沙耶佳との会話から数日後の放課後、私は教室で本を読みながら佐伯先輩を待っていた。
進路のことで先生と話し合わなければいけないらしく、遅くなるかもしれないけど待っててと昼休みに言われたのだ。
捨てられた子犬のような目で懇願されてしまえば、私にはうなずくことしかできなかった。
佐伯先輩の武器は声だけではない、と認識を改めさせられた。
そもそも彼自身が立派な最終兵器だ。
文字を目で追っていると、階段を駆け上がってくる足音が聞こえてきた。
私は佐伯先輩ではないから、誰の足音か判別することはできない。
でも、部活動をしている人はまだ活動時間で、部活以外で残っている人は限られている。
何より今この時、こんなに急いで教室に来ようとする人なんて、彼以外に考えられなかった。
「ごめん、遅くなって!」
ガラッと勢いよく開かれたドアと共に、その声は教室に響き渡った。
元陸上部部員なのに荒い呼吸。どれだけ全力疾走したんだか。
思わず苦笑がこぼれる。
「いえ、それほど待ってませんから」
こちらに近づいてくる佐伯先輩にちらりと目をやり、そう言った。
読んでいた本に挟むため、しおりを手に取る。
「あ!」
「はい?」
いきなり声を上げた佐伯先輩に、驚いて手が止まる。
問うように彼を仰ぎ見れば、なぜか咲きこぼれんほどの笑み。
「しおり、使ってくれてるんだ。ありがとう」
その言葉に、佐伯先輩の表情の理由を知る。
私が今手に持っているのは、彼から贈られた銀のしおりだ。もらったその日から使っていた。
にこにこと本当にうれしそうに、佐伯先輩は笑っている。
頬が赤く染まって見えるのは、夕焼けによるものではないだろう。
プレゼントを受け取っただけでありがとう。それを使用すればまたありがとう。
佐伯先輩は私に対して感謝を大安売りしすぎだと思う。
「……そりゃあ、もらったものですから」
「でも、趣味じゃなかったりしたら使ってくれないかもなぁって。
ちょっと……でもないな、かなりドキドキしてた」
そう語る佐伯先輩は、情けないことを言っている自覚があるのか、少し照れくさそうにしている。
彼の気持ちはわからなくもなかった。
誰かにプレゼントを贈るとき、気に入ってもらえるかどうかは私だって心配になるものだ。
相手が好きな異性なら余計だろう。
佐伯先輩にとって、私は、片思いの相手。
私の何気ない言動で、先輩は大げさなほどに一喜一憂する。
もし私がプレゼントを気に入らなかったら、彼はどれだけ落ち込んだのだろうか。
想像してみるとなんだかおかしくて、笑えてきてしまう。
「かわいいと思いますよ。
私に似合うかどうかは別として」
プレゼントを見たときの素直な感想を告げてみる。
カードには、似合うと思ったものだと書かれていたけれど。
可憐で繊細なデザインは、地味な私に似合っているとはとてもじゃないが思えない。
佐伯先輩の目は節穴だ。もしくは、恋は盲目ということなのか。
「似合ってるよ。よく似合ってる。
俺が篠塚のことを思って選んだんだから、似合わないはずがない」
きっぱりと、佐伯先輩は断言した。
どこにそんな自信があるのか聞きたくなるほどに。
まっすぐ私を見下ろしてくるその瞳は、節穴には見えなかった。
鼓動が勝手に早鐘を打ち始める。
「篠塚はかわいいよ。本当にかわいい。
優しくて、繊細で、俺にとって誰よりも魅力的な乙女だ」
声が、言葉が、耳を通って心まで届き、奥底で反響を繰り返す。
かわいい。好き。一緒にいて楽しい。
佐伯先輩はいつだって、自分でも気づいていなかった、私の欲しい言葉をくれる。
甘い甘い声で、想いを込めて、受け止めきれないくらいたくさん。
はちみつのような言葉の数々に、おぼれてしまいそうになる。
どうして、そんなに私のことを想ってくれるんだろうか。
不思議で仕方がないのに、怖くて聞けずにいる。
「いつか、篠塚のこれを、俺にちょうだい?」
私が手に持っているしおりの、真ん中のハートを指さして、佐伯先輩はそう言った。
これ。私の、ハート。私の心。私の……恋心。
言葉の意味に気づいたとたん、カッと全身が燃えるように熱くなった。
佐伯先輩は、私に想いを返してもらうことを、望んでいる。
わかっていたはずのことを、この瞬間、ようやくちゃんと理解したような気がした。
私といるときはいつも、楽しそうに笑っている佐伯先輩。
ちょっとした言葉ですごくうれしそうにしてくれる佐伯先輩。
もし、私が彼の想いに応えたなら。
先輩はどんな顔で笑ってくれるんだろうか。
ああ、もう、駄目かもしれない。
いつかと言わず、今すぐに。
あなたのことが好きだと、告げたくなってしまった。
茨に囲われた心を、捧げたくなってしまった。
数ヶ月前から今まで続いていた先輩と私の攻防戦にも、どうやら終わりが見えてきたようだった。