。
二人がばらばらになることなく、一緒にあの家で暮らすことができたのは、アーネリアのおかげだった。
そして、僕との縁が途切れなかったことも。
アーネリアはよくがんばった。
たとえ、裁縫以外が壊滅的で、僕とユースの家事レベルが二年ほどですべてSSランクまで行ってしまっても。
たとえ、お腹がすきすぎたり眠気が限界を越すと泣いてしまう、子どもみたいな面があったとしても。
アーネリアの努力を僕は一番傍で見てきたし、理解していた。
だからこそ、僕は強く思った。
彼女の努力に報いたい、と。
もちろんアーネリアは僕のために努力したわけではない。
愛する弟と、自分自身と、両親の遺した家のため。
それでも、アーネリアの努力によって、僕は救われた。
アーネリアとの絆を失わずにすんだ。
彼女を失ったら、僕はきっと壊れてしまっていた。
そんな未来を防いでくれたのだから、僕がアーネリアに感謝し、恩返しをしたいと思うのは当然のことだった。
けれどすでに、彼女には結界魔法と持続回復魔法をかけている。
よほどのことがない限り、彼女が危険な目にあうことはないだろう。
どうすれば恩返しをすることができるのか、わからなかった。
僕にとっては何よりも重要な悩みを抱えたまま、月日は過ぎていく。
一日一日、積み重ねていくアーネリアとの幸福な日々。
料理を作るとおいしそうに残さず食べてくれた。
マージユをイメージして作ってみたの、と贈られた服はサイズもピッタリで動きやすく、宝物になった。
彼女も次第に時間をやりくりすることを覚え、無理はしなくなった。
たまに息抜きに花畑に誘うと、子どものころのように、きれいな花輪を頭に乗せてくれた。
穏やかで愛おしい時間が流れていき、やがて、その日がやってきた。
魔王が、魔物たちが現れたのだ。
僕の予想どおりユースが勇者に選ばれ、旅立ちの時が近づいてきていた。
「僕もついていくよ、ユース」
「お前が? なんで?」
僕の言葉に、ユースは心底不思議そうに首をかしげた。
「ユースだけじゃ不安だからね」
わざと皮肉で答えると、ユースは「よく言うよ」と苦笑いした。
実のところ、ユースのことはまったく心配していなかった。
ユースが強いのはよく知っている。
害獣駆除という名目の食料確保のために、毎回一緒に戦っていれば、嫌でもわかるというものだ。
それでも僕は彼についていく必要があった。
生まれた瞬間から定められていた役目のために。
そして、他でもない彼の姉、アーネリアのために。
彼女に恩返しをするために。
「僕がついていけば、アーネリアの心配が減る。アーネリアは僕を信頼してくれているから」
本音を告げると、ユースはカラリと明るい笑みを浮かべた。
どこかアーネリアの面影のある表情だった。
やはり二人は姉弟なのだと、こういうときに思う。
「やっぱな。姉ちゃん関連だと思ったよ。じゃなきゃお前が積極的に動こうとするはずないもんな」
図星を指されて、僕は少しだけ困ってしまった。
鈍感なユースにまで気づかれているだなんて、僕はどれだけわかりやすいんだろうか。
隠していたつもりはないから、しょうがないのかもしれないけれど。
「いいよ、ついてこいよ。お前がいたほうが俺も心強いし。お前となら魔王戦だって楽勝だろ」
軽いノリでユースは僕を誘った。
魔王討伐の旅を舐めているわけではないだろう。
ただ、自分の力を信じているだけ。
自分も僕も、絶対に死んだりしない、とわかっているから。
恐怖などかけらも覚えずに、魔王討伐に望めるのだろう。
間違いなく、ユースは勇者だった。
「それじゃ、よろしく」
僕はそう言い残して、寝に帰るだけの自分の家に戻った。
長旅の支度をするためだ。
家にはめずらしく父が帰ってきていた。
普段は隣町の仕事場で寝泊まりしているので、顔を見るのは一ヶ月ぶりだろうか。
同じ家にいても、会話らしい会話はほとんどない。
けれど、ちょうど今日こうして顔を合わせたのだから、報告くらいはしておこうと思った。
「魔王討伐に行ってきます」
ただいまの言葉すらなく、端的に、事実だけを述べる。
寡黙で不器用な父には、これくらいがちょうどいい。
長く話そうと、一言だろうと、どうせ返ってくるのは「ああ」や「そうか」といった返事だけなのだから。
「……そうか」
ほら、思ったとおり。
もう話すことはないと自分の部屋に向かおうとした僕の背中を、父の声が追いかけてきた。
「……気をつけろ」
思わず僕は苦笑してしまった。
本当に、不器用な人だ。
「はい、心配はいりません」
僕は振り返らずにそう答える。
そうか、とまた小さく父はつぶやいた。
それだけで充分だった。
父は人付き合いが壊滅的に苦手で、特に子ども相手だといつも以上に寡黙になる人だった。
加えて、自分の子どもにも関心が薄かった。
だからといって、愛されていないというわけではないのだと、今の僕はちゃんと知っている。
愛には色々な種類があるのだと、アーネリアが教えてくれたから。
父は、人並み外れた能力の僕を持て余してはいるけれど、恐れてはいない。
僕にとってはそれだけでよかった。
旅立ちの日。
アーネリアは僕たちの見送りに……というよりも、僕を引き止めにやってきた。
「マージユは連れて行かないで!」
そんなことを言うアーネリアに、内心喜んでしまったのは内緒だ。
アーネリアが僕を必要としてくれているのだとわかって、どうしたってうれしくなってしまう。
たとえそれがおさんどん係としてだったとしても。
「マージユ! あなたは私を見捨てないわよね!」
「うん、もちろん見捨てたりしないよ」
袖にすがりついてきたアーネリアに、僕は笑顔を見せる。
心配する必要なんてない、と言うように。
「でもごめんね、アーネリア。ユースを一人では行かせられない。貴女の弟を無事に連れて帰るためにも、僕は行かないと」
貴女の大切な大切な弟は、僕が必ず五体満足で連れて帰る。
心配することなんて何もない。
ユースや僕の無事も、貴女のご飯も。
「マージユがいなかったら私はどうやって生きていけばいいの!」
膝をついて嘆くアーネリアに、僕は暗い喜びを覚えた。
ああ、本当に。
僕がいなかったら生きていけない貴女ならいいのに。
優しくして、甘やかして、僕なしじゃ何もできない貴女にできたなら。
もちろん、そんなことは無理だとわかっているけれど。
アーネリアは、今のアーネリアだから魅力的なのだ。
明るくて、ずれていて、鈍くて、横暴で、甘えたで、欠点も多いのに僕には誰よりも輝いて見える。
僕のくだらない欲求で、アーネリアを歪めてしまうわけにはいかない。
そのままのアーネリアが、僕は好きなのだから。
「大丈夫だよ、アーネリア。僕は世界のどこにいても一瞬でここに帰ってこれるから。毎日起こしてあげるし、三食食べさせてあげるし、掃除も洗濯もしてあげる」
大丈夫、魔王討伐に行っている間も、ちゃんと貴女を甘やかしてあげる。
だから、何も心配しないで。
貴女はいつものように笑っていて。
僕を救ってくれた、僕に幸福を教えてくれた、まばゆい笑顔を見せて。
そうしたら、僕はちゃんと、定められた役目を果たすから。
貴女の笑顔をくもらせるものすべてを、取り除いてあげるから。
だから、お願い。
笑顔で見送って、アーネリア。