現在、夜十時過ぎ。
もうそろそろ深夜と言ってもいい時間だ。
俺は横暴な幼なじみに、気分転換に付き合ってほしいと強引に連れ出されて、ゲームセンターに来ていた。
こんな時間に外に出るなと注意しても、「カナちゃんが一緒なら大丈夫!」と茜は真面目に取り合わなかった。
そもそも『カナちゃん』という女みたいな呼び方もやめさせたいのだけれど、もう十五年もそう呼ばれていれば嫌でも慣れてしまっていた。
ちなみに俺の名前はカナではなく、奏だ。どっちにしろ女みたいな名前なのは変わらないが。
いかつい顔をした俺を『カナちゃん』なんてふざけた呼び方をする人間は、当然ながら茜以外にはいなかった。
「おい、茜。夜のゲームセンターは危険なんだぞ」
両替機で千円札を崩す茜に、周りに聞こえない声量で話しかける。
大学生だから補導対象にはならないものの、あまり近寄りたい場所ではない。
来るなら昼間か、ぎりぎり夕方だろう。
「だって、急にこれやりたくなったんだもん」
そう言って茜が指さしたのは、すぐ近くにあったガンシューティングゲーム。
なるほど、これは家ではできない。
だからといって納得できる答えでもなかったけれど。
「一回だけ、付き合って。そしたら満足するから」
両手を合わせて頼んでくる茜に、俺は大きなため息をついた。
「一回だけだぞ」
「うん! ありがとうカナちゃん!」
満面の笑みを見せる茜に、俺はもう一度、今度は気づかれないよう小さなため息を吐く。
まったく、この幼なじみには敵わない。
なんだかんだで俺は、茜のお願いを断れた試しがないのだ。
幼いころから無邪気で明るく、同い年とは思えないほど子どもっぽい茜を、俺は妹のように思っている。
甘やかしているという自覚は充分にあった。
さっそくガンシューティングの前に立ち、茜は百円玉を投入する。
茜がステージ選択をしている間、彼女をちらちらと見ていた男どもに睨みを利かせておく。
こういうときは、周囲に怖がられる強面でよかったと思う。
見せかけだけだが、ボディーガードになることができる。
「カナちゃん、始まるよ!」
「ん」
そうして、勝負の火蓋が切られた。
* * * *
結果は、僅差で茜の勝ちだった。
元々茜はこういう勝負事に強かった。
じゃんけんなんかの手遊びから、ボードゲーム、パズルゲームや格闘ゲームにいたるまで。
何度となく勝負しているにもかかわらず、いまだに数えるほどしか勝てたことがない。
俺はというと、ゲームセンター内ならクレーンゲームのほうが得意だ。
顔に似合わないとわかってはいるけれど。
「罰ゲームは何にしよっか」
にこにこ笑顔の茜の言葉に、俺は顔をしかめる。
……ちょっと待て、そんなこと一言も言ってなかっただろ。
「勝負に罰ゲームはつきものでしょ?」
それが世の定理とばかりに茜は言う。
十人中九人が振り返りそうな笑顔が今は小憎たらしい。
文句がいくつも頭の中に思い浮かぶ。
けれど俺は知っている。
俺が何を言おうと、茜は聞きゃしないということを。
そして、俺は茜の言うことに逆らえないのだということを。
「……変なのはやめろよ」
俺に言えることはそれくらいしかなかった。
それを了承と取ったのだろう茜は、「うん!」と元気に信用できない返事をした。
ゲームセンターからの帰り道。
俺の二歩先を歩いていた茜は急に振り返った。
「決めた! カナちゃん、今から一時間、私と浮気しよう!」
罰ゲームの内容に固まる俺をよそに、茜は携帯の時計を見ながら、「十一時三十八分までだね」と正確な時間を告げる。
いや待て。……浮気?
浮気も何も、今の俺はフリーだ。
二ヶ月ほど前、半年近く付き合っていた彼女に振られたばかり。
……ああ、でも茜には言っていなかったかもしれない。
別にいちいち報告するようなことでもないだろうと思ったから。
「……嫌?」
俺が黙っていると、茜は不安げに俺を見上げてきた。
夜道は意外と電灯のおかげで明るい。
今にも泣きそうなその表情は、しっかりと見えた。
「や、別に、嫌じゃない!」
俺はあわててそう言った。
茜に泣かれるのは困ると思って、自分が何を言ったのかもよくわかっていなかった。
「……カナちゃんのバカ」
茜は小さな声でつぶやいた。
はぁ? と俺は一瞬苛立ちを覚えたが、すぐにそんなものは霧散した。
茜の大きな目からぽろぽろと涙がこぼれだしたからだ。
「ちょ、なっ、え、なんで泣くんだよ!?」
俺は本気で動揺し、思わず怒鳴ってしまった。
茜は大声に驚いたのか、ビクリと肩を揺らした。
「か、カナちゃんの、バカぁああぁぁ」
ついには、茜は子どものように声を上げて泣き始めた。
家にほど近い夜道で、ボロ泣き。
どう見ても泣かせてるのは俺。
やばい、明日にはどんな噂になってることか、考えたくもない。
それより何より、泣いている茜を放ってはおけない。
「ちょっとこっち来い!」
手を引いて歩き出すと、茜はおとなしくついてきた。
けれど涙が止まることはない。
茜を連れて行ったのは、近所の公園。
夜の公園もそれなりに危ない場所ではあるが、泣いている茜を自宅に招くこともできない。
酔っ払いのおっちゃんくらいなら俺でも追い払えるから、まあ大丈夫だろう。
茜をベンチに座らせ、俺はその前にひざまずく。
顔を覗きこもうとしても、茜は両手で隠してしまっている。
「なんで泣くんだよ」
困り果てた俺は、疑問をそのまま口にした。
いきなり泣き出した理由はいまだにわからなかった。
泣いている茜を前にして、冷静に考えることもできない。
「だって……カナ、ちゃんが、ひどいこと、言うから……」
つっかえつっかえ、茜はわけを話す。
けれど俺にはまったく身に覚えがなかった。
「なんだよ、ひどいことって」
重ねて問いかけると、茜はようやく顔を隠していた手を外した。
泣きすぎて赤くなった目が俺を睨む。
「恋人、いるのに、浮気が嫌じゃない、とか。冗談でも、よくない。彼女さん、大事にしなきゃ、ダメだよ」
「……浮気しようって言ったの、お前だろ」
俺が言い返すと、茜はきゅっと眉根を寄せた。
また、涙が一粒こぼれ落ちた。
その涙に、思わず手が伸びそうになった。
透明な雫が、とてもきれいだったから。
「だって……二番目でもいいから、カナちゃんが、欲しかったんだもん」
予想もしなかった茜の発言に、俺は目を見張った。
二番目でもいいから俺が欲しかった。
つまり、それの意味するところは……。
「彼女いるって知ってても、あきらめられなかったんだもん。一時間だけでもいいから、独り占めしたかったんだもん。カナちゃんに好きって言ってもらいたかったんだもん」
言葉と共に、ボロボロと涙がいくつもこぼされる。
茜が、俺のせいで泣いている。
俺の想いが欲しくて、泣いている。
俺はたまらない気持ちになった。
ただの幼なじみだったはずの茜が、妹のように思っていた茜が、年相応の魅力的な女性に見えた。
何よりも欲しかったものを目の前に差し出されているような、そんな喜びが胸に広がって、戸惑いを覚えた。
俺は……俺も、もしかしたら、こいつのことを……。
気持ちの整理がつくよりも前に、気づいたら俺は、茜を抱きしめていた。
「……カナ、ちゃん?」
「とりあえず……その、今、俺に彼女はいない」
「へ……?」
まず説明するべきことを言うと、茜は間抜けな声をもらした。
理解が追いついていないのかもしれない。
どんな表情をしているのか、簡単に想像がついた。
「振られたなんて、格好悪くて言えなかった。けど、それがお前を傷つけることになって、悪かった」
彼女に振られた理由は、俺が筆不精だからだ。
自分からはメールしない。メールの返信が遅い。やっと返ってきても本文が短い。かと言って電話を頻繁にするわけでもない。
会っても気の利いた言葉一つ言えないし、いつも怒ったような顔をしている。
付き合い始めた当初から不満に思っていたらしいが、我慢の限界が来たらしい。
俺に非があることはわかっていたから、引き止めたりはしなかった。
そんなことをわざわざ、赤裸々に幼なじみに話す必要はないと思っていたが。
別れたという事実くらいは、言っておくべきだったんだろう。
「今、俺の一番目は空席なわけだ。理解したか?」
「えっと……うん」
確認すると、控えめな返事が返ってくる。
俺が振られたことを素直に喜んでいいのかわからなくて、内心複雑なのかもしれない。
横暴なふるまいも多いけれど、基本的には心優しい茜のことだから。
「それで……もし、よかったら、なんだが」
緊張で声が上擦ってしまった。
のどが貼りついたように、続きが出てこない。
しっかりしろ、俺。
やっと気づけた自分の想いを、今ここで告げなくてどうする。
抱きしめる力を強めて、茜の耳元に口を近づけた。
「俺の一番目に、なる気はないか?」
勇気を出して、俺は告白をした。
少し遠回しにはなってしまったが、これが今の俺の限界だ。
「へ……?」
茜はまた、間抜けな声を出す。
それに緊張の糸が切れて、俺はクスリと笑った。
抱きしめたまま、少しだけ身体を離す。
茜の顔を覗き込むと、耳まで真っ赤に染まっていた。
一応、伝わってはいるようだ。
涙が止まっていてよかったと思った。
「カナちゃん、それ、冗談? 私のことからかってる?」
小さな唇から吐かれた問いに、俺はむっとする。
「俺がこんな冗談を言うと思うか?」
「……言わない、ね」
目をぱちぱちとさせながら、茜は答える。
そうだろうとも。幼稚園のときから、十五年の付き合いだ。
茜も俺の性格は充分わかっているだろう。
「じゃ、じゃあ、本気で……?」
震える声。揺れる瞳。
信じたい、信じさせてほしい、と言われているようだった。
「ああ、本気だ」
俺がはっきりとそう告げると、茜はまた泣き出してしまった。
おいおい、勘弁してくれ。
一番泣かせたくない奴なのに。
もう泣かせないために告白したのに。
頭をなでていると、背中に細い腕が回された。
「カナちゃぁああん!」
「はいはい、いい加減泣き止んでくれよ」
なかなか涙の止まらない茜をなだめながら、今日中に家に帰れるんだろうか、と俺は心配になった。
結局、彼女が泣き止んで、ハンカチを濡らして目元を冷やし、家に帰るころには『浮気する一時間』は過ぎてしまっていた。
もちろん、罰ゲームの一時間が過ぎようと、俺の一番は茜で、浮気なんかじゃなく本気そのものなのだけれど。
診断メーカー
『恋愛お題ったー』
スミレさんは、「夜のゲームセンター」で登場人物が「浮気する」、「時計」という単語を使ったお話を考えて下さい。