第十話 今現在の先輩と私の想い

 今日のお弁当タイムは沙耶佳と二人きり。
 佐伯先輩は引退した部活の後輩と一緒にご飯を食べる約束をしていたらしい。
 それを聞いたのは今日の朝だから、今日の昼休みはまだ佐伯先輩を見ていない。

「嫌いじゃないなら、付き合っちゃえば?」

 唐突すぎる沙耶佳の言葉に、私は面食らう。飲んでいたウーロン茶を噴き出しそうになった。
 なんのことを言っているのかは、すぐに理解できてしまった。
 我ながら、沙耶佳のマイペースっぷりに慣らされているなと思う。
 間違いなく、先輩のことを指しているんだろう。

「いきなりだね」
「だって、見ててまどろっこしいんだもん。
 あんなイイ男そうそういないんだから、とりあえず付き合ってみればいいのに」

 一足先にお弁当を食べ終わった沙耶佳は、イチゴミルク片手に、だるそうな表情で提案してきた。
 めずらしいこともあったもんだと私は驚く。
 沙耶佳は基本的に、人の事情に首も口も突っ込まない。自分がそうされたくないから。
 愉快犯の気があるため人をからかって遊ぶことはあっても、決して深入りはしない。
 そんな沙耶佳が口を出してきたということは、それだけ見ていられなかったということか。
 ただ単に一観戦者として、膠着状態の攻防戦に飽きてきたという可能性もあるが。

「そんなの失礼でしょ」
「なんで? あっちは付き合ってほしいんだから、うれしいに決まってるじゃん」

 私の返答に、沙耶佳は心底不思議そうな顔をした。
 そういうものなんだろうか?
 真剣に告白されたのだから、軽い気持ちで受けていいものではないと思うのだけれど。
 本気の想いには、こちらも本気で応えなければならない。
 でなければ相手に失礼だし、仮にその場の勢いで付き合いだしたとして、長続きしないような気がする。
 そんなふうに考える自分が真面目すぎるんだろうか。

 佐伯先輩の告白を思い出す。
 二年半前のものと、数ヶ月前のものと。
 どちらも真剣そのもので、本心からのものだと疑いようがなかった。
 彼の言葉から、彼の声から、彼の瞳から。
 あふれるほどの想いが伝わってきて、受け止めきれなかった。
 私はまだ、それだけの感情を知らないから。

「好きとか、恋愛とか、よくわからない。
 そんな中途半端な気持ちで付き合うとか、できない」

 沙耶佳に聞かせるためというより、自分の思いを整理するために言葉にした。
 言い終わってから、デザートのりんごを一口食べる。
 しゃくり、と小さな音が寂しく響く。
 甘酸っぱいりんごは、少しだけ私の心を慰めてくれた。

「お子ちゃまだなぁ、みっちーは」

 カラリと沙耶佳は笑い、私の頭をぐしゃぐしゃとかき回す。
 抗議しようと口を開くが、それは音になる前に消えていってしまった。
 沙耶佳が彼女らしくもない、優しい笑みを浮かべていたから。
 まるで、我が子の成長を見守る母のような表情。
 居心地の悪さに、私は黙り込むしかなかった。

「実際、恋愛に興味ない、ってのは断り文句でもなんでもないよ。
 佐伯先輩があきらめられないのもトーゼン」

 沙耶佳は淡々とそう言って、ストローを口に含む。
 べこ、とイチゴミルクのパックがへこんだ。
 飲み終わったパックを机に置き、沙耶佳は再度私に目を向けてくる。

「恋なんてあっちから予告もなくやってくるもんだよ。
 興味のあるなし関係なくね」
「……それ、経験論?」

 実感がこもっているように思えて、私はおそるおそる尋ねる。
 沙耶佳から恋人の話を聞いたことはほとんどない。
 恥ずかしいからなのか、話すほどのこともないからなのかはわからないけれど。
 おかげで私は、二人がどういった経緯でお付き合いすることになったのかも、それどころか彼の名前すら知らなかった。

「そのとおりだとも。
 私、あいつのこと男として見たことなかったからね。もう青天の霹靂。
 一緒にいて楽だし、今までの関係とそんな変わんないかなって、軽いノリで付き合うことにしたけど。
 けっこう悪くないもんよ。彼氏彼女ってのもさ」

 そう笑ってみせる沙耶佳は、ちゃんと恋人のことが好きなのだと見て取れた。
 二人がこれまで積み重ねてきた信頼が、沙耶佳に付き合うという選択をさせたんだろう。
 うらやましい、と思った。
 私と佐伯先輩は三年前からの知り合いだけれど、空白期間が長い。
 彼に関して知らないことだって多く、何を考えているのかわからないことだってある。
 だからなのかもしれない。
 沙耶佳のように踏みきることができずにいるのは。

「私は、沙耶佳みたいには考えられない。
 とりあえずで付き合って、やっぱり駄目でしたってなったら、絶対に先輩を傷つけるもの」

 告白を断った、卒業式の日のように。
 いや、きっと……あの時以上に先輩は傷つく。
 彼らしくない、痛みが伝わってくるような弱々しい笑みが思い起こされる。
 気づけば、胸の前でぎゅっとこぶしを握っていた。

「お試し期間とか、ありだと思うけどなぁ、私は」

 脳天気な声で、沙耶佳は言う。
 口調は軽いけれど、私のことを考えてくれているのは、長い付き合いからわかった。

「みっちーはさ、難しく考えすぎ。
 学校のテストじゃないんだから、正しい答えなんてどこにもないよ。
 傷つけるとか、そんなのしょうがないじゃん。
 どうせどんな振り方したって傷つくもんは傷つくって」

 それは、そうなのかもしれない。
 過去に私が佐伯先輩を傷つけたように。
 断るのなら、どう取りつくろったところで、佐伯先輩を悲しませることには変わりないのだ。
 傷が浅いか深いかというだけの違い。
 その違いは佐伯先輩にとって、果たして意味があるものなのか。
 私が勝手に決めつけていいことではないのかもしれない。

「美知は何をそんなに気にしてるの?」

 まっすぐ私を見つめながら、静かに問いかける沙耶佳。
 質問されているのに、彼女にはすでに答えを知られているような、そんな気がした。

「私は……」

 その答えを、口にすることはできなかった。
 自分でも、子どもじみているとわかっているから。
 佐伯先輩の気持ちを疑ったことはない。それは嘘じゃない。
 けれど……どうして彼は私を好きなのだろうと、考えずにはいられない。
 疑っているのは、信じられずにいるのは、結局のところ自分自身のほうなのだ。
 自分に先輩に好かれるだけの魅力があるのか、信じることができない。
 だから、興味がないと、そう遠ざけることしかできなかった。

 佐伯先輩のことを心配しているなんて、本当はただの建前。
 私は、自分が傷つきたくないだけ。
 傷ついてもいいと思えるほどの勇気を、持てないだけ。



 今の先輩と私がお付き合いをしてみたとして、もしうまくいかなかったなら、傷つくのは先輩だけじゃない。私もなのだから。



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