光あふれる笑顔を僕に見せて 前編

 赤ん坊のころの記憶は、さすがにない。
 けれど、はじめての記憶は、たぶん一歳のころのもの。

「まーじゆ、いーこいーこ」

 そう言いながら、頭をなでてくれた子どもが、アーネリアだった。
 与えられたぬくもりに、心がざわついたのを覚えている。



 前世では魔王マァジュだった僕は、今世ではイーナカ町のマージユとして生まれ落ちた。
 母は身体が弱く、僕が三歳のときに死んでしまった。
 そのころにはすでに僕は自分の前世を思い出していたし、自分のすべきことをうっすらと理解していた。
 今が前世からだいたい二百年後であることを考えれば、察するのはそう難しいことではなかった。
 そして、アーネリアの弟、僕と同い年のユースが此度の勇者であることも、予想がついていた。
 尋常じゃないほどに聖霊に好かれていたからだ。

 前世が魔王だったからといって、なんでも知っているわけではない。
 けれど光の神と聖剣と聖霊に深いつながりがあることくらい、少し考えればわかることだ。
 聖霊の声を聞けば、みな光の神を慕っている。
 まるで、子どもが親を無条件に慕うように。
 そんな聖霊に好かれ、すでに普通からはかけ離れた力の一端を見せ始めているユース。
 おそらく見届け役である僕がここに生まれたということも含め、彼が勇者である可能性は高かった。

 父はあまり子どもに興味のない人だった。
 真面目で、悪い人ではないのだけれど、子どもにどう接すればいいのかわからない、不器用な人。
 そんな彼の代わりに僕を育ててくれたのが、近所の夫婦。
 もうわかるだろうが、アーネリアの両親だった。
 彼らが僕を見捨てられなかったのは、ちょうど、自分の子どもたちと年が近かったということが大きいだろう。
 アーネリアが僕をかわいがっていたからという理由もあるかもしれない。
 僕たち三人は、一緒にご飯を食べ、一緒に遊び、時に一緒に眠った。
 まるで三姉弟のようなものだった。

 アーネリアは、自分の面倒すら見られないずぼらな性格なのに、何かと僕の面倒を見たがった。
 実の弟はほったらかしで、僕にばかりかまっていたように思う。
 その理由を尋ねたのは、僕が四歳のとき。

「だって、マージユのほうがかわいいんだもの」

 アーネリアはあっさりと言った。

「一人で勝手にどっかに行っちゃうユースより、わたしについてきてくれるマージユのほうが、ずっとずっとかわいいわ」

 その言葉で、初めて僕は気づいた。
 アーネリアが僕をかわいがってくれているんじゃない。
 僕が、アーネリアにかわいがられようとしていたんだということに。

 どうしてなのか、自分でもわからなかった。
 けれどアーネリアの傍はとても居心地がよかった。
 ざわざわと心がさざめくのに、驚くほどに穏やかな気持ちにもなれる。
 アーネリアは陽だまりのような人だった。
 その髪の色のように、やわらかな光を放っているようで、心まであたためられる。



 アーネリアの傍にいたい。
 その気持ちが確定的になったのは、僕が五歳のあの日、あの言葉をもらってからだろう。

 この世界では、黒という色は魔の色とされている。
 百人中二人か三人は黒髪という程度で、めずらしいがありえない色ではなかった。
 明確に迫害されるわけではない。
 ただ、あまり歓迎されない色であることは確かだった。
 中でも、僕の髪は本当に真っ黒だった。
 陽の光を浴びても茶色に見えず、黒は黒のまま光の輪が作られる。
 不気味だ、と影で噂されていることは知っていた。
 それに傷ついたりするほど、僕はかわいらしい性格をしていなかった。

 アーネリアの両親は変わらず接してくれたし、ユースとも仲がよく、アーネリアも怖がる様子を見せずかわいがってくれた。
 だから、それで満足だった。
 外野の声など耳に入らなかった。
 前世が魔の物であったことは事実なのだから、と。
 それでも、まったく気にしていないわけではなかったのかもしれない。

 いつもどおり三人で花畑に遊びにやってきて、ユースだけどこかへ走って行ってしまった。
 残されたアーネリアと僕は、花輪を作って遊んだ。
 アーネリアは花輪を作るのがとても上手だった。
 基本的になんでもできる僕が、彼女に勝てないものの一つだった。
 アーネリアの作ったきれいな花輪を頭に乗せてもらう瞬間は、王冠を賜ったかのように誇らしい気持ちになった。

「マージユ、こっち来て」

 少し距離が離れていたため、アーネリアは僕を呼んだ。
 その手には、白と黄色の小花で作られた花輪。今日も素晴らしい仕上がりだ。
 僕は自然と微笑んで、アーネリアに近づいていき、隣に座る。
 得意げな表情で、アーネリアは僕の頭に花輪を乗せた。
 真っ黒な髪にその花輪はよく映えることだろう。
 すぐに離れていくと思った白い手が、僕の髪に触れた。
 黒々とした、魔の色の髪に。

「マージユの髪はとてもきれいね。お日さまを浴びるとキラキラして、お星さまが踊る夜空みたい!」

 アーネリアは弾けるような笑顔で言った。
 僕の黒髪を、魔の色ではなく、人々に安息をもたらす夜の空の色だと。
 そんなことを言う者が、どこにいただろうか。
 星は踊らない、とここにユースがいたらツッコミを入れていたかもしれない。
 けれど今は二人きりで、僕は少しおかしいたとえすらもうれしくて仕方がなかった。

 こみ上げてきた涙を、ぐっとこらえた。
 僕が魔の物だったのは事実だ。
 不気味だと言われても、気にしているつもりはなかった。
 なのに、アーネリアのその一言だけで、救われている自分がいた。

 僕の髪が星空だと言うのなら、アーネリアは陽だまりであり、まばゆい光そのものだ。
 光だけじゃない、水も、空気も、大地も。
 僕が生きるのに必要なもの全部が、アーネリアのように思えた。
 アーネリアの傍にいたい。アーネリアの傍にいさせてほしい。
 傍にいてもらえなければ、僕は僕でなくなってしまうかもしれない。
 アーネリアは、僕を構築するすべてになった。



 アーネリアがくれた言葉は、それだけではなかった。
 きっと、彼女は覚えてはいないだろうけれど。
 たくさん、たくさん、愛にあふれた言葉をくれた。

 僕は子どものころから魔力が高く、息をするように魔法を使えた。
 僕の力を恐れる者は、少なくはなかった。
 けれどアーネリアは違った。
 ほんのわずかにも、僕に怯えることはなかった。

「マージユはすごいわね」

 と、笑顔で褒めてくれた。
 褒めてくれるのがうれしくて、もっといろんな魔法を使えるようになると、僕はどんどん人から離れていった。
 それでもよかった。
 アーネリアさえいてくれたら。
 アーネリアさえ僕を認めてくれていたら。
 僕はそれだけで、生きていられた。
 幸福だと感じられた。

「マージユが強いのは、マージユが神さまに愛されているからよ。でも、わたしなんて神さまよりももっといっぱい、マージユのことを愛しているんだから」

 その言葉がどれだけうれしかったかなんて、アーネリアにはきっとわからない。
 わからなくていい、と思った。
 僕だけが知っていればいいことだ。
 僕がどれほどにアーネリアに救われてきたのか。
 僕がどれほど、アーネリアを大切に思っているのか。

 僕が強いというなら、それはアーネリアを守るための力だ。
 そう思って、アーネリアを守るための魔法を覚えた。
 結界魔法に、回復魔法。
 もしアーネリアが目の届かないところに行ってしまっても探せるよう、魂に印もつけた。
 僕にだけしか見えない、けれど消えることのない印だ。

 どこにいても、何をしていても、アーネリアを感じられるようになった。
 かけた魔法のおかげで、アーネリアは崖から落ちても、猪に襲われても、無傷ですんだ。
 アーネリアを守ることができてよかったと僕はほっとした。
 僕の心を救ってくれたアーネリアに、これで少しはお返しができただろうか。

「マージユはすごいわね」

 アーネリアは、口癖のように言う。
 信頼しきった和やかな表情で。
 僕の力が、決してアーネリアを傷つけることはないと、わかっているから。
 笑顔で、僕を受け入れてくれる。
 僕という存在を、僕のありのままを、許容してくれる。
 アーネリアがいるからこそ、僕は僕でいることができるのだった。



 あれは僕が七歳のときだったように思う。
 二人きりで遊んでいたときのことだ。

「マージユは本当にユースのことが好きねぇ」

 何かの折に、アーネリアがそう言った。
 たしか、ユースの話をしていたのだということは覚えている。
 唐突な言葉に、僕は何度か目をまたたかせた。
 好き。好きとは、好ましいということ。
 好意を持っているということ。
 慕っているということ。
 ……特別、だということ。

「アーネリアのほうが好きだよ」

 自然と、僕はそう口にしていた。
 それは言葉にすると、しっくりとなじんだ。
 僕は、アーネリアが好き。
 アーネリアが一番好きで、アーネリアが誰よりも何よりも好きで。
 アーネリアは、僕の特別だ。
 今さらなことを、僕はその時に気づいた。

「あら、ありがと」

 にっこり、とアーネリアは笑う。
 アーネリアはよく笑う。簡単に笑顔を見せる。
 花のように、なんて表現があるけれど、彼女の笑顔は僕にとって光そのもの。
 まぶしくて思わず目を細めてしまいそうになる、けれどずっと見ていたくなる、そんな表情。
 その笑顔を独り占めできたらいいのに、なんて思い始めていた。

 アーネリアの傍にいさせてほしいと思ったのも。
 一緒にいると安心するのも。
 触れられると心がざわつくのも。
 全部、僕がアーネリアを好きだから。
 それこそが、恋という感情だった。

 僕は初めて、恋を自覚した。



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